私はその時まで、言葉が刃物だと知らなかった。
いじめ。
最近は、大勢で特定の個人をいたぶることをそう呼ぶらしい。
ならば、私たちが彼女にしていた行為は、いじめになるのだろう。
中学時代のことだ。
教室にはいくつかのグループができていた。私はその中で、クラスの中心的なグループの一員だった。誇らしい、そんな感情を抱いていた記憶がある。どのグループに属するか、それは中学生の私にとって学校生活の質を左右する重大な選択だった。
クラスの中心人物が集うキラキラグループ。地味な私がそこに入れたのは奇跡に近かった。
そんな私たちは、グループ外のある女子を嫌っていた。
確かイニシャルはY。陰口がいじめに発展するまでにそれほど時間はかからなかった。
毎日、放課後に彼女を屋上に呼び出しては、いたぶった。
言葉で、体で。陰湿な暴言とちょっとした暴力が飛び交った。
ごみ。かす。しんじゃえばいい。もう学校くんな。
つきとばしたり、軽くひっぱたいたり。
なんとなく罪悪感はあった。私は主に暴言担当だ。でも、私自身は暴力には加担していなかったし。そういう免罪符をもちつつ、放課後の小一時間を粗末な慰みにしていた。
その子が自殺した。
私はショックを受けた。放課後のアレが、人の命を奪うかもしれないものだなんて考えたこともなかった。
彼女の遺書にはちゃんと私の名前もあった。ひどいことを言われる、そう書かれていた。
グループの全員とも、先生にこっぴどく叱られたけど、今と違って、警察沙汰みたいな大きな問題にはならなかった。先生が、学校が、もみ消してくれたみたい。
グループの中には説教が終わったそばからヘラヘラしてる子もいたけど、私はちゃんとショックを受けていた。
自分の言葉があの子を殺した。言葉は人を殺せるものなんだ。あの子を追いつめたものの中に、確かに私の暴言もあったんだ。
その時初めて、言葉は刃物なんだと気づいた。
人が死んでからじゃ、遅すぎたかもしれない。でも、私の周りは気づいてないやつだらけだった。少し安心した。グループの中では私が一番マシだったから。
そして、安心したのもつかの間。
次は私が標的になった。
私は最近調子に乗っている、らしかった。
そんなふうに言いつつ、彼らが何も考えていないことは知っていた。ずっと毎日一緒にいたんだから、それくらいは理解できた。
放課後、屋上に呼び出されるのは私になった。
私はあのグループの一員じゃなくなったんだと分かった。私はサンドバッグ。ストレス発散用のおもちゃになった。あの子のように。
人というのは意外と単純で、便利なおもちゃがなくなったら、身内の中でいちばんおもちゃに近いもので代用するらしい。クラスの中心メンバーがそうなんだから、他の誰かに助けを求めても無駄だなと思った。
夕暮れの屋上。
言葉のナイフが私を刺した。軽い暴力がひどく私を痛めつけた。
そこで一つ、気づいたことがあった。
言葉は刃物。あの子の死で私が悟ったこと。
彼らは知っている。言葉が刃物だと知っている。知っているのに、振りかざすんだ。深く刺さるように、逆手に持ったりなんかしちゃったりして。
言葉。
私にとっては、安易に扱ってはいけない骨董品。
彼らにとっては、お手軽な凶器。
使えば使っただけお得だと思ってるんだ。
私は彼らとは違う。特別に顔がいいわけじゃないし、スポーツや勉強ができるわけでもない。雰囲気がキラキラしているわけでもない。
違った。根本から違うんだ。性根とか、生まれ持った倫理観とか、そういう心の奥の奥から。真っ黒なんだ。私はずっとこんな人たちとつるんでたんだ。
毎日の遊戯。言葉遊び、体遊び。それでナイフを使えちゃう人たち。
こんなやつら。
こんなやつら。
死んでしまえばいい。
夕焼けが綺麗だった。
私がナイフを取り出すと、腕を組んで勝ち誇っていたまゆみちゃんが固まった。「なんで…」そんな声が聞こえた気がした。私は泣きながら、ナイフを振るった。
そんな私が今、母校の中学で教師をしているのだから驚きだ。
目の前に、分かりやすくひねくれた顔が4つ並んでいる。職員室の前の廊下だ。私が受け持つクラスで、いじめを行っていた生徒たちだった。被害者の子から聞き出した主犯の4人。そして昨日、その子が倒れていた教室から逃げ出していった4人。
