74 リゼ、魔術師検定の勉強をする
フェリルスさんが素早くベルを鳴らす。
「グリームフウィファル」
ピエールくんは顔をしかめて言う。
「……正解」
おおー、と、わたしは拍手した。
フェリルスさんやるぅ。
「あれは最悪な魔道具だったからな! 俺たち精霊は決して忘れんぞ!」
「おじいちゃんの昔話は結構です。まあ、有名な魔道具ですから、もちろんリゼ様もご存じだったとは思いますが」
「わたし、あんまり歴史って得意じゃなくて……」
ピエールくんはわたしの発言を聞かなかったことにして無視した。
「では第二問。塩に1ソルの雷属性の魔石を魔電流として三十分間流し続けたとき、得られる魔力量を答えなさい」
あっ、それ、昔魔道具を作るときにやったことあるなぁ。なんだっけ。たしか何か公式があったはず……
フェリルスさんは大きな肉球でッターン! と華麗にベルを鳴らした。
「0.00186528497」
ピエールくんは歯ぎしりしそうな勢いで顔をしかめた。
「……正解……しかし、天才的な魔道具師のリゼ様にとってはこの程度、基本中の基本、目をつぶっていても計算できるというものですよね! ね! どうして目をお逸らしになるのでございますか?」
わたし、暗算って苦手でぇ……
「……第三問! この図、三角形ABCに内接するDEFGの面積を答えなさい!」
うう、なにこれ……難しいかもぉ……
困っていたら、フェリルスさんが器用に椅子にふんぞり返って、後ろ脚でベルを押した。
「三十四平方センチメートル」
「くっ……この程度で勝ったと思うなよ、駄犬が……!」
ピエールくん……もう認めようよぉ……
フェリルスさん天才わんちゃんだよぉ……
わたしより全然かしこかった……!
「どうした小僧、もう終わりか?」
かしこいフェリルスさんが頭の後ろでおててをクロスし、後ろのあんよを組んだ、最高に頭の悪そうなポーズでピエールくんを煽る。
「俺は精霊だぞ? 矮小な頭脳しか持てぬヒトごときと一緒にするな!」
「フェリルスさん、すっごいです……!!」
わたしは拍手を送って降参の意を表明しておいた。
「褒めよ、たたえよ、わが名、フェリルスを! ワォォォーンッ!」
「くぅぅっ……!」
ピエールくんごめんねぇ……わたしがアホだったばっかりにぃ……
わたしはこっそりと、もうちょっと勉強しないとダメかなぁ、と思うのだった。
わたし、近所の教会でやってた日曜学校には出てたけど、ちゃんとした魔術の学校には行ってないんだよね。
姉が「お前が代わりにやっておきなさい」って宿題を無茶ぶりするから、姉のテキストはちょこちょこ見てたんだけど、それ以外はボロボロ。
魔道具に使う魔術式は、結界や健康維持用のものが多くて、防御向き。
でも、魔術と言えばやっぱり攻撃魔術だよねぇ。
どーんと打ち上がる火花は見た目もかっこいい。
ちゃんと勉強したら、わたしも華やかな攻撃魔術を使えるようになるのかな?
***
そんなことを思っていたら、その日の夜に、ディオール様からテキストをもらった。
「魔術師検定十級の問題集だ。まぁ、あれだけの魔術式が書ける君なら、何も見なくても合格するとは思うが、念のため」
「ありがとうございます!」
わたしはウキウキしながらテキストを開いてみた。
ディオール様が一緒に覗き込みながら、読み上げる。
「どれ、第一問。魔術師が魔術の式を書き表すときに用いる文字を答えよ。一、神聖ルーン文字 二、古代瑞雲語 三、魔術線型文字 四、上古エルヴン文字」
「え、えーっと、えーっと……四?」
「一だ。第二問、次の単語の意味を答えよ」
ディオール様に見せられたのは、意味不明な図形の羅列だった。
απαπ
わたしが読めるまま、「あ、アンアン?」と答えると、
「……まさか……君、魔術文字を知らないのか……?」
と、ディオール様が青ざめた。
「わ、わたしが知ってるのってぇ、おばあさまが教えてくれた言葉だけなのでぇ……」
ちっちゃく自己弁護すると、ディオール様は眉を寄せた。
「それはまずいな。まず入門テキストと辞書からか。今から一週間で覚えきれるか?」
わたしは問題集をちらっと見た。けっこうな厚みだ。
「……今回は残念ながら」
「諦めるな」
「いやいやいや無理ですって。知らない言葉一から覚えて一週間は無理ですって」
「いや、君は知ってるはずなんだ。あれだけ高度な魔道具が作れるのなら、基本文法さえ覚えられればあとは翻訳できるはず」
「きほんのぶんぽーって、何個くらいあるんですか?」
「世界的に有名な入門テキストはわずか二十七ページだ。二十七ページ覚えれば終わる」
「一日一ページ読んだら何日かかりますか?」
「二十七日に決まってるだろうが。一週間しかないと言っただろう。四ページずつだ」
「つまり……一日何ページですか? 翌日半分くらい忘れるとして」
「忘れるな! バカか貴様は!」
「今ごろ気づいたんですか!?」
ディオール様は頭痛をこらえる仕草になった。
「毎日四ページ分の記憶が保持されればいいなら一日八ページ……いや、それも翌々日に半減するなら……?」
ディオール様が悩み出したすきに、わたしは逃げ出そうとしたけれど、服の首根っこをつかまれてしまった。
「四ページずつだ。毎日一時間とかからん。それに、筆記がダメでも十級は実技で小さな火が出れば合格する。君なら簡単だろう? 私が直々に見てやるから安心しろ」
「い、いやですぅぅぅ!」
わたしはすでに泣きそうだった。
ディオール様はパッと手を離した。
「そうか。それは残念だ。合格できたら高位貴族しか予約が取れない有名レストランに連れて行ってやろうと思っていたが、必要なかったな」
「がんばります!」
わたしがコロッと態度を変えると、ディオール様は笑い崩れた。
「それでこそリゼだ。私の期待を裏切るなよ?」
わたし、何を期待されてるんだろう……?
顔色を窺ってみたけれど、上機嫌なこと以外は何も分からなかった。
***
リヴィエール魔道具店で。
わたしがうんうん唸りながらテキストを広げていたら、フェリルスさんがわたしのひざに飛びついた。
「リゼ、何を見ているのだ?」
「おべんきょう! です!」
フェリルスさんは机の端に足をひっかけて覗き込み、ヘッと鼻で笑った。
「レベルの低いことをしているな! 俺なら目をつぶっていても分かるような内容だぞ!」
「わたしは脆弱な人の頭脳でも最弱の部類なんですよ……これとか分かりますか?」
「これか? これはな……」
カランコロン、とお店の扉が開く。
アニエスさんが入ってきて、わたしとフェリルスさんの顔を三回くらい見比べた。
「……何をしているの?」
「おべんきょうです!」
「犬と!?」
「フェリルスさんは天才わんちゃんなんですよ!」
「無礼な小娘どもめ! 俺は犬ではないぞ!」
と憤慨するフェリルスさんのボディはスタイリッシュなモフモフで、どこからどう見ても犬だった。
――カァァーン……カァァーン……
と、今度はドアベルではなく、遠くから鐘の音がして、フェリルスさんがピクッと耳を動かした。
お葬式の鐘の音だ。




