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6 野菜の皮むきもできない世の中


「た、食べて、いいん、ですか? あ、あとで法外な料金取られたりしませんか?」

「お金はいただきません」

「じゃ、じゃあ、違うものを取られる!?」

「いえ、そうではなく……ああ、そういえば奥様のご実家はご商売をなさっているとか」

「は、はい、魔道具師のお店をやっています」

「では、あえてこう申し上げましょう」


 男の子はわたしの耳元に口を寄せて、そっと、甘くささやいた。


「どれだけ食べても、全部無料でございます」


 庶民育ちのわたしは食べ放題に弱かった。


 わたしは目の前のパンをつかんで、口の中に突っ込んだ。勢い任せに大口でかみちぎる。


 甘くとろけるバターの豊潤な香りが炸裂して、わたしに火がついた。


 バターつきのパン!


 半年ぶりくらいかも!?


 おいしい、おいしい、おいしいよぅ!


 わたしはパンだけで五切れも食べてから、スープに目をやった。


 おっ……おいしい!


 久しぶりのお肉! おいしい!


 やさしい味わいのスープを一滴残らず飲み干して、わたしはおなかいっぱいになった。


「お粗末様でございました」


 お鍋を下げようとする男の子に、「あ、あの!」と、思い切って声をかける。


「ここはどこですか?」

「ここはロスピタリエ公爵の館。当主のディオール様が一番長くご滞在になる本邸でございます」


 男の子はきれいなお辞儀をしてくれた。


「僕はピエールと申します。当館には女性の使用人がほとんどいないため、急きょ僕が奥様の身の回りのお世話をするよう仰せつかりました。月末にはご実家の方から奥様にお仕えするにふさわしい若く教養のある娘がひとり派遣されてくる予定ですので、ごく短い期間ではございますが、どうぞ御懇意に」


 な、何が何……?


 上流階級の言葉すぎて、全然分からない……


 わたしが何にも分かってないことを、男の子は雰囲気で感じ取ったのか、もう一回口を開く。


「ディオール様のおうちです」

「あ、はい」

「僕はディオール様の従者のピエールです」

「な、なるほど……?」

「そしてしばらくは、奥様のお世話をさせていただきます」

「お、奥様って……わたしいぃぃぃぃ!?」


 ピエールくんは、はしっこそうな瞳を細めて、ちょっとだけ何かを考えているようだった。


「……お若いお嬢様に奥様は失礼にも聞こえてしまいますね。では、僭越ながら――」


 にこりと微笑むピエールくんは、絵画に描かれた天使みたいだった。


「――ご主人様と」


 わたしはビクゥッとなった。


 こんないたいけな可愛い顔した男の子に、ご主人様なんて呼ばれたくない。すごく悪いことをしている気分になる。


 わたしは必死にぶんぶんと首を振った。


「リゼです!! わたし、リゼルイーズって言います! でもみんなリゼって呼んでくれているので!」

「では、リゼ様。昼食は食堂にいらっしゃいますか、それともまたこちらまでお持ちしましょうか?」

「ま、また食べさせてくれるんですか……?」

「はい。ディオール様のご命令で、『とにかく食べさせて寝かしつけろ。それ以外のことをさせるな』とのことで。違反すれば」

「死刑はやめてください!」

「ご理解が早くて何よりです」


 ピエールくんは「また来ますね」とさわやかに言い残して、去っていった。


 わたしはどっと疲れが押し寄せてきて、ベッドに倒れ込んだ。


 なにごと……何が起きているの……?


