9 アルジール国の庭園
「こちらからは夕日がとても綺麗に見えるんですよ。この西棟は、王宮で一番よく夕日が望めます」
そう言って、アリシアはバルコニーのカーテンを開いた。
「まあ……本当に素敵」
「奥には庭園も見えるのですが……近頃は手入れする者がおらず、少し荒れてしまっていて……」
指差された庭園を見て、ユリアは首を傾げた。
「庭師の方はいないの?」
「いらっしゃいますが……あの庭園は、十五年ほど前からリヒター様――陛下のお兄様の専用庭園だったそうで」
「陛下にはお兄様がいらっしゃるのね。そのお兄様は?」
一瞬だけ、アリシアの表情が曇った。
「三年ほど前に亡くなられました。それ以来、手入れを試みても、上手く育たず、草花がすぐ枯れてしまったようなのです」
「上手く育たない……? 普通の草花と違うのかしら……?」
胸の奥に、言葉にできない引っかかりが残った。
ユリアはしばらく庭園から目を離せずにいた。
「ねえ、アリシア。あの庭園を見せてくれない?」
アリシアに案内され、ユリアは庭園に足を踏み入れた。
足を踏み入れた瞬間、ユリアは思わず足を止めた。
庭園を見渡すと、そこに植えられているのは、一般的によく目にする花や草とは明らかに異なるものばかりだった。
多くは枯れ、葉は色を失い、手入れが途絶えて久しいことが一目で分かった。
それでもよく目を凝らせば、まだ生き残っているものや手を入れれば息を吹き返しそうなものも混じっていた。
「……アリシア、これ……薬草だわ」
ユリアはしゃがみ込み、足元に生えているひとつをそっと手に取った。
「だから、普通の庭師では管理できなかったのね」
その言葉に、アリシアは目を見開いた。
「薬草、でございますか!? ……薬草には毒を含むものも多いと聞いております。どうか、お気をつけくださいませ」
思わず身を乗り出すアリシアに、ユリアは穏やかに微笑んだ。
「大丈夫よ。ユーハイム国にいた頃、薬草を育てていた事があるの。専門家とまでは言えないけれど……基本的な知識なら、あるつもりよ」
「そうでいらっしゃいましたか……」
アリシアは感心したようにユリアを見つめ、静かに頷いた。
「この王宮に、薬師の方はいらっしゃらないの?」
ユリアがそう尋ねると、アリシアは少し考えるようにしてから答えた。
「三年前ほど前までは、数名の薬師が王宮に常駐しておられました。しかし今は、王宮から一番近い町へ拠点を移されているそうです」
「そうなの……」
「王宮には王宮医官がおりますので、その医官から依頼があった際に、薬師が薬を携えて王宮へ参られる形になっております。ただ……」
「ただ?」
「依頼がなくとも、時折、王宮の薬事室へ顔を出されることがある、と聞いたことがございます」
「その薬事室は、どこにあるの?」
ユリアは庭園ごしに王宮の建物を見渡しながら問いかけた。
すると、アリシアは庭園の奥を指さした。
「この庭園の先でございます。あのブルーの建物が書庫で、その隣に続いているのが薬事室です」
「書庫もあるのね!」
思わず声を弾ませ、ユリアは指差された方向へ歩き出した。
「ねえ、書庫には入ってもいいの?」
「陛下より、西棟の範囲であれば、王妃様は自由に行動してよいと仰せつかっておりますので、問題ないかと……」
「それなら、少しだけお邪魔させてもらうわね」
そう言って、ユリアはウキウキした足取りで書庫へ足を踏み入れた。
中に入った瞬間、ユリアは思わず息を呑んだ。
壁一面に並ぶ本――これまでに目にしたことのないほどの貯蔵量だった。
「……すごい量ね」
「リヒター様が本がお好きで、さまざまな国から集められていたそうですよ」
ユリアは棚の間を歩き回りながら、興味津々といった様子で一冊、また一冊と手に取った。
「見たことのない本ばかりだわ。ねえ、アリシア。何冊かお借りして、お部屋で読んでもいいかしら?」
振り返ってそう尋ねると、目は期待で輝いていた。
「もちろんでございます。ユリア様は本がお好きなのですね。でしたら、私がお持ちいたします」
「まあ……。自分で読む本なのに、人に持たせるなんてできないわ」
驚いたように言うユリアに、今度はアリシアが目を丸くした。
「ユリア様は……本当に、お姫様らしくないお方ですね」
ユリアは小さく苦笑しながら、本を抱え直した。
「アリシアは、どんな本が好きなの?」
「……私は文字が読めないので。本を読むことはありません」
一瞬、伏せられた視線の後、アリシアはすぐに微笑みを浮かべた。
「ですが……、お給金がもう少し貯まったら、文字を習いたいと思っているんです」
「そうなの」
「ニ年ほど前に、王宮付きの侍女にしていただいたばかりで……。戦争で両親を失い、村もなくなり、行くあてがなかったところを、陛下に拾っていただきました。私以外にも、同じように陛下に拾われた侍女が何人かおります」
その話を聞きながら、ユリアは昨夜のエルフナルドの冷たい言葉を思い出していた。
「……陛下は、本当はお優しい方なのね」
ぽつりと零したその言葉に、アリシアは小さく頷いた。
「ねえ、アリシア。あなた、文字を習いたいのでしょう?」
ユリアは少し身を乗り出し続けた。
「だったら、私が教えるのはどうかしら? 私にできる仕事がないなら……そのくらいは、きっと許されると思うの」
「な、なりません!」
アリシアは勢いよく首を振った。
「そんなことを、王妃様にしていただくわけには……」
「雑用じゃないし、王妃の威厳には関係ないでしょう?」
食い下がるユリアに、アリシアは一歩後ずさりし、悩ましげに唇を噛んだ。
「ですが……」
「夕方のティータイムにしましょう! それなら自然だわ。ね? 私、なんだか楽しくなってきちゃった!」
まだ首を縦に振っていないアリシアをよそに、ユリアはすっかり上機嫌だった。
自分にできることを見つけた嬉しさに、その後もユリアはしばらくはしゃぎ続けていた。
「……本当に、お姫様とは思えません」
アリシアはそう小さく呟きながら、ユリアの無邪気な横顔を、どこか誇らしげに、そして微笑ましく見つめていた。




