魔性女優の夜
「使えない子ね、クビにするわよ!」
わがままで有名な女優の葉山ナナがマネージャーを怒鳴りつけた。
一瞬、現場の空気が凍りつく。
「すみませんでした」
マネージャーが頭を下げたが、彼女の怒りはおさまらない。
「もういいわ、私の前から消えて!」
すごすごと彼は去って行く。
「こんな冷めたコーヒー持って来るなんて、バカにしてるわ」
葉山ナナは紙コップのコーヒーを地面にぶちまけた。どうも、それが原因らしい。
しかし、マネージャーが用意したホットコーヒーが冷めてしまったのは、彼女がセリフをとちって撮影シーンが思いの他長引いてしまったからだ。
自業自得だと皆思っていたが、誰も口には出さない。さっきまで彼女に容赦のないダメだしをしていたディレクターがなだめに来て、なんとか落ち着かせた。撮影が再会し、今度はぼくが温泉町を歩くシーンが始まった。
一日の撮影が終わり、宿に帰った時は十二時近かった。
遅い夕食となり、大広間で乾杯してから名物料理に舌鼓を打っていると、突然、ガラスの割れる音が響いた。
一同が見ると、葉山ナナが酔っ払ってグラスをひっくり返したようだ。彼女は、料理に箸もつけず、ひたすら飲んでいる。
お膳の前にはビール瓶やお調子が何本も並び、今はウイスキーのロックをがぶ飲みして、ビールグラスを引っ掛けて割ってしまったらしい。
「何よ、コップ割ったくらいどうってことないでしょ!」
大声で言う。彼女の酒癖の悪さは有名だ。これ以上飲ませると何をするかわからないので、数名のスタッフが暴れる彼女を部屋まで連れて行った。
夜中に、目が覚めて何故かコーヒーを飲みたくなった。ロビーに自販機があったはずだ。そっとドアを開けて部屋を出ると、妙なものが目に入る。
葉山ナナの部屋の扉から、空調の長いダクトのような廊下につき出ているのだ。
なんだろう?
ダクトは階段まで伸び、追っていくと、さらに下の階まで降りていた。ダクトは、厨房に入っていく。 好奇心にかられて厨房を覗いた。ダクトの先端はテーブルの上に伸びていて、そこにはウイスキーのボトルとロックグラスがある。ダクトの先についている黒い影がこちらを振り向いた。
「みぶさんも一緒に飲まない?」
ダクトに見えたのは長く伸びた首で、その先には葉山ナナの顔があった。
あれは夢だったのだろうか。
ドラマで共演しているわがまま女優葉山ナナが、深夜に首が伸びるろくろ首であることを目撃してしまった。
「おはようございます」
翌朝、旅館から出て来た彼女は、何事もなかったようにロケバスに乗り込んだ。
昨夜は飲みすぎてうるさかったし、ぼくが見たものが事実なら、夜中にろくろ首になってさらに寝酒を飲んでいたのだが、二日酔いになったふうもなくケロッとしている。
以来、ロケの最終日まで、彼女がろくろ首になっているところを見ることはなかった。やはり、あれは夢だったのだろう。
ロケ終了後、スタジオ撮影が一週間ほどあったが、そこには葉山ナナの出番はなかった。
次に彼女と顔を合わせたのは、クランクアップ後の打上パーティだった。
着飾った彼女は、ロケの時とは打って変わって機嫌が良く、スタッフに対しても愛嬌を振りまいている。
しかし、ろくろ首事件を思い出し、ぼくはあまり近づかなかった。
「みぶさん、お疲れ様でした」
葉山ナナのマネージャーがぼくにビールを注ぎに来てくれた。
「ありがとうございます。ロケの時は大変でしたね」
彼が葉山に怒鳴りつけられていたのを思い出し話しかける。
「あの時は彼女もいらいらしていたんですよ」
「何かあったんですか?」
「ええ、これを見てください」
マネージャーはスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。
金髪の若い白人男性が写っている。なかなか、ハンサムだ。
「この人は?」
「リチャード・ドナヒューさん。葉山ナナのフィアンセです。明日、婚約の会見を行う予定なんですよ」
「へえ、そうなんですか」
「会見予定が決まったので、彼女、機嫌がいいんです。彼女は機嫌が悪いとおかしくなる」
「おかしくなるって?」
「みぶさんもご覧になったでしょう。妖怪に憑依されるんです。会見が決まるまではろくろ首にでもなっていたんじゃないですか。何しろ、婚約発表の日を首を長くして待ってましたから」