9 筋肉は裏切らない
わたしは次の日の朝早く、バフバフと激しく鳴く動物の鳴き声で起こされた。
ドアの外から声が聞こえる。
『リゼ様はまだお休み中で――』
『まぁぁぁだ寝ているのか? 俺の楽しい散歩タイムはもうとっくに始まっているというのにっ!』
わたしはぱっちりと目を覚ました。
そうだった。昨日、公爵さまから新しいお仕事を言いつけられたんだ。
あわててスリッパを履き、ドアを勢いよく開け放つ。
「ごっ、ごめんなさい、寝坊してしまいました!」
「リゼ様! 申し訳ありません、このバカ犬が弁えもせず大声で――」
「バカ犬とはなんだバカ犬とは!?」
立派なもふもふの胸毛を大きくそらし、大きなわんこは仁王立ち……仁王座り? とにかく、両手両足を床についてふんぞり返った。
「俺はご主人様の契約精霊! ご主人様の最愛の愛犬にして魔狼の眷属、フェリルスだっ!!」
「――このように声も態度もデカいバカ犬なんです」
「バカではなぁぁぁいっ! 魔狼は強く賢く、すばやいのだっ!」
グルルルッと低くうなって威嚇する大きなわんちゃん。
ピエールくんはにこりと可愛く微笑んだ。
「リゼ様、バカ犬に構わず、ごゆっくりお休みになってください。散歩など三日後でも一週間後でも全然構いませんので」
「いっ、いえっ、ちゃんと目が覚めたので、お役目まっとうさせていただきますっ!」
「貴様が俺の散歩係に任命されたとかいう小娘か」
フェリルスさんがぎらりとした肉食獣の瞳をこちらに向けてくる。
直後に、フーッとバカにするように鼻から息を吐いた。
「貴様、俺のご主人様を仕留めたというからどんな豪傑かと思えば、ひょろひょろのぱやぱやではないかっ!」
「ええええっ!?」
「申し訳ありません。バカ犬の脳で一生懸命リゼ様のお立場を理解しようとしたら、そのような珍答に至ったようなのです」
「珍答ではなぁぁぁいっ! 狼の世界では強いものこそが群れを制する! 群れを制するリーダーの番はやはり強くあらねばならん!」
「まともに取り合わないでくださいませ。バカがうつりますから」
「とにかくっ! 貴様ごときひょろひょろの小娘に、俺のリードが握れると思うなよっ!!」
「フェリルス」
ピエールくんの声のトーンがものすごく低くなった。
「……ディオール様に態度が悪いと報告されたいですか?」
フェリルスさんはハッハッハッと無言で呼吸を繰り返したあと――
急に尻尾をぶんぶん振り始めた。
うるうるのおめめでわたしを見つめる大きいわんちゃん。
うっ、とってもかわいい。
「――というのはすべて軽い冗談だ!」
フェリルスさんは、自分からリードをくわえて持ってきた。
「ほれ」
リードをくわえたまま、ふがふがと喋り、黒目がちのうるうるな瞳でじっとわたしを見つめてくる。ううぅっ、かわいい、これは逆らえないかわいさ。思わずリードも受け取っちゃった。
「行くぞ小娘! 最初はゆっくり屋敷の庭を一周からだ。急がなくていいからまずは長い距離を歩くことに慣れろ」
「は……はい」
こうしてわたしは、フェリルスさんのお散歩係としてのお仕事を始めたのだった。
フェリルスさんのお散歩は大変だった。
明らかに全力疾走したそうにうずうずしているフェリルスさんを脇に従えて、わたしはできる限りの速度でどすどすと走る。
すぐに息切れを起こして、歩くはめになった。
大きなお庭を一周するころには、疲れてへとへとだった。
「よぉぉぉぉし、最初の一回はこんなもんだろう! 脆弱な人の身にしてはよくがんばったな! 褒めて遣わそう!」
フェリルスさんがアオオオオーンッと遠吠えして、わたしを褒めちぎって(?)くれた。
「しかしまだまだ俺のリードを預けるには頼りない! 俺は毎日百キロの走り込みをしている! せめてその十分の一くらいはついてこれるようにならねばな!」
「じゅっ、十キロも!?」
「千里の道も一歩からだ、小娘! 毎日続けるのだ! さあ、俺のあとに続いて復唱してみろ! 『筋肉はっ!』」
