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58 届いた父の手紙

 クリックが自分の力のことを伏せてくれたと聞いても、どこかから話が漏れてしまうのではないかという不安は、ユリアの胸から消えなかった。

 助けた男の子の体調に変化がないか様子を見に行きたい気持ちはあったが、ユリアは市場へ足を運ぶことを控えていた。

 そして約一ヶ月が過ぎ、特に問題も起きない穏やかな日々が続いたことで、ユリアの心にも少しずつ安堵が広がり始めていた。


 ――そんな、ある日の晩のことだった。

 

「お前宛に手紙が届いていると、侍女から預かった」


 いつものように寝室で向かい合い、二人で紅茶を飲んでいると、エルフナルドがそう切り出した。


「私に……手紙、ですか?」


 ユリアは思わず首を傾げた。

 自分に手紙を寄越す人物に、まったく心当たりがなかった。


「ユーハイム国からだ。お前の父親だ」

「……え?」


 胸が跳ね、カップを持つユリアの手がかすかに揺れた。

 差し出された手紙を受け取り、ユリアはゆっくりと封を切った。


 ⸻


 ユリアへ


 アルジール国に嫁いでから、しばらく経つが元気にしているだろうか。

 エルフナルド陛下とは、うまくやっているか。


 実は、私は二ヶ月ほど前から体調を崩し、療養している。

 嫁いだ娘に、もう会うことは叶わないと分かってはいたが、最近はどうしても、もう一度お前の顔が見たいと思うようになった。


 もし、エルフナルド陛下のお許しがいただけるのであれば、一度、国へ戻ってきてはくれないだろうか。

 こんな願いを抱く父を、どうか許してほしい。


 ⸻


 読み終えた瞬間、ユリアの手は小刻みに震え出した。

 父がこんな願いを書くなど、にわかには信じがたかった。

 しかし、それは紛れもなく父の筆跡だった。


 ――力を失った自分を長年幽閉してきた父。

 戦争に敗れ、「こういう時のために生かしていた」と言って、自分を敵国へ差し出した父。

 そんな父が、今さら「会いたい」などと言うだろうか。


 ――何か、裏があるに違いない……。

 でも……一体、何のために……?


「……おい。どうした?」


 顔色を失ったユリアを見て、エルフナルドが声をかけた。


「……いえ。何でもございません……」


 ユリアが慌てて手紙を閉じようとした瞬間、エルフナルドがその手を掴んで制した。


「……何でもない顔ではないだろう。見せてみろ」


 エルフナルドは手紙を取り、目を通した。

 読み終えた後もすぐには口を開かず、紙面ではなくユリアの顔色を静かに見ていた。

 

「父上の具合が悪いと書いてあるではないか……。心配せずとも、帰るなとは言わない。馬車を手配する。明日にも――」


 心臓が強く跳ねた。

 

「帰りません!!」


 ユリアは、思わず声を荒げていた。

 その声が、ただの心配から出たものではないことを、エルフナルドは悟った。

 

「あ……いえ、その……大きな声を出して申し訳ありません。でも……馬車の手配は不要です。私は、ユーハイムには帰りません……」


 震える手を抑えるように、ユリアはスカートを強く握りしめた。

 

「……私は、戻りません。父には……自分で、断りの手紙を書きます……」

「……わかった」


 エルフナルドは、それ以上問い詰めることをせず、短くそう言った。


「お前がそう言うのであれば、それでいい」

「……ありがとうございます」


 ユリアは顔を上げ、かすかに安堵した表情を浮かべた。


「一週間後にルトアへ長期で赴く予定だ。移動も含めて一ヶ月ほどになる」


 エルフナルドは淡々と続ける。


「お前は置いていくつもりだったが、一緒に来るといい。今後の貿易に関わる重要な訪問だ。その名目で、貿易随行のため帰国は叶わぬと、私からユーハイム国王へ書状を送る」

「そんな……! 陛下に嘘をついていただくわけには……」

「構わない」


 言い切るように、エルフナルドは遮った。


「では、どういう理由をつける?」

「それは……」


 言葉に詰まり、ユリアは黙り込んだ。


「気にするな。明日、私が書いて送っておく」


 ユリアは何か言おうとして唇をわずかに開き、けれど言葉にならずに視線を落とした。

 エルフナルドはその様子を一瞬だけ見て、何も言わずにカップを置いた。


「もうお前も休め」

 

 エルフナルドは長椅子から立ち上がると、そのままベッドへ向かった。

 これ以上踏み込ませないように話を締めくくったのだと、ユリアには分かった。

 それ以上何も言えず、ユリアはその背を見送るしかなかった。


 

 それから一週間後、ユリアはエルフナルドと共に、ルトア国へ向けて馬車で出発した。

 出発して二日目の朝、馬車の外からカリルの声が響いた。


「陛下。急ぎお伝えしたいことがあると、使いが来ております」

「……わかった。馬車を止めろ」


 エルフナルドはそう指示すると、馬車の窓を開け、用件を促した。


「……実は、警備を強化している西の町で紛争が起きまして……」

「西にはサリトスがいるだろう? あいつがいれば問題ないはずだが」


 エルフナルドは眉をひそめて言った。


「そのサリトス様が負傷され、不利な状況にあるとのことです」

「何だと……? あいつに限って、そんなはずがあるか」


 低く吐き捨てる。

 エルフナルドは一瞬言葉を切り、カリルへと視線を向けた。


「お前はどう思う?」

「私も、サリトス様に限ってとは思います。しかし、西の町はこの国にとって重要な拠点です。念には念を入れるべきかと」

「……そうだな」


 エルフナルドは短く息を吐いた。


「仕方がない。一度、様子を見に行く」


 そう言うと、エルフナルドは馬車の戸を開けた。

 そして降りる直前、ふり返ってユリアに声をかけた。


「申し訳ないが、お前はこのままルトアへ向かってくれ。西の状況を確認次第、すぐ合流する。馬を走らせれば、お前がルトアに着く頃には追いつけるはずだ」

「……はい」

「万が一、私が遅れるようなことがあれば、キャロル姫の相手を頼みたい」

「かしこまりました」


 ユリアは小さく会釈をした。


「すまない。では頼む。カリル、行くぞ。その他の者は王妃と共にルトアへ向かえ」


 命令を終えると、エルフナルドは馬車を降り、カリルと共に西の町へと馬を走らせた。

 ユリアはエルフナルドの言葉通り、そのままルトアへ向かい、その日の晩、予定していた宿へと到着した。


「ユリア様。そんなにご心配なさらなくても、きっと大丈夫ですよ」


 窓の外をじっと見つめるユリアの様子に気づき、アリシアが声をかけた。


「陛下は元騎士団長ですし、問題が起きても、すぐに解決なさいます」

「……そうよね。きっと、大丈夫よね」


 ユリアは自分に言い聞かせるようにそう呟き、アリシアに微笑んだ。


「私は、私のできることをしなくちゃ。明日も早いし、もう休むわ」


 ユリアはベッドへ移動し、横になった。

 だが、その晩――ユリアが深く眠ることはなかった。


 胸の奥に沈んだままの違和感が、これから起こる何かを、静かに告げていた。

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