89 黒塗りの契約書
わたしはホッとして、全部の機能をオフにした。
フェリルスさんのごはんが守られた……!
「リゼさん、それ一足いくら?」
リオネルさんに改まった態度でそう聞かれて、わたしは指折り数えてみた。
「銀貨で三十……じゃなくて……二十枚……くらいに……収まると……いいなと思ってます!」
「買うわ。千人分作ってくんね?」
「せっ……千人分ですかぁ!?」
【複製】の魔法をフルで稼働させても千は無理だ。
「えーっと……靴をそれだけ用意するのはわたし一人だと無理なのでぇ……すでにお使いの品にわたしが魔術式を書きこむ形式ならなんとか……?」
「そうするともっと安くなる?」
「千回書き込む手間賃と考えたら、銀貨一枚ずつでも多すぎるくらいですが……うーん……」
わたしはうなってしまう。
本当ならその書き込む魔術式を翻訳して、誰にでも読み書きできるようにした上で、特許として公開して、たくさんの人に使えるようになってもらいたかったんだよねぇ。
でも、わたしの作ったもの、ほぼわたしにしか作れない……
「このブーツさぁ、一般販売する予定とかある? うちの専売品ってことになんねえかな? 卸してることも極秘で、仕様も非公開にしてさぁ」
それはダメだと思ったので、わたしは首を振った。
「わたしのお友達用に作ったんです。テウメッサの狐に襲われても逃げられる靴をみんなに使ってほしくて。だから特許を取って、誰にでも作れるようにするつもりなんです」
「そっか……分かった」
リオネルさんは物分かりがよさそうなことを言いつつ、
「じゃあこれよりハイグレードなやつ作って!」
と、無茶ぶりをしてきた。
「ある程度身体鍛えてるやつ向け。プロ仕様ってやつよ。それ、安全用のリミッターいっぱいついてるでしょ? 一般人向けには危なくてつけられない機能てんこ盛りにしたやつちょうだい!」
「ええ……!?」
「安全性のテストもこっちで全部やるから、限界までやってよ。一般人に開放してよさそうなギリギリ見極めて報告するからさ。それから民間に公開した方が安全じゃねえ? 俺たちは命がけだからちょっとでも威力のあるやつほしいけど、民間人怪我させるわけにいかないじゃん」
「そうですね……」
「で、一般公開まではうちへの専売ってことで、機密扱いにしてくれると助かる」
わたしは困ってしまった。
こんな大口の依頼、受けたことがない。
おばあさまはこんなとき、どうしてたんだろう?
「詳しい話はまた明日しねえ? お店まで行かせてもらうんで、それまでによく考えておいて」
「は、はい……」
わたしは思わずうなずいてしまったのだった。
***
ディオール様は帰りの馬車で、ちょっと機嫌がよさそうだった。
「よかったな。あいつはああ見えて団長だから、せいぜいふっかけてやるといい」
「え、は、はい……」
「本当に、なんであんなやつがトップなのかは疑問だがね。見る目が腐ってなくて何よりだ。君を連れてきたかいがあった」
ディオール様、わたしより嬉しそう。
自慢に思ってくれているのかな。
そうだとしたら、なんだかくすぐったい。
「でも、わたし、騎士団の人と契約するのなんて初めてで、どうしたらいいのかよく分かんないです」
「そうか。それは私も知らんから何とも言えないが」
ディオール様が知らないことはわたしに分かるわけないよねぇ。
「リゼにしか作れないものは多いから、萎縮しなくていい。特別な価格に設定しても問題ない。強気にいけ、強気に」
「は、はい……」
リオネルさんは詐欺をするような人には見えなかったから、なんとかなるかな? と考え直して、わたしは悩むのをやめた。
「あいつ、リゼをさんづけに呼び変えたな」
ディオール様は特大の笑顔で得意がっていた。
つられてわたしもへらへらと相好を崩した。
ディオール様がうれしそうだとわたしもうれしくなっちゃう。
「私も誇らしい。君はよくやった」
ディオール様の手が伸びてきて、わたしの頭の上で止まる。
撫でられるのかと思って待ってたのに、ディオール様はなぜか手をひっこめた。あれ?
「撫でないんですか? どうぞ! 撫でて!」
わたしが肩口に頭突きしにいくと、ディオール様はぶっと噴き出した。
「子ども扱いが過ぎるかと思ったんだが」
「全然! どうぞ!!」
みょいんみょいんと伸びて突っついていたら、ディオール様は笑いで肩を震わせながら撫でてくれた。
わたしはムフーと満足のため息をつく。
「フェリルスさんが悔しがりそうですね!」
「悔しがらせたいのか……?」
「フェリルスさんはライバルなので! ディオール様からの寵愛も競ってるんですよぉ!」
「犬と張り合うな」
冷たく言いながらも、ディオール様は大笑いしていた。
「……リゼの店の売り子」
「アニエスさん?」
「そいつはリゼの淑女としての名誉を心配していたのに、当人が犬と競っていてはな」
「アニエスさんはお嬢様なので、町娘とは常識が違うんですよ!」
「犬と競うのが町娘の常識か?」
「フェリルスさんは高貴な魔狼です! わがライバルとして相手に不足なーし!」
ディオール様はひとしきり笑って、わたしの反対側の肩口に手を置いた。
「なら、もう少し悔しがらせてやるか」
ディオール様がわたしを抱き寄せる。
わたしがドキリとする間もなく――
よーしよしよし、と、犬みたいに撫でまわしてくれたのだった。
***
リオネルさんは宣言通り、次の日に担当の人を連れてやってきた。
わたしもできる限りがんばって対応して、できそうな機能を説明。
金銭面の契約は「今日は担当の人がいないから」と言って、帰ってもらった。
アニエスさんがアルバイトに来てくれたときに相談したら、おばあさまが過去に交わした契約書類を倉庫から発掘してきてくれた。
「……黒塗りされているけれど、品目を見る限り、おそらくこれね。引き比べて、金額的には妥当だと思うわ。契約していいんじゃないかしら?」
わたしは契約書類を光に透かしてみた。
黒塗りのところが透けないかなぁと期待して。
でも、浮かび上がってはこなかった。
「……おばあさま、どこの騎士団と契約してたんでしょうか?」
「どうかしらねぇ……紙を削った上に黒塗りしてあるから、ちょっと見えそうにないわね」
わたしはぼんやりとした過去の記憶を辿り寄せる。
おばあさまの部屋にあった魔道具はもうないけれど、昔、飾り棚があって、そこにある展示品は触ってはいけないと怒られたことがあるのだ。
軍用のものだから、思わぬ怪我をする、と。
わたしはそれを、こっそり持ち出して遊ぶのが好きだった。
怒られたけど、楽しかったんだよねぇ。
わたしは後日改めて金銭契約を交わし、ひとまず現行品に魔術式を付与することで合意したのだった。




