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2 姫の旅立ち

 翌日、ユリアは御者と護衛騎士、わずかニ名だけを従えてアルジール国へ向かった。

 アルジール国へは小高い山を三つほど越えなければならず、到着までにはおよそニヶ月かかると見込まれていた。

 

「ユリア様、本当によろしいのですか?」

 

 声をかけたのは、ユリアが戦争に出るたび護衛を任されてきたセルビアだった。

 

「アルジール国は、未だによく分からない国です。あのような大国が、いくら資源が豊かだからとはいえ、なぜあのタイミングで我が国に攻め入ったのでしょうか」


セルビアの声には、困惑と不安が滲んでいた。


「しかも、ヘレン団長がいたとはいえ、あの大国が我が国との戦に三年もかかるなんて……未だに信じられません」


 ユリアは静かに目を伏せる。

 そして、ゆっくりと、しかし確かな声で答えた。


「大丈夫よ、セルビア。戦争を終わらせるためには、私が嫁ぐことも条件のひとつだったのだから」


 一呼吸置き、視線を遠くに向けて言葉を続ける。

 

「お兄様が亡くなった以上、戦争を続けても被害が増えるだけ……。でも、やっぱり、最初から戦争を受け入れず、全面降伏すべきだったと思うわ」


 ユリアは悲痛な表情を浮かべ、両手をぎゅっと握りしめて目を閉じた。


「そうしていれば、お兄様も、他の兵士たちも命を落とさずに済んだのに……」


 ユリアは小さく息をつき、視線を遠くの山並みに向けた。

 風が頬を優しく撫で、冷たさと温もりが入り混じる中で、胸の奥の痛みをそっと抱きしめるようにして座っていた。

 



***

 

 戦争が始まる前の夜、ユリアとヘレンは話をしていた。


「お兄様、やはり今回の戦い、受け入れるべきではないと思います」


 ユリアは手のひらをぎゅっと握り、声を震わせながら続けた。


「辛くはありますが、降伏するべきです。……あの大国の力は凄まじいと噂されています。いくらお兄様でも、危険すぎます」

 

 胸が押し潰されそうな思いで、視線を床に落とす。


「あの大国の力が強大なことくらい、私もわかっている……」


 ヘレンはゆっくりと視線を落とし、言葉を続けた。

 

「しかし、降伏したところで国の者たちはどうなると思う? 降伏した者は皆、奴隷として生きるしかないのだ。お前も知っているだろう?」


 ヘレンは一瞬言葉を切り、視線を伏せた。

 ユリアもまた、戦場に立つたび、敗れた者たちの行き着く先を目の当たりにしてきた。

 

「……ですが、お兄様」

 

 震える声で問いかける。

 

「危険が高いと分かっていて……お兄様は、怖くはないのですか」


 胸の奥が押し潰されそうな想いで、ユリアは手を握りしめ、必死に声を振り絞った。


「何もせず見ているだけなど、私にはできない」

 

 ヘレンは目を閉じ、肩の力を抜くこともできず、苦痛に顔を歪めながら続けた。

 

「信頼してきた仲間たちが自由を失い、お前のように息を潜めて生きることになる……。それの方が悔しくて、怖くてたまらないのだ」


 視線を遠くに泳がせ、握った拳を確かめるように手元で力を入れる。

 

「何より……私にもっと力があれば、お前を自由にしてやれたかもしれない。そう信じ、力をつけてきた。それなのに、さらにお前のような者を増やすというのか? 私にはできない……」


 その言葉を吐き出したあとも、ヘレンの肩は小さく震え、握りしめた拳の熱が冷めることはなかった。


「でしたら、私も戦に――」

「だめだ!!!!」


 ユリアの言葉を遮るように、ヘレンは声を荒げた。

 張り詰めた空気の中、ふたりはしばらく互いの目を見つめ合っていた。

 ヘレンの視線は揺らぐことなく、強く前を向いている。

 ユリアは、握りしめていた手をそっとほどいた。

 胸の奥に残る悔しさに唇を噛みしめながらも、兄の決意から目を逸らすことなく、静かに一礼する。


 それ以上、言葉を重ねることはなかった。

 


 ヘレンと言葉を交わしたのは、この日が最後となった。


 

 ヘレンは戦場で、幾度となくティーン国の人々のヒーリングの力に助けられてきた。

 そして同時に、力を失い命を落とす場面も数多く目にしてきた。

 そのため、唯一生き残ったユリアの力を使うことに躊躇していた。

 反発する者も多かったが、ヘレンが団長になったことで、その数は次第に減った。

 しかしヘレンが不在の際、兵士たちは皆ユリアの力に頼り、周りに群がった。

 ユリアが力を失ったとき、人々は絶望し、彼女を非難した。

 幽閉される頃には、誰も彼女に近づくことはなかった。

 ヘレンは、何度も王に懇願し、ユリアを外に出そうとしたが許されなかった。

 戦争から戻るたび、彼は幽閉されたユリアの部屋を訪れ、「出してやれず、すまない…」と、謝った。


 


***


 ユリアは馬車の窓から外を見た。

 間近にアルジール国の王宮が見えてきていた。

 ユーハイム国の王宮も大きかったが、比べ物にならないほどの威容であった。

 王宮の門の前で馬車が止まると、ユリアは馬車から降りた。


「セルビア、ここまで護衛をしてくれてありがとう」

「とんでもございません」


 ユリアはセルビアを見上げ、言葉にできない感謝を心に染み込ませた。

 

「ここからはひとりで行くわ」

「……承知しました。どうぞお身体にお気をつけください」


 2人が最後の言葉を交わすと、セルビアは深く一礼し、馬車に戻って帰路についた。

 ユリアは御者とセルビアの乗る馬車が見えなくなるまで、その姿を見送った。


 ――ここから先は、誰も守ってはくれない。


 間近にそびえ立つアルジール国の王宮を見上げ、ユリアは小さく息を呑んだ。

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