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3 アルジール国の王子

 アルジール国の王太子、エルフナルド・ランカスターは、この結婚をもって父であるアシュリー王から王位を継ぐことになった。

 ユリア到着の知らせが王宮に届くと、急ぎ婚姻の儀の準備が進められた。

 知らせを伝えるため、側近のカリルがエルフナルドの執務室の扉をノックした。


「失礼いたします、陛下。ユーハイム国の姫が到着されました。正門へお出迎えをお願いいたします」

「……何を言っている、カリル。そんな時間が私にあると思うのか? 姫が到着したか確認する暇があるなら、少しでも手を動かせ」


 その声には苛立ちよりも、感情を切り離した冷たさが滲んでいた。

 エルフナルドは書類の山に囲まれ、顔も上げずにペンを走らせ答えた。

 カリルは困惑の表情を浮かべ、そばに近づいた。


「ですが陛下、これより姫は婚姻の儀の準備に入られます。直接お顔を合わせる時間は今しかございません」

「婚姻の儀の際に顔を合わせれば十分だ。ユーハイム国の姫に取り繕うつもりは初めからない」


 冷ややかな声色で、エルフナルドは言い放った。


「……かしこまりました。では代わりに侍女を向かわせます」


 カリルはそれ以上言及することを諦め、執務室の前に待機する護衛騎士に、侍女を正門に向かわせるよう指示した。

 エルフナルドは再びペンを走らせながら、小さく呟いた。

 

「しかし、父上も一体何を考えておられるのか……。ユーハイム国の姫を娶れば王の座を譲るなどとは……」

「確かに、その真意は私にも分かりかねます。ただ、この機会を逃せば、第三王子であるフレドリック殿下に好機を与えかねません」


 その言葉に、エルフナルドはようやく手を止め、カリルに視線を向けた。


「分かっている……。だから姫を娶ることに決めた」


 エルフナルドは一瞬だけ眉をひそめ、すぐに表情を戻した。

 

「そもそも陛下が、今回の戦に参加されていれば、ここまで戦が長引くことはなかったでしょうに……」

「やめろ、カリル。私が王を志す以上、いつかは戦から退かなければならないことは承知していた」


 その言葉は、エルフナルドにとって何度も胸の奥で反芻してきた現実だった。

 


 ――アルジール国にはかつて、三人の王太子がいた。

 第一王太子のリヒターは、幼少より聡明で、成人後も周囲からの信頼は厚く、王位を継ぐ者として期待されていた。

 第ニ王太子であるエルフナルドは、王太子でありながら、騎士団に所属し、騎士団長を務めるという異例の立場にあった。

 第一王太子のリヒターと第ニ王太子のエルフナルドは、アシュリー王と王妃との間に生まれた子であった。

 王妃はかつて西の国の王女であり、アルジール国との同盟を結ぶためアシュリー王と婚姻を結んだ人物だった。

 しかし王妃は、リヒターが十歳、エルフナルドが四歳の頃に亡くなった。

 一方、第三王太子のフレドリックは、アシュリー王と、かつて踊り子であった妾との間にできた子であった。

 その出自ゆえに、王宮内では疎まれる存在となり、妾であった母もまた、同様の扱いを受けていた。 

 王妃が亡くなった後、フレドリックの母が新たな王妃になるのではないかという噂も立ったが、アシュリー王がフレドリックの母を王妃とする事はなく、新たな王妃を娶ることもなかった。

  

 エルフナルドは、幼い頃から、王に就くのは第一王太子である兄リヒターであり、自分はその側近として、あるいは護衛騎士として国を守るのだと信じて疑わなかった。


 しかし約三年前。

 リヒターは何者かによって暗殺され、命を落とした。


 その犯人がユーハイム国の者ではないかという噂が、密かに囁かれるようになった。

 表向き、ユーハイム国への戦争は資源確保のためとされていたが、実際には兄の死に対する報復として仕掛けられた戦争であった。

 当然、エルフナルドは前線に立ち、戦争に参加するつもりでいた。

 しかしそれを止めたのはアシュリー王だった。


「リヒターが亡くなった今、次期王となるのはお前だ、エルフナルド。フレドリックではまだ若すぎる。王は務まらん。お前はこの戦には参加せず、国に残れ」

「お待ち下さい、父上。私が戦の指揮を取らずして、誰が指揮を取ると言うのですか? サリトスも別の国での職務のため、この戦に参加することができません」


 アルジール国の騎士団には、エルフナルドのほかに、サリトスという騎士がいた。

 サリトスはエルフナルドに引けを取らぬ実力を持ち、これまで数多の戦争に共に参加し、その功績はいずれも目覚ましいものだった。

 だが約半年前から、隣国との情勢を整えるため、サリトスは国を離れている。

 騎士団には他にも腕の立つ者はいた。

 それでも、全体をまとめ上げ、戦況を掌握できるほどの力量を持つ者がどれほどいるのか――

 エルフナルドは、その点を密かに危惧していた。


「父上! 私が団長として率いて、今回の戦、早々に片付けてみせます」

「ならん!!」


 エルフナルドの言葉を遮るように、アシュリー王が大声で怒鳴った。

 玉座に座るその姿は、もはや父ではなく、王そのものだった。


「次期王が戦の前線に立つなど、あってはならぬ。お前を戦に行かせることはできん。お前が行かずとも、この国が負けることはない」

 

 捲し立てるように言われたエルフナルドは、静かに唇を噛みしめ、やがて静かに頷くしかなかった。


「……かしこまりました、陛下」

 


 それから間もなく、アルジール国はユーハイム国へ戦争を仕掛けることとなった。

 エルフナルドの危惧していた通り、戦争は予想以上に長期化した。

 その間、エルフナルドは何度もアシュリー王の元に訪れ、戦争に参加させてほしいと願い出たが、どれほど戦況が長引こうとも、王が首を縦に振ることはなかった。


 そして三年後――

 ようやく、アルジール国は勝利を手にする。



 

 ユーハイム国が敗戦を宣言した日の夜。

 エルフナルドは、アシュリー王の執務室へ呼び出された。


「お呼びでしょうか、陛下」


 エルフナルドは、王の前に跪き、深く頭を下げた。


「エルフナルド、今回の戦が始まる前に、お前を次期王にすると告げたことは覚えておるな?」

「当然でございます、陛下。そのため、私は戦から退き、兄上の執務を引き継いでおりました」


 今さら何を、と内心苛立ちながら、エルフナルドはやや強い口調で答えた。

 しかし、アシュリー王は気に留める様子もなく静かに続けた。


「お前に王位を譲るにあたり、もう一つ条件がある」


 エルフナルドは、頭を下げたまま、視線だけを王へと向けた。


「ユーハイム国の姫を娶れ。それが条件だ」


 思わず、エルフナルドは頭を上げた。


「なぜですか! 敗戦国の――」

「質問は受け付けん」


 冷たく言い放たれ、エルフナルドは言葉を飲み込む。


「…………かしこまりました、陛下」


 再び深く頭を下げたその手は、血が滲むほど固く握りしめられていた。


 ――これは、王になるための選択だ。

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