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魔狼が出現しました


 本来なら森の最奥で動かないはずのボスの出現。想定外の事態に兵士の方々はそれでも機敏な反応を見せます。

「姫様の周りを固めろ! 撤退戦! ボスには二分隊で当たれ!」

「「「応!」」」

 辺りを取り囲む狼の群れに襲い掛かる隙を与えないように、迅速に陣形を固めていきます。

「姫様」

 部隊長が重い声で告げます。

「撤退いたします。我らを殿(しんがり)にお下がりくださいませ」

「いえ、撤退はできないでしょう」

 自らの命を挺しての撤退宣言。しかしそれを拒否します。

「あの魔狼の狙いはあくまで私のようです。背を向けた瞬間食い破られることでしょう」

 魔狼の視線は鋭く私に向けられています。獲物を狩る狩人としてではなく、憎くて仕方がない敵を見るような怒りと怯えが混ざったそれを。危険度でいえば武器を持っている兵士の方々のほうが高いにもかかわらずです。

 そして私の本能が警鐘を鳴らしています。魔狼の周囲に漂うあの禍々しい(もや)は、相容れない敵であると。故に打倒しなくてはならないという、使命感とも言える感情がどこからか沸き起こっているのです。

 これは臆病で逃げたがりな私自身の持つ感情ではきっとありません。何かによって強制的に植え付けられた生存本能のようなもの、そしてそれは恐らく魔狼も同じ。

 聖女の力か、魔王の遺伝子か。どちらかはわかりませんが、とにかく私に宿るそれを感じて魔狼は現れたのだと直感します。

 もしここで私が後ろに下がれば、魔狼が私を追いかけてきたときに後方をさらに混乱させることになるでしょう。そもそもこの状況が想定外です。最悪の場合、森の外側にある拠点まで魔狼が来ても不思議ではありません。

 そうなれば多くの死傷者が出るでしょう。私の力でも助けきれないほどに多く。

 決して許容できないことです。

 私は死にたくありません。ですがそれ以上に自分が逃げることで人を死なせたくありません。もしそうなれば、きっと一生死ぬほど後悔し続けることでしょう。

 二度目の生を偶然賜った私とたった一度の生を生きる人達のどちらが生きるべきかなど、考えるまでもありません。

 

「《どうか彼らに御力を》」


 戦闘に先駆けて身体強化を先ほどより強く兵士の方々に掛けます。私の祈りに応じて辺りを青い粒子が舞うと、魔狼の目が一層鋭くなり私の頭ほどはあろうかという牙を剥きだしにしました。

 魔狼が恐れているのは聖女の力ということでしょうか。……考えるのは後にしましょう。

 先ほど響いた緊急事態を報せる鐘の音によって、カリレア卿達には緊迫した状況が伝わっていることでしょう。後方には中層の攻略に向けて予備戦力が十分備えられていますから、増援が来るまでそう時間は掛からないはずです。

 彼我の戦力差を見るに、ここでボスを討伐するのは不可能です。しかし時間稼ぎであればまだ望みがあるでしょう。

「増援が来るまで持ちこたえます。皆様が私の命です。死なせませんが、私を守るというのであれば死なないでください」

「姫様!」

「ここで下がれば、より状況が悪化します。私を信じて」

 じりじりとにらみ合う部隊と狼の群れ。張り詰める緊張の糸は今にも千切れ、口火が切られてしまいそうな鉄火場の空気。

「私は皆様を信じています」


 巨大な狼たちが私の周囲を囲む兵士に次々と飛び掛かります。盾で防ぐ重い音、武器で受けとめる甲高い金属音が辺りに激しく響きます。

光よ、彼の者に癒しを(ヒール)

「《どうか彼の者を救いたまえ》」

 ソーニャさんと私は状況をよく観察しながら、怪我を負った兵士の方を回復していきます。軽傷は彼女、重傷以上は私という分担。

 魔狼は戦闘を一段後ろで観察しており、機を伺っているようです。いつ魔狼がその牙を剥くのか、こちらも常に警戒せざるを得ません。

 膠着状態に陥った戦況、ここまではこちらの目論見通りに動いていると言えるでしょう。

 ただ魔狼が戦闘に参加して来たとき、状況はどう動くのか。なぜ魔狼は戦闘に加わらずこちらを見ているのか。

 それを考えながら私たちは戦わなければならず、不気味という他ない魔狼の行動がこの戦闘を支配しています。

 辺りには戦闘の中で死骸となった狼が転がり、むせ返るほどの血の匂いが満ち始めました。

 しかし狼の数が減っている様子はなく、木々の影から次々に襲い掛かってきます。兵士の方々は被害を抑えながら攻撃を処理し続けていますが、ずっと続けるのは無理でしょう。

 木漏れ日は未だ明るく、森の中の暗闇という魔狼たちに有利な状況が訪れるにはまだ時間があるようです。

 魔狼が待っているのは何でしょうか? 夜はまだ遠く、狼とて無限に湧いてくるわけではありません。ただの持久戦であれば、それこそ魔狼が戦闘に加わればこちらの消耗を狙えるはずです。

