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60 力で救えないもの

 それからどれほどの時間が経ったのだろうか。

 感覚は曖昧なまま、ユリアは馬に乗せられ続けていた。

 夜と朝が一度入れ替わった気がする。

 ようやく辿り着いた場所は、山間にひっそりと隠れるように建てられた男たちのアジトだった。

 途中、何度か逃げ出す機会を探ったが、常に誰かがユリアの傍を離れず、叶うことはなかった。

 馬から降ろされると、先導していた男が低い声で言った。


「いいか。ジル様に会ったら、さっきの力を見せるんだ」


 それだけ告げると、男はユリアの腕を掴み、奥の部屋へと連れていった。

 扉を開けた先には、一人の男が椅子に腰掛けていた。

 連れてきた男より年配で、想像していたよりもずっと細かった。

 細い指先がわずかに震えている。

 その呼吸は浅く、長く続かぬことを思わせた。

 だが、その目だけは妙に澄んでいた。

 

「……お前が、癒しの力を持つという娘か」


 椅子の男――ジルが、静かに問いかけた。


「そうです、ジル様。この娘は、深く切り裂いた傷を一瞬で治しました。ですから、あのお方に献上する前に、まずジル様の病を――」

「私に、病を治す力はありません」


 ユリアは、男の言葉を遮ってはっきりと言い切った。

 隣にいた男が、驚愕の表情でユリアを見る。


「な、何を言っている! 昨日、あの女の傷を一瞬で――」

「傷を治すことと、病を治すことは違います」


 ユリアは男を真っ直ぐ見つめた。


「私の力は万能ではありません。傷を塞ぐことはできても、病を癒すことや、死者を蘇らせることはできません」

「ふざけるな!!」


 男は声を荒げ、勢いよくユリアの頬を打った。

 乾いた音が響き、ユリアは床に倒れ込む。


「お前をアルジール国から連れ出したのは、ジル様の病を治せると思ったからだ! この村にジル様は必要なんだ! お前の力があれば――」

「……できないものは、できません」


 床に伏したまま、それでも視線だけは逸らさずに答えた。


「小娘が……!!」


 再び手を振り上げた男の動きを、低い声が制した。


「もうよい」


 ジルが、初めて感情を含んだ声を出した。


「ワシの病を治せぬのなら、その娘に用はない。これ以上ここに留めておくのは危険だ。……連れて行け」

「……申し訳ありません、ジル様」


 男は深く頭を下げた。

 悔しさを滲ませたその表情を、床に倒れたユリアは確かに見ていた。

 男はユリアの腕を乱暴に引き、外へ連れ出すと馬車に押し込んだ。

 自らも腰掛けるなり、頭を抱える。


「……もうこの村は終わりだ。ジル様が倒れたら、誰が皆をまとめる」

「この村には、医者はいないのですか?」


 思わず、ユリアは問いかけた。


「いるわけがない。ここで病にかかれば、自力で治すしかない。治らなければ……死ぬだけだ」


 男は自嘲気味に鼻で笑った。


「……だから、お前の話を聞いた時、好機だと思った。あのお方に献上できれば金も手に入る。だが本当の目的は、お前の力だった」


 男は拳を強く握り締めた。


「……お願いです。私をアルジール国に帰してください」


 ユリアは、静かだが必死に言葉を重ねた。


「病を力で治すことはできません。でも、私は薬を作れます。感染症なら、適した薬があれば治る可能性があります。どうか……」

「戯言を言うな。国に帰りたいだけだろう」


 男は鋭く睨みつけた。


「嘘ではありません。私は、力だけに頼って生きてきたわけではありません。命に関わる者の傷だけを癒し、それ以外の人を救うために、薬を学びました。だから――」


 その時だった。

 馬車が、突然大きく揺れて止まった。

 

「なんだ? どうした?! なぜ止まる!」


 男は慌てて馬車の窓を開け、御者に声をかけた。

 しかし返事はなく、外は不気味なほど静まり返っていた。

 鳥の声すらない。

 男の体が小刻みに震え出した。

 

「……まずい……。あのお方が……」


「ねえ、あなた達が言っている『あのお方』って一体誰なんですか? 私をどこへ連れて行くつもりなの?」


 ユリアは男の肩を揺すったが、男はまるで聞こえていないかのように虚ろな目で前を見つめている。


 次の瞬間――

 馬車の扉が、外から乱暴に叩き開けられた。

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