73 リゼ、知らないところで畏怖される
ギュゲースの指輪。
使えばたちどころに透明人間になれるこの指輪が、王国に与えたインパクトは絶大だった。
「なんと恐ろしい魔道具を――」
「使いようによってはどんな犯罪だって可能にしてしまう」
「燃やすべきだ」
「悪魔の道具に他ならない」
国内から巻き起こった批判の声は、結局、キャメリア王国の王室関係者によって、ことごとく握りつぶされた。
「増え続ける魔獣の被害への対策が必要だ。魔道具の発展が、人類を魔獣から救うのだと、私は信じている」
アルベルト第一王子の発言が支持を受け、かくして開発者は、『ギュゲースの指輪師』として、名声を得ることになった。
話題の『ギュゲースの指輪』の実物は、現在、新設の魔道具師協会が管理している。
王室が設立を主導し、管理下に置いている組織だ。
アルベルト第一王子はその権力を駆使して、秘密裡に、『ギュゲースの指輪』の再現に当たらせていた。
「……進捗はあった?」
老境の男は、すげなく首を振った。
「何も」
アルベルトは眉をひそめた。
男は協会長であると同時に、一流の魔道具師でもある。プライドと見識の高さも人一倍だった。その彼が、敗北宣言をしたのだ。
「ほんの小さな女の子が作ったものだよ? 実物が手元にあって、製法まで特許申請の体裁で提出させたのに、再現不能ってことはないでしょう」
「これは異次元の作品です」
協会長は諦念からか、淡々としていた。
「ずば抜けた技能の持ち主だからこそ作成できた品ですよ。再現性はありません」
「……どこがどう違うのか、教えていただけませんか?」
協会長は淡々と語る。
「おそらくこれは、『重ね文字』ですね」
「……重ね文字?」
「古代の神々が使っていたとされる特殊な筆記です。読む順番の指定記号を微細に練り分けた魔力によって表現し、黒いインク汚れのようなスペースから何千とも何万ともつかない文字数の情報を読み取る、積層型筆記です」
「ふむ……」
「人間が読み解けるような代物ではありません」
彼はもはや悪態をつく気力もなかった。
「この指輪の概要は申請書の通りです。”複雑で長大な【幻影魔術‐風景同化】の魔術式を、大容量の魔鉄に、オリジナルの圧縮言語で記した。”まったくその通りですが――魔術式は我々に再現不能なほど短く切り詰められ、圧縮言語の圧縮率はもはや人外の領域です。殿下はむしろ魔術式と圧縮言語についてもっと詳しく仕様を白状させるべきですが――はたしてそれが分かったところで人類に習得できうるものか」
協会長は、道具の製作者に畏怖のような気持ちを抱いていた。
彼とて、それなりに腕のいい職人だと自負している。
それだけに、格の違いをはっきりと見せつけられて、すがすがしい気分だった。
「ギュゲースの指輪師……才能もさることながら、おそらく彼女は想像を絶するほどの修練を積んでいるはずです。あの若さで、いったいどれほどの地獄を見てきたのか……」
アルベルトは内心後悔でいっぱいだった。
もっと早くにリゼが真の製作者だと気づいていれば、彼女を確保できていたものを。
彼女の姉に手間取っているうちに、横からとんびにかっさらわれてしまった。
近頃のアルベルトは、どうにかしてリゼを取り戻せないものかと、そればかり考えている。
「……私が最初に見出したんだ。天才的な魔道具師の、その作品を……」
アルベルトの青い瞳は、暗い執念に燃えていた。
***
骨董級の魔道具師。
王立協会の首席。
ギュゲースの指輪師。
ハルモニアの婚礼衣装を仕立てた女神。
かっこいい称号をたくさんもらったわたし、リゼルイーズ・リヴィエールは――
お庭の上に横たわり、酸素不足で今にも死にそうになっていた。
息が、息ができない。
長い距離を調子に乗って走りすぎた。
「こんの、バカ犬!」
ピエールくんがフェリルスさんを叱り飛ばしている。
わたしは酸素不足で、止めようにも止められない。
調子に乗って走ったのはわたしなのに。
「リゼ様の体力を考えて散歩に行けとあれほど申し上げたでしょう!? 倒れるまで走らせてリゼ様にもしものことがあったらどうするのですか!? ほんとにまったくこのバカ犬は!!」
フェリルスさんは馬耳東風だった。
後ろ足で耳の裏をカッカッカ、とかいている。
「聞いているのですか、このバカ犬!」
フェリルスさんは下の歯ぐきをイーッとむきだし、ものすごく人を馬鹿にしたような顔つきになった。
「知らん! こいつが脆弱なヒトなのが悪い! そして俺は、バカでも犬でもない! 誇り高き魔狼の眷属だ!」
「その最高に頭が悪そうな顔を僕に見せないでください、バカがうつる……!」
フェリルスさんは鼻にしわをよせ、今度は上の歯ぐきもむきだしにした。
「こーーーぞーーう、さっきから黙って聞いておればぁぁぁぁ!! 小僧ごときの矮小な器で精霊たる俺の知性が測れると思うなよ!!」
フェリルスさんが急に難しいことを喋り出した。
ぶっといおててからはみ出す鋭利な黒い爪を、わたしに向かってびしっとつきつける。
「だいたいな、俺が本気で知性を発揮すれば、リゼなんかひとひねりだっ!! そこがご主人たちには分かってないのだっ!! リゼより俺のほうがはるかに賢いのにっ!! いつもいつもリゼばっかりちやほやしがやって!!」
ピエールくんは、ヘッ、と、顎をあげて、露骨に見下す表情になった。
……わあ、ピエールくんの煽り顔、すっごいレア。いつもにこにこしてると思ってたんだけど。
「リゼ様はこの国の名だたる魔道具師たちにも『再現不能』と言わしめた神話級の魔道具、『ギュゲースの指輪』の製作者ですよ? 用いられた魔術式はディオール様にも構築が難しいと言わしめたほど! 魔法学の分野では最高峰の魔術師にも匹敵するリゼ様が、あなたのようなバカ犬に太刀打ちできる相手と思うなんて……無謀を通り越していっそ哀れですね!」
えええええ、わたし、そんな大層なものではっ……
と、声に出して抗議したかったけれど、息切れでひゅーひゅー言うのが精いっぱいだった。
フェリルスさんは怒って、バウッ! と大きく吠えた。
「よぉぉぉっし、そこまで言うなら勝負だっ!!」
「いいですよ、こてんぱんにしてさしあげましょう。……リゼ様が!」
そしてわたしは、なぜかフェリルスさんとクイズ大会をすることになった。
「五問先取で正解した方が勝ちでございます」
呼び鈴を前にして座らされる、わたしとフェリルスさん。
ジャッジ兼司会はピエールくん。
「それでは第一問。キャメリア王国歴670年、史上初めて魔獣の拘束具『レージング』を開発した人間の名前を――」
第三章は第110話前後で終了予定です。