 増援を想定していないことはないでしょう。魔狼は知性あるボスとして知られており、鼻も利く種族です。私たちよりも戦線の状況を理解していてもおかしくありません。

 そもそもこの戦闘を仕掛けるに当たって私たちが孤立した状況を作った時点でその知性の高さは侮れないものなのです。完全に魔狼に有利な状況を作り上げたのに、なぜ動かないのか?

「ぐわあ!」

「《どうか彼の者を救いたまえ》、まだ戦えますか!?」

「全然平気ですぜ! すぐに治してもらえる戦いなんて死ぬほどありがたいのに、へこたれてらんねえです!」

「よかった! まだ気は抜けませんよ!」

「姫様こそ慣れない戦いでしょうに!」

「死にかけるより怖くはないですから」

「はっ! 上がそれなら頼もしいや!」

 戦いながら軽口を交わせる以上、この状況にあってもこちらの士気は全く下がっていないと見えます。兵士の方々はまだやれそうです。

 心もとないのは私の余力が想像以上に消耗していることでしょうか。魔狼が戦闘に加わることを見越して、身体強化を強めに掛けたことがじわじわと効いています。

 ……もしかすると私の消耗が狙いなのでしょうか。完全に読み合いで後手に回っています。


 ぷおおおぉぉぉ……


「姫様!増援が近づいているようです!」

 後方、そう遠くない距離で角笛が鳴り、来援を告げます。状況を鑑みるに、私たちに向けて鳴らされたものでしょう。ここにいる、来れるなら来いと。

 ですが魔狼は角笛の音を気にする様子もなく、ただ私を睨みつけています。ここで退くべきか否かの選択を、魔狼の意図が読めないまま迫られました。

「……少しずつ下がりましょう。増援と合流できれば、魔狼の動きに対処しやすくなります」

 選んだのは私たちも増援の方へ移動していくことでした。そう遠くない距離を、戦いの準備が整っている部隊に向かって移動するのであれば初めに想定した最悪の事態は避けられるでしょう。

 魔狼は想像以上に知恵が回るようです。戦いそのものに不慣れな私がこのまま読み合いをしたところで、勝ち目はないと踏みました。ここで戦う限り、全てが魔狼の掌……鋭くぎらついた爪の上です。

 不利な状況を続けるよりはこちらの選択肢が増える道を選ぶのがベターでしょう。

 私の求めに応じて、部隊は少しずつ後ろへ進み始めました。流石精鋭の方々というべきか、撤退しながらの戦いでも狼に隙を見せていません。

 魔狼は一定の距離を保ちながら私たちをゆっくりと追いかけてきます。一歩一歩と詰められても距離は変わらないはずなのに、魔狼の存在感はむしろ強くなっていくようでした。

 血の道を作るように戦いの痕に転がる狼の死骸を気にも留めず踏みつぶす魔狼。目線はずっと私に向けられたまま。

 順調なはずの撤退線なのに、汗が額を伝います。後ずさりをした私の足が、ひと際柔らかい地面を踏みました。

「! ステラ様!」

 その瞬間強い衝撃を受けた私の耳に、ソーニャさんの叫び声が響きます。激痛。下を見れば、私は宙に浮いており左足には土にまみれた狼が食らいついていました。

「いぎっ!」

 前世を通しても初めて味わう鋭い激痛でした。狼の牙は閉じ切られており、足が繋がっているかさえわかりません。

 私たちの撤退路に穴に隠れた狼が待ち伏せていたと気づいてもすでに遅く、高く打ち上げられた私はともすればこのまま落ちても死に得るでしょう。

 ですがそれよりも濃密な死、禍々しい力を漂わせる魔狼。

 どん、と大地を蹴る鈍い音に振り向いたその時には、私を丸ごと嚙み砕えてしまえそうなその巨大な口が私の眼前で開かれていました。

 

お読みいただきありがとうございます。

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