55 リゼ、王子に講義をする
いやー、今日はいっぱい落書きしちゃったなぁ。
アニエスさんがお店番や雑用を全部引き受けてくれるおかげで、時間がいっぱい余って、絵の練習が捗った。
もちろんそれ以外のお仕事もちゃんとしてるけどね。
お絵かきもたまには大事なんだよ。
息抜き、息抜き。
……なんて、本当はちょっとだけ、行き詰まってる。
「新しい魔織、どうしようかなぁぁぁ……」
土属性の魔糸はかなりうまくできた。
でも、これにも構造的な欠陥があって。
砂埃にぶつかるとボロボロに崩れるんだよねぇ。
裾を浮かせる工夫をしても、風が吹くとダメ。おそらく空気中の粉塵にも反応してる。
火属性の方が使い勝手よかった……? という悲しい結果に。
「防塵コーティングしすぎると暑くて着てられなくなっちゃうし、どうしようかなぁ……」
突破口が見つからないまま、約束の期日が過ぎ。
アルベルト王子がやってきた。
「約束のお土産、持ってきたよ」
アルベルト王子の傍には、なぜかパティシエが控えていた。
な、なんだろう? 戸惑うわたしの目の前に、さっとケーキの土台が置かれる。
そこに、壁と柱と屋根が組み立てられて、煙突が生える。
「おっ……お菓子の家だああああ!」
パティスリーでたまに展示してあるあれ。
素朴なジンジャーブレッドなどで作ってあるあれを、数百倍くらい細かく作り込んだような家が出てきた。
もはやお城。
「すっ、すっごおおおおおい!」
「季節ごとのパーティだと、見上げるくらい大きなものが出てくることもあるよ。よかったら今度来てね」
「行きますうぅぅぅぅ!」
王宮ってやっぱりすごい……!!
こんなに手の込んだものがさっと出てくるなんて……!
うわあ、これ、わたしにも作れるかなあ?
壁や屋根は一個作れば【複製】で量産できるけど、このお城、微妙に塔の太さや廊下の形なんかがちょっとずつ違うから手抜きできない……
手がかかってるなぁ!
「気に入ってもらえてよかったよ。ちゃんと食べてもおいしいから、お友達と分け合って食べて」
「ありがとうございます……!」
せっかくだから、あとでお店に展示しようかなー?
お客様にも見せたい!
のん気なことを考えていたら、王子がスッと座って、わたしに対面に座るように指し示した。
「……ところで、新しい糸はできた?」
聞かれてしまったからにはしょうがない。
「ダメでした……当てにしてた方法が没になっちゃって」
「そっか……土属性の構造式だっけ?」
「そうなんです。でも、うまく行きませんでした」
王子が考え込むそぶりを見せる。
「私も魔道具師協会のメンバーに少し聞いてみたんだけどね。似たような技術に心当たりがないか」
「おお。どうでした?」
「『魔力のみを物質化する』というのがまずありえない、馬鹿げたことだと言われてしまった」
そう。
魔力はトランプで言えばジョーカー。
欠けている手札を補ってくれるけど、ジョーカーだけじゃストレートフラッシュは作れない。
元々ある綿花などの素材に、魔力を混ぜて紡ぐのは簡単。
でも、魔力だけで物質として成立させるには、まったく違う技能が必要。
「でも、君は純魔石の【物質化】ができるんだよね」
「はい」
「それも普通ではありえないことだと?」
「うーん……」
どういえばいいのか分からない。
「これは錬金術の範囲なので、わたしよりも錬金術師に聞いた方がいいと思いますが……」
わたしはちょっと考えて、テーブルの上に用意してある紙とペンを取った。
「あくまで、自然界にある他の物質に比べたら、の話なんですが……鉱物の構造って、比較的簡単なんです」
わたしは魔力を帯びた塩の魔術構造式を書いた。
「たぶんこの魔術式は殿下も授業でご覧になったことが――」
「ないなぁ。初めて見る暗号だ」
「……そういえばわたしが使っているのは祖母が考えたオリジナルの暗号でした」
わたしはメモ用紙を捨てた。
困った。
わたしの胡乱な説明でどこまで伝わるかなぁ。
うんうん唸りつつ、なんとか説明を試みる。
「鉱物の大本の質料――つまり、材料って、すっごく小さな、目に見えない部品がいくつか組み合わさってできてるんです。なので、この何十個かの部品を【物質化】する――これが、【錬金術】です。おそらく殿下も学校の授業で」
「聞いたことがないなぁ」
「ないんですか!?」
「たぶん、私たちの学年でやる授業の範囲ではないね。まだ私たちは古代魔術文字の解読と修練ばかりやらされているから」
なるほど。魔術師は魔術の構造式を覚えて詠唱するのが大事だもんね。
錬金術師や魔道具師とは基礎修練の内容が全然違うのかも。
わたしは『とにかく数をこなせ』『手で覚えろ』って言われてた。
「とにかく、【物質化】ができる錬金術師や魔道具師は、それなりに多いと思います」
そこまでは、父母もクリアしていた。
「【物質化】自体は訓練を積めばそんなに難しくありません。問題なのは、作業量が膨大だ、という部分でして」
「作業量……」
「【物質化】の作業をずーっと繰り返せば、理論上は誰にでも魔石が作れます。でも、その作業って、一万とか二万とかじゃきかない単位なんですよ。だから、普通の魔道具師は、一カラットの魔石を作れと言われたら、本を千冊書き写せと言われたときくらい絶望すると思います」
「……君はそうではない、と?」
わたしはうなずいた。
そう、これが、わたしと、他の魔道具師との大きな違い。
「わたしは魔道具作成用の生活魔法がものすごく得意なんですよ。各種【祝福】をフルでかければ、【複製】が魔石一カラットにつき二十秒で終わります」
わたしは実演することにした。
手のひらに純魔石を【物質化】して、【速度増加】をフルにし、ある程度の大きさになったら【複製】をかける。あとはそれを【多重起動】。
あっという間に麦粒くらいの大きさの魔石が育って、私の手のひらの上に落ちた。
「で、【複製】の対象を一カラットの魔石に指定し直せば、あとは倍々ゲームで増やせるので、二十万カラット……四十キロの魔石でおよそ十五分、といったところでしょうか。もちろんこれは、無から生み出すときの時間なので、純魔石のかけらが手元にあれば、もっと早いです」
「へえ……大したもんだね」
褒めてもらって、わたしはちょっといい気になった。
「じゃあ、魔糸も簡単なのではない? 細長い紐を作るだけだよね」
アルベルト王子が悪気なさそうに言った。
そうなんだよねえ。糸って、すごく簡単そうに見えるんだよ。
「それがそうじゃないんですよ……」
わたしはうなだれた。
「わたしのざっくりした肌感覚で言うと、鉱石の難易度が一としたら、絹糸なんかの難易度は数十万倍くらいです」
「そんなに違うものなの?」
「桁外れです。わたしも一度挑戦しましたが、挫折しました」
わたしは数か月間を費やしてせっせと取り組んだけれど、【物質化】しても【物質化】しても終わらなかった。
「生き物の素材は【物質化】で生み出すのが難しいです。高位の魔獣なんかはもう途方もないです。神様の領域です」
わたしはこれまでに失敗してきた数々の研究を思い浮かべながら、結論づけた。
「だから、魔糸に関しては従来通り、絹糸か、綿をベースに魔力を混ぜて再構成するのが一番かなと思うんですよね」
「でも、それだと幻影魔術が乗らないんだろう?」
「そうですね、素材にした絹糸には魔術が乗らないので、ムラができて失敗すると思います」
「私がほしいのは、幻影魔術が乗せられる布なんだ」
わたしは以前に作らされた鷹のエフェクトなんかをぼんやり思い出した。
「……殿下は幻影魔術が好きなんですか?」
楽しい技術だよねぇ。わたしも好き。
何の気なしの雑談のつもりでいたわたしに、アルベルト王子は、
「好きというか、切実に必要としている」




