59 眠りの罠
次の日、ユリアたちは再びルトアへ向けて馬車を走らせた。
日が傾き始めた頃、馬車の中でうとうとしていたユリアは、ふと目を覚ました。
ただの居眠りのはずなのに、意識が沈み込むように重い眠りだった。
馬車が止まっている――
「何かあったの?」
おそるおそる声を出すと、隣に座っていたアリシアもはっと目を覚ました。
「も、申し訳ございません……。私も眠ってしまって……」
アリシアは慌てて馬車の窓を少し開け、外の様子を窺った。
「外を確認してまいります。ユリア様は、どうか中に」
そう言って、アリシアは馬車を降りた。
ユリアは馬車の中で待っていたが、いつまで経ってもアリシアが戻ってこない。
数分――いや、もっと経ったように感じた。
胸の奥に、じわりと嫌な感覚が広がった。
――遅すぎる……。
それに……何だか、頭が重い……。
「……アリシア?」
不安に耐えきれず、ユリアはそっと窓を開け、小さな声で名を呼んだ。
その瞬間、視界の端に――
地面に倒れ伏す護衛の姿が映った。
「……え?」
息を呑み、恐る恐る馬車を降りる。
周囲には、連れてきた護衛たちが次々と倒れていた。
誰も動かない。
「……どうして……」
近くの護衛に触れてみると、呼吸はある。
ただ、深く眠っているようだった。
――私も、アリシアも……眠らされていた……?
ユリアは辺りを見回し、木立の影に複数の人影を見つけた。
そのうちの一つが、引きずられるように立っているアリシアだと気づき、叫ぶ。
「アリシア!!」
駆け寄ろうとした瞬間、背後に――
男が立っていた。
アリシアはぐったりとし、男に腕を掴まれている。
「あなた……何者なの!? アリシアを離して!」
男は薄く笑い、腰の短剣を抜いた。
「悪いが、それはできねぇ。俺には目的があってな」
「や、やめて……お願い……!」
ユリアの懇願を無視し、男は短剣を振るった。
刃が、アリシアの腕を裂く。
「……っ!」
「アリシア!!」
ユリアが駆け寄ると、男は彼女を突き飛ばすように前へ押し出した。
「ほら。治せ」
「……な、何を……」
「意味が分からないとは言わせねぇ」
冷たい視線が、ユリアを射抜く。
「ユリア様……逃げて……。私のことは……」
血を押さえながら、アリシアが震える声で言った。
「嫌よ……。一緒に帰るわ」
ユリアは、アリシアを強く抱きしめた。
「いいから早くしろ!!」
男は苛立ったように叫び、再び刃を振り下ろす。
今度は、アリシアの背中を大きく切り裂いた。
「やめて!!!!」
アリシアが崩れ落ち、血が地面に広がった。
――まずい……この出血量……。
この男の目的は……私の力……。
「……ごめんね……アリシア……」
ユリアは、震える手をアリシアの背へ伸ばした。
――もう二度と使わないと、決めていたのに……。
それでも……この子を失うくらいなら……
目を閉じ、覚悟を決めて力を解放する。
淡い光が、ユリアの掌から溢れ、傷を包み込んだ。
裂けた背中が、みるみるうちに塞がっていく。
腕の傷も、跡形もなく消え去った。
「……ユリア様……?」
目を覚ましたアリシアが、自分の体を見て息を呑む。
「ほう……噂通り、いや、それ以上だ」
男は、歓喜に歪んだ表情でユリアを見た。
「欠陥のない、完全な治癒……最高だ」
ユリアは、アリシアを救えた安堵と同時に、深い絶望に沈んだ。
――やはり傷痕が、残らなかった。
かつて忌み嫌われた“欠陥”すら、ないのだ。
――この力が知られたら……
また、同じことが繰り返される……
あの頃と同じだ。
価値のある道具として扱われた、あの頃と。
脳裏に、兄の声が蘇る。
「立て。そして着いて来い。逆らえば、その女をまた傷つける」
ユリアは腕を掴まれ、馬に乗せられた。
抵抗する気力は、もう残っていなかった。
「ユリア様!! 行かないで!!」
アリシアの叫び声が、遠ざかっていく。
「ユリア様――――!!」
その声だけが、森に虚しく響き続けた。