 悪い夢ならさめてほしいと真剣に願った。


 ああ……でも、このベッド、ふっかふかだなぁ……


 ここのところずっとドレスを作ってたから、全然寝てないんだよね。


 わたしは一瞬で眠ってしまった。


***


 旦那様が連れ込んだ女の子の話題で持ち切りだった休憩部屋は、ピエールが戻ってきたことでさらなる盛り上がりを見せた。


「ピエール、どうだった?」

「例の女の子を見たんだろう?」

「見ました。ですが……」


 女の子の痛ましい様子がまだまぶたの裏に焼き付いている。


 きれいなドレスを着ているのに、手の爪はボロボロで、手には無数の魔力ヤケがあった。


 明らかに重労働を強いられている様子だ。


 ピエールにはすぐにピンときた。


 きっとこの子は不幸な生まれで、魔力が人より多かったばかりに、酷使されているのだろう――と。下町には、ときどきそういう魔術師未満の雑用奴隷がいる。


 あの様子を見たら、冗談でもディオールを冷やかすことなどできない。ピエールが彼の立場だったとしても、彼女を保護しただろう。


 しかもあの子は――


 バターつきのパンを大喜びで食べたのだ。


 ただの、バターつきパンを。


 思い出すだけで胸が張り裂けそうだ。


「でも将来の奥さまかもしれないんだろ?」

「気が強い人だったらやだなぁ」

「旦那様二号みたいな人だったらやだよね」

「魔力ヤケのある女の子です。死にかけていたところをディオール様が保護なさったものと思われます」


 お喋りだった使用人たちが一瞬で静まり返る。


 偏屈当主の愛とか恋を期待していた彼らには、重すぎる情報だった。


「突然環境が変わってひどく怯えているようでしたので、刺激しないようにしてください」

「拾いたての子猫みたいなもんか」

「おい!」


 ふざけている場合かよ、と別の使用人も憤る。


「マジで馬鹿にすんなよ、魔力ヤケってつらいんだぜ」

「よく生きてたな……」

「なあ。無事でよかったよ」

「早くよくなるといいな」

「そうだ、俺が持ってるビー玉あげたらよろこぶかな?」

「ばっか、困るに決まってるだろ」

「でも転がるもの好きじゃん」

「猫基準やめろ」


 めいめい勝手なことを言っている使用人たちの輪から、ピエールはそっと抜け出した。これから厨房に行って、リゼの特別メニューを注文しなくてはならない。


 リゼのことはピエールが責任を持って健康にしてあげなければという、強い強い使命感にかられていた。


***


 わたしが起きたら、もう夕方になっていた。


 こんなに寝たの、久しぶり。


 ぼんやりしていたら、とてもタイミングよくスルリと扉からピエールくんが入ってきた。


「ああ、ちょうどよかった。お目覚めのご様子ですね。本日の夕食はカレギス子牛のステーキでございます。海岸で育てた子牛ですので牧草がほんのり塩を含んでおり、味わい深いと言われておりまして」

「食べたいです!」


 勢いで言ってしまってから、ハッとする。


「あ、あの……お、お金、わたし、持ってませんけど……」

「ゲストからディナーの料金を徴収する貴族はあまり聞いたことがありませんね」

「で、で、でも、わたし、こんな立派なおうちに泊めてもらって、ごはんまで出してもらって……」


 その上ステーキまでタダでご馳走になっていいのかなぁ。


 父母に叱られるかもしれない。


 また叩かれるかもしれないと想像したら、身が竦んだ。


 せめて何か手伝ったほうがいいのかな?


「あ、あの……わたし、お野菜の皮むきとか、できますよ」

「リゼ様」


 ピエールくんがそっとわたしの手に触った。


 ビクリとするわたしに、ピエールくんがふるふると首を振ってみせる。


「残念ながら野菜の皮むきはディオール様から許可されておりません。リゼ様に許されているのは、食べることと眠ること、それだけでございます。もちろん違反すれば」

「や、野菜の皮むいても死刑なんですか!?」

「大変申し訳ありませんが、そうです。どうか余計なことは考えず、任務をまっとうして、ディオール様からの次のご命令をお待ちください」


 ピエールくんはわたしに着替えを渡すと、「一時間後に呼びに来ます」と言って、どこかに消えた。


 ……着替えはしても死刑にならないのかなぁ?


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