39 エルフナルドの提案
寝室で、エルフナルドとユリアは向かい合って紅茶を飲んでいた。
ルトア国から帰国してしばらくの間、二人の間には気まずい空気が漂っていたが、エルフナルドが何事もなかったかのように、これまでと変わらぬ調子で寝室にユリアを呼び続けたことで、その空気も次第に薄れていった。
「明日、市場に行くか?」
紅茶を口にしながら、エルフナルドが唐突に言った。
ユリアはカップをテーブルに置き、少し意外そうにエルフナルドを見る。
「明日は、特に市場へ行く予定はございませんが……」
「そういう意味ではない」
エルフナルドはすぐに言葉を重ねた。
「以前、お前の侍女が怪我をした日の晩、公務が落ち着いたら次は一緒に行くと言っただろう。覚えていないのか?」
「あ……そのことでしたか。もちろん、覚えておりますが……」
ユリアは、エルフナルドがその約束を覚えていたことに驚いた。
同時に胸の奥がふっと温かくなるのを感じ、思わず言葉に詰まった。
――忘れていなかったのだ、と。
だが、陛下の手を煩わせてはいけないという思いが先に立ち、どう返すべきか迷った。
「……陛下は他にもお忙しいでしょうし、そこまで気を使っていただかなくとも、大丈夫でございます」
「あの日も同じことを言っていたな」
エルフナルドは前回と同じように、一歩も引かずに言い切った。
「一緒に行くと言ったはずだ」
その言葉に、ユリアの胸がきゅっと締めつけられた。
こんな些細なやり取りを覚えていてくれたことが嬉しくて、その気持ちを悟られるのが恥ずかしくなり、ユリアは視線を落とす。
「私にも……買いたい物がある。どのみち市場へ出る用事はあるのだ。だから、お前の用事も一緒に済ませればいい」
エルフナルドは俯くユリアを横目に、小さく息をつきながらそう言った。
「……わかりました。ありがとうございます、陛下」
ユリアは控えめに微笑み、頭を下げた。
買いたい物が本当にあるのかは分からなかったが、そこまでして一緒に行こうとしてくれるエルフナルドの気持ちが、素直に嬉しかった。
「それに、お前は馬が好きだろう? まあ、一人で乗らせるわけにはいかないがな」
茶化すような口調に、ユリアは小さく苦笑した。
翌日、市場へ向かうため、エルフナルドとユリアは王宮の門前に立っていた。
そこには門番以外の人影はなく、繋がれている馬も一頭だけだった。
「護衛の方は、後から来られるのですか?」
周囲を見渡しながら、ユリアが尋ねる。
エルフナルドは門に繋がれた馬の手綱を外すと、軽やかに馬に乗り、上からユリアを見下ろした。
「護衛は連れて行かない。俺一人で十分だ」
そう言って、ユリアに向かって手を差し出す。
「え……大丈夫なのですか?」
驚きつつも、その手を取ってユリアは馬に乗った。
後ろに座ると、エルフナルドの顔を覗き込むようにして、返答を待つ。
「あまり大人数で行っても、楽しめないだろう。それに、私は元騎士団長だ。お前を守るくらい、造作もない」
ユリアの心配をよそに、エルフナルドは馬を走らせた。
「わ、私が申しているのは、そういうことではございません。陛下は、誰がお守りするのですか?」
「私に歯向かってくる者など、そうそういない。心配するな」
それだけ言うと、エルフナルドは口を閉ざし、前を向いた。
ユリアも視線を前に向け、馬の揺れに体を任せた。
朝の光が柔らかく差し込み、風が頬を撫でる。
ユリアは、二人だけでの外出に胸の奥で、少しだけ高鳴るものを感じた。
――この先、二人きりで過ごす時間に、どんな出来事が待っているのだろう。




