43 カヌッ…ヌレッ…
わたしはいつものようにパティスリーにやってきた。
ここのクッキーが悪い。
だってこんなにおいしいから……!
毎日買いに来ちゃうの、自分でも止められない。
その日のドアは閉まっていた。
――誠に勝手ながら、しばらくお休みさせていただきます
張り紙を見て、わたしはショックを受けた。
うそぉ……
ここ最近の毎日の癒しだったのに……!
フェリルスさんにも買って帰るって約束したのに……!
ドアの前でしょんぼりしていたら、隣に誰かが立った。
「あなた、大丈夫? 具合が悪そうよ」
黒髪の美人さんだった。
魔法学園の制服を着ている。
「大丈夫ですぅ……ただ、ちょっと、このお店がお休みだったので、ショックだったんです……」
「まあ、残念だったわね」
「はいぃ……ここのクッキー、ほんっとーにおいしくて、毎日食べてたんです」
「そうだったの……それは悪いことをしたわね」
美人のお姉さんは、わたしに停めてある馬車を指さした。
「ねえ、よかったらわたくしの家にいらっしゃらない? クッキーの代わりといってはなんだけど、ご馳走するわ」
ご馳走と聞いて、わたしはきゅぴんとテンションが上がった。
お姉さんはとってもいい人そうだけど……
でも、知らない人についてっちゃダメだよね。
「……お姉さんは、このお店の人なんですか?」
「関係者よ。実はちょっとうちとトラブルがあって、そのせいでしばらくお休みしているの」
「そうだったんですか……」
トラブルで休業なら、今日は開かないよね。
しょうがない。しばらく自分で作ったクッキーで我慢しよう。
「あの、大丈夫です。またお店が開いたら買いに来ますから。ご親切にありがとうございます」
「いいからいらっしゃいよ」
「わたし、お仕事があって。あんまりお店を長く空けていられないので、本当に大丈夫です。それでは!」
「あ……」
ご馳走とクッキーへの未練を振り切って、わたしは走り出した。
***
お店に帰ってしばらく、わたしは後悔していた。
ああ、やっぱりご馳走してもらえばよかったなぁ。
どんなお昼が出たんだろうと思うと、悔やんでも悔やみきれない……!
でも今日はクルミさんがいないから、お店番が誰もいなくなっちゃう日なんだよね。クルミさんにはわたしの付き人のお仕事の他にもいろいろとやらなきゃいけないことがあるみたいだから、仕方がない。
お店を手伝ってくれる人、はやく探さないと。
わたしはディオール様に言われた通り、書類の申請を代行してくれるアルバイトの女性を探すことにした。
まずはビラを作ろうっと。
真ん中にうちのお店の看板マークを……
鼻歌まじりに下絵を描いていたら、お店から女性の声が聞こえてきた。
「ごめんくださーい」
「はーい!」
お店に顔を出すと、黒髪の美人さんがいた。
「さっきの……」
「よかった、見つかって」
お姉さんはニコリとして、バターのいい匂いがする布包みをくれた。
「これ、別のお店のものだけど、もしよかったら」
「あっ、ありがとうございます!」
包みをほどいたら、とってもかわいい焼き菓子がみっしり入っていた。
「クッキー……と……フィナンシェに、カヌレまで……!」
「もしお嫌いでなければ」
「全部大好きです! ありがとうございます!」
にこにこしながらお菓子をくれる美人さんに、わたしは速攻で親近感を覚えた。
「あの! よかったら、お姉さんも一緒に食べていきませんか」
「あら、いいの?」
お姉さんがにこりとする。
わたしははりきってお茶を淹れた。
「わたし、リゼです」
「リヴィエール魔道具店のリゼさん、よね」
「そうです! でも……あの、どうしてここが分かったんですか?」
わたし、あのとき名乗らないで帰ったのに。
「毎日来ているということだったから、隣のお店の人に聞いたの。お隣さん、いつも女の子が裏通りから来ることは覚えてたみたい」
「ええっ……!?」
見られてたんだ……食い意地が張ってると思われてたかも。ちょっと恥ずかしいなぁ。
「あとは歩いて行けそうな距離にあるお店に絞って、探したのよ。話し方や雰囲気で、近所の娘だと感じたから」
お姉さんが鋭いことを言う。
「しかもあなた、貴族の娘みたいな服を着ていたのよね」
「あー、これは……」
わたしのお洋服は今のところ全部ディオール様がくれる。
せっかくなので着てるんだけど、やっぱり豪華すぎて目立つかなぁ。可愛いからいいかなーって思ってたんだけど。
「伴の者を連れて歩くわけでもないのに、着飾っていて、しかも手袋をしていない娘。手仕事をしていて邪魔だからつけていないのだと仮定して、手近なお店で聞き込みをしたら、たぶんリゼさんだろうと教えてくれたの」
すごい……すごく当たってる!
「すごいんですね!」
「ま、人探ししたりするのは得意なのよ」
お姉さんはにこりとした。
「私はアニエス。魔法学園の四年生よ」
アニエスさんはひとしきりお話しして満足したように、カヌレを取り分けた。
わたしも一緒になってカヌレを一口。
カリカリの表面がカヌッ……という歯ごたえなら