あの日からずっと考えている。いじめを解決する方法とは何か。
大人に助けを求めることか? 親まで巻き込んで警察沙汰にすることか。それとも、被害者に報復させることか。
いまだに私の中で答えは出ていない。
一つ言えるのは、いじめをする人間は屑だということ。
おっと、もう一つ言えることがある。
目の前に4人の子供が並んでいる。中学2年生、13、4歳の子供。かれこれ20分近くしらばっくれている。いじめの証拠を突き付けた途端にだんまりを決め込んで、そのまま。そのくせ逃げ出しはしないのが子供臭くて嘆息する。
「なあ先生、やってないって言ってんだろ」
「証拠もないのに……」
証拠はとうに出ている。が、この子はそういう意味で言っているのではない。早く解放してほしいだけだ。私はため息をつく。
「クラスのみんなに聞いたのよ。君たち4人がやってるって。いい? いじめは犯罪。警察に突き出せば逮捕されるんだから」
私は常套句を吐く。4人はにやにやと私を見上げる。
「できないでしょ」一人がぼそっと言った。
らちが明かない。何も進まない。
何度もため息をつく。頭の裏がひりつく。いけない。自分がしようとしているのは、決してやってはならないことだ。
もう一つ証拠を出して様子を見るべきかと思案する。被害者のスマホの録音データを預かっている。
内容はもちろん何度も聞いた。ひどいものだった。
これは私の主観だ。何の論理的帰結があるわけでもない。しかし、断言できる。
この子たちは言葉が刃物だと知っている。その上で、行使している。
かつて私が心底嫌悪し、いたぶられ、切りつけた人間の屑。
この全文をネットや雑誌に送って世間を巻き込むという手もあるにはある。でもそれではだめだ。私が首になっても、校長が首になっても、目の前の問題は解決しない。
被害者の顔につけられた傷を見た。私が受けたいじめなどとは比べ物にならない。あれはカッターナイフでつけた傷だ。
痛かっただろう。苦しかっただろう。録音など、まさに決死の覚悟だったはずだ。
結局、この手が一番確実なのだ。
脳裏によみがえる記憶。私の人生で唯一の成功体験。
それは間違いなく最悪の選択だったけれど。
「私、全部知ってるの。まだ昼休みなんだから、静かなところでなら話せる?」
生徒指導室に4人を招き入れる。ソファーに腰かけるように促す。
公立中学には珍しく、この部屋には防音加工が施されている。叫んでも喚いても、外には聞こえない。
「なあ、だからやってねぇって」
リーダー格が先程より一回り大きい声を出す。余裕そうでいいことだ。
私はカッターナイフを取り出した。
5限の始まりのチャイムが、校内放送の開始音と重なった。
『……、以上の4名の顔を、カッターナイフで切りました。彼らが同級生に対してやった行為と同じものです。この子たちの他にも、この学校内でいじめを行っている者を41名知っています。罪の意識がある者はすぐに被害者に謝罪をしなさい。残りの者は、自分がもはや人でなくなったことを自覚しなさい。待っていなさい、私が絶対に、被害者と同じ目に合わせます。何年かかっても絶対に居場所をつきとめて、同じ目に合わせます。繰り返します。……』
放送室の扉が乱暴に叩かれている。何人もの先生のヒステリックな声がわずかに聞こえている。
ふっと息を吐く。椅子にもたれかかり、伸びをする。
結局、私にできるのはあんなことだけだ。中学時代と同じことを繰り返している。私はあの頃からちっとも成長していない。きっと彼らもそうだろう。私たちはあの時点で、若くして悪意に染まった時点で終わっている。健全、健常、そんな当たり前のことから、15の身空ですでに取り残されていたのだ。
生徒指導室は、あの日の屋上のように真っ赤に染まっていた。
懐かしい、と思ってしまう。異常だと分かっている。けれど私は今、あの日が懐かしい。
窓の外を見る。夕焼け。赤く温かい、あの日の色彩。
私はもう引き返せない。戻れないところまで来てしまった。
でも、大丈夫。彼らには次がある。
あの子たちは、自分の命が危険になったら涙を流して命乞いができる子だ。
彼らの次に期待したい。