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28 ルトア国への招待

 アリシアの怪我は、王宮医官たちのおかげですぐに良くなり、王宮にはまた穏やかな日常が戻りつつあった。

 その夜もユリアは寝室で、エルフナルドの到着を待っていた。

 書庫から借りてきた本を一冊読み終えた、ちょうどその頃――

 エルフナルドは静かに寝室へ入ってきた。


「今日は、何の本を読んでいるんだ?」


 すぐ側で声を掛けられるまで、ユリアはまったく気付いておらず、思わず「ひゃっ」と小さな声を上げた。

 慌てて振り向き、声の主がエルフナルドだと分かると、急いで本を置いて立ち上がる。


「も、申し訳ありません! 本に夢中になってしまって……お出迎えもせず、失礼いたしました」


 深く頭を下げるユリアに、エルフナルドは気にした様子もなく答えた。


「構わない。そんなに集中するほど、面白い本なのか?」


 エルフナルドは床に置かれた本を拾い上げ、表紙に目を落とす。


「この国の歴史書を読んでおりました。今後、必要になることもあるかと思いまして……」


 ユリアは控えめに、少し自信なさげに答えた。


「歴史、か……」


 本をぱらりとめくり、首を傾げる。


「嫁いだ国のことを知るのは、大切なことだと思います。こうしてお世話になっているのに、何も知らずにいるのは……申し訳なくて」

「……お前は、相変わらず真面目だな」


 ぽつりと呟き、本をユリアへ返した。


「アルジール国は、ルトア国と昔から深い関係にあるのですね。ユーハイムにいた頃、ルトアは小国ながら、一度も戦争に負けたことのない国だと聞いたことがあります」


 その言葉に、エルフナルドはユリアへ視線を向けた。


「その通りだ。アルジールとルトアは約百年前に同盟を結んで以来、争いは一度もない。ルトアからは原油を、アルジールからは穀物を取引している。晩餐会を定期的に開くほど、密接な関係だ」

「とても長く、信頼し合ってきた国なのですね」


 その言葉とは裏腹に、エルフナルドの表情は硬いままだった。


「……実は、そのルトアから、急に晩餐会の招待状が届いた」


 エルフナルドは少し険しい表情で、ユリアに封書を差し出した。


「三日後だ。いつもは一か月前には知らせが来るのだがな」

「三日後……!? それは、随分急でございますね。ルトア国までは、どのくらいかかるのですか?」

「馬車で行けば、四日はかかる」

「そ、それでは……もう出発しても間に合いません!」


 思わず立ち上がるユリアに、エルフナルドは小さく笑った。


「お前がそんなに慌ててどうする」

「……す、すみません」


 言われて我に返り、ユリアはそっと椅子に腰を下ろす。


「今回は、お前も招待されている。私とお前が結婚したことが、ルトアにも伝わったらしい」

「わ、私も……?」


 驚きつつも、ユリアはすぐに頷いた。


「もちろん、お供いたします。ですが……移動は?」

「馬で行く。最短の山道を使えば、一日もかからない。急な招待だから、衣装や装飾品は向こうで用意すると書いてあった」

「そういうことでしたか……安心いたしました」


 胸をなで下ろすユリアに、エルフナルドは少しだけ表情を緩めた。


「慣れていない者には、少し厳しい道のりになるが――」

「とんでもありません。とても楽しみです!」


 迷いのない笑顔に、エルフナルドは拍子抜けしたように苦笑した。

 その夜、いつものように長椅子で眠ろうとするユリアに、

「明日は長旅になる。今日はベッドで休め」と促したが、ユリアは首を横に振った。


 結局――

 夜中、いつものように長椅子から床へ落ちていたユリアを、エルフナルドが黙って抱き上げ、ベッドへ運ぶ。


「……本当に、毎晩のことだな」


 ――こいつは、自分が運ばれていることに、本当に気付いていないのか。

 

 目を覚ます気配もなく、すやすやと眠るユリアを見下ろし、エルフナルドは小さく呟いた。


 次の日、簡単に身支度を整えたユリアは、王宮の門の前へと急いだ。

 すでにエルフナルドは到着しており、傍らにはカリルと、護衛騎士と思しき人物が一人立っていた。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません」


 ユリアは小走りで駆け寄り、頭を下げて謝罪した。


「構わない。紹介しよう。こちらが護衛騎士のサリトスだ」


 エルフナルドは隣に立つ男を横目で見ながら告げた。


「騎士団所属のサリトスだ。普段は国境警備に就いている。今回は陛下と王妃様の護衛を任されている。よろしく頼む」

「ユリアです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 挨拶を終えたユリアは、ふと三人の背後に視線を向けた。

 そこには三頭の馬が、静かに待機していた。


「あちらの馬で向かうのですね!」


 久しぶりの馬を目にし、ユリアは思わず声を弾ませると、そのまま駆け寄った。

 ユーハイム国にいた頃は、戦争に赴くたび馬に乗っていたが、城に幽閉されてからは、乗馬の機会など一切なかった。

 そのため、懐かしさと嬉しさが一気に込み上げてきたのだった。


「私はこちらの馬でよろしいのでしょうか?」


 そう問いかけながらも、返事を待つ前に――

 ユリアは一瞬だけ馬の背を確かめ、そのまま何の迷いもなく、軽やかに跨ってみせた。

 馬上から振り返ると、エルフナルド、カリル、サリトスの三人が、揃って目を丸くしてこちらを見ていた。


「あれ……? すみません、こちらの馬ではなかったでしょうか?」


 三人の反応に気付き、ユリアは慌てて降りようとしたが、その瞬間――


「はははっ!!」


 サリトスが大きな声で笑い出した。


「姫はずいぶん大胆だな! 一人で馬に乗るとは。そんな女、初めて見たぞ!」


 ガハハと腹を抱えて笑うサリトスをよそに、エルフナルドとカリルはまだ驚いた表情のままだった。

 その様子を見て、ユリアはようやく「やってしまった」と理解する。


「あの……ユーハイムにいた頃、乗馬が趣味でして……」


 消え入りそうな声で弁解してみたものの、三人がどこまで信じてくれたかは分からなかった。


「お前は私と二人乗りだ。その馬は、カリルとサリトスが一頭ずつ使う」


 エルフナルドはそう言って、馬から降りるよう促した。


「姫が一人で乗りたいなら、俺がカリルと乗ってもいいぞ」

「い、いえ! 私が陛下とご一緒いたします……!」


 サリトスのからかうような提案に、ユリアは勢いよく首を横に振り、馬から降りた。

 エルフナルドが馬に跨ると、上からユリアへ手を差し出す。


「……手は、いらないかもしれないが」


 わずかに笑みを含ませた声だった。


「いえ……ありがとうございます」


 ユリアは遠慮がちにその手を取り、馬に乗った。

 先ほどまでの大胆な行動を思い出し、今さらながら恥ずかしさが込み上げ、頬が熱くなる。


「では、参ろう」


 遠くで雷が光り、山道の先に不穏な天気が広がっていた。

 ユリアはそれを、黙って見つめていた。

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