「えっ……」
「『筋肉はっ!』」
「き……筋肉は?」
「『裏切らないっ!!』」
「う……うらぎらない!」
「そぉぉぉぉぉだっ! 俺のリードを握るにふさわしい人物になれ!」
「わ、分かりました……っ!」
「よぉぉぉっし、早朝のトレーニング終わり! 続きは夕方だ!」
「ありがとうございました!」
わたしは『餌の時間だから』といそいそとどこかに行くフェリルスと別れて、自分の部屋に戻ることにした。
フェリルスさん、楽しいわんちゃんだったなぁ。
でも、これじゃどっちがお散歩されてるのか分からないかも……
せめてもう少し運動できるようにならないとダメだね。
わたしは夕方の訓練でもフェリルスさんと一緒にお庭を一周した。
本当に広いお庭で、それだけでくたくたに。
「よおぉぉぉぉっし、小娘、次なる任務を与える! この二つのたらいに、水を張るのだ! 大きい方が水浴び用! そして小さい方が明日の飲み水! 水源はそこの井戸だっ!」
フェリルスさんがどこからともなく大小の桶のセットを担いでずるずる引きずってきた。
「わっ、わかり、ました……」
わたしは疲れた身体に鞭打って、井戸の水桶に手をかけた。
直後に疑問が湧く。
あれ、そういえばフェリルスさんって魔狼で、精霊だったよね?
魔狼といえば氷の大地に住んでいる精霊だったはずなんだけどなぁ。
「フェリルスさんって水属性ではないのですか?」
「そうだとも」
「お水なら、自分で呼び出せるのでは?」
「井戸水のほうがうまい!」
味へのこだわりだったか。
それなら仕方ないねと思い、井戸に桶をばっしゃん。
持ち上げてみたら、やけに軽くて驚いた。
ああ、これ、縄に【重量軽減】の術式がかかっているんだ。
お望みの量を満たしてあげると、フェリルスさんは勢いよくお風呂用のたらいに突っ込んだ。
気持ちよさそうに派手な水しぶきをあげ、桶の縁に手と頭を乗せて浸かりモード。
「いい仕事である! こればかりは俺の肉球や牙では操れんからな!」
「……そういうことなら……」
わたしは縄に目をやった。
縄にかかっている術式を、フェリルスさんが使えるように書き換えたら、解決するよね。
魔道具の改良も、密かにわたしの得意分野だった。
わたしは縄を握ったり、水をすくってみたりしながら、改良用の術式を考えてみた。
「……こうかな?」
重量軽減の術式を圧縮して、空いたスペースに『魔力が流れると全自動で桶が落ちて、水を満たして所定の置き場所に戻ってくる』ような記述を追加。
こんなものかな、と納得のいく式ができたので、フェリルスさんに試してもらうことにした。
「ここに肉球を置いてみてもらえませんか?」
「なんだ、小娘。俺は風呂で忙しいんだが」
「手を置いて、魔力を流すと、桶がひとりでに上がってくる機構を考えました。これで一人でも好きなだけ井戸の水を汲み放題です」
「……なんだと?」
フェリルスさんのぶっとい前足が勢いよく井戸の縁にかかると、桶が落ちて、自動で水が汲まれて、上までキリキリと移動した。
「お? お? おおおお!? 小娘、やるじゃないか!」
フェリルスさんが喜んで尻尾を振り回した。
そばにいたわたしは水しぶきを浴びて、びしょ濡れになった。
「ぬあーっ!? すまん! 尻尾が言うことを聞かなかったのだ! 嬉しくてつい!」
謝ってくれたので、わたしは全然気にしないと答えた。
「詫びと礼を兼ねてだな、あとで夕飯の一番うまい骨をやる!」
「えええ、ほ、骨ですかぁ!?」
「骨はおいしいんだぞ! 健康にもいい!」
「脆弱な人間の顎ではちょっとぉ……」
「なんだとう!? 情けない種族め!」
フェリルスさんは魔狼がいかに強い種族なのかを語って、心身ともにさっぱりしてお風呂からあがった。
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