49 二人の約束
ヘレンは、泣き崩れるユリアを引き寄せ、その小さな肩を抱いた。
まるで、今にも壊れてしまいそうなものを扱うかのように、慎重に、静かに。
しばらくして、落ち着きを取り戻してきたユリアは顔をあげた。
父が何を望んでいるのかを聞いた今――
この力を継がせてはならないと、はっきりと心に刻んだ。
ヘレンとユリアは互いの目を見つめあった。
その瞳に、逃げないという覚悟が宿っていた。
「ユリア……よく聞くんだ。これは――
お前と私、ふたりだけの計画だ」
ユリアは静かにうなづいた。
「――お前に父上の子を産ませるなど、私にも耐えられない。そして、お前の力を戦のために継がせようとするなど、決して正しいことではない」
ヘレンはそう言い切ると、大きく深呼吸をした。
迷いを振り払うように、強く息を吐き、ユリアを見据える。
「だから……よく聞け、ユリア」
その声は震えていたが、決意に満ちていた。
「お前はこれから――
力を、少しずつ失っていくのだ」
ユリアは、言葉の意味をすぐに理解できず、思わず首を傾げた。
「ティーン国の力を持つ者は、皆、白銀の髪を持っている。
……お前もそうだな」
ユリアは小さく頷いた。
「だが、父上の研究記録にはこう記されていた。ティーン国の者が力を失っていく時、髪は少しずつ黒く染まっていく、と」
ヘレンは、ユリアの白銀の髪を一瞬だけ見つめた。
「父上は、お前の力が際限なくあるかどうか、まだ確証を得ていない。……だから、これは賭けだ。だが、唯一の道でもある」
ユリアの胸が、どくんと鳴った。
「お前はこれから、力を使うたびに、ほんの少しずつ髪を黒く染めていけ。決して急ぐな。気付かれない程度に……少しずつだ」
ヘレンは、必死に言葉を選ぶように続けた。
「お前はまだ十歳だ。初経まで……きっと、まだ時間はある。そして、完全に髪が黒く染まる頃――お前は力を失う」
ユリアの指先が、無意識に自分の髪を掴んだ。
「力を失ったら……その後は、二度と力を使うな。たとえ、お前が守りたいと思う相手であってもだ」
ヘレンの声は、痛みを含んでいた。
「でなければ、必ず噂は広がる。そして……同じ悪夢が、また繰り返される」
短い沈黙が、ふたりの間に落ちた。
「……私と、約束できるか?」
ユリアはしばらく俯いていたが、やがてヘレンの手を強く握り締め、深く頷いた。
ヘレンもまた、その手を壊れそうなほど強く握り返した。
それからユリアは、ヘレンとの計画通り、ほんの少しずつ髪を黒く染めていった。
シルクベイン王は、ユリアの髪色の変化に気付くと酷く取り乱し、以前にも増して、ユリアに力を使わせることを渋るようになった。
しかし、隣国が力をつけ、戦が長引くにつれ、王は次第に追い詰められていく。
そして結局、ユリアは再び戦場へと送られた。
約三年の月日を経て。
ユリアは、完全に力を失うことに成功した。
この計画がシルクベイン王に知られることはなかったが、力を失い「価値がなくなった」と判断されたユリアは、王宮の一室に幽閉されることとなった。
それでも、ユリアは構わなかった。
この三年間、自分の力は戦のために使われ、多くの血が流れた。
もし自分の力がなければ、戦場に立たずに済んだ者も少なくなかったのではないか――
そんな考えが、何度も頭をよぎった。
ユリアの心と身体は、すでにひどく疲弊していた。
幽閉されてからの日々は静かに過ぎていった。
誰とも言葉を交わすことはなかったが、力を使わなくていい日常と、時折訪ねてくるヘレンとの短い会話だけで、
ユリアは十分に満たされていた。
――それから、約一年後。
アルジール国との戦争が始まった。
もちろん、ヘレンも戦争に参加した。
――どうか、生きていてほしい。
どうか、帰ってきてほしい。
ユリアは毎日そう祈り続けた。
その祈りだけが、幽閉された部屋の中で、ユリアを現実につなぎとめていた。
しかし、その願いが届くことはなかった。
それから三年後、ユリアのもとに、ヘレンの戦死と、ユーハイム国の敗戦が知らされた。
その言葉を聞いた瞬間、ユリアの中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
涙は、もう出なかった。
ただ――
兄と交わした、あの「約束」だけが、
胸の奥に、重く残り続けていた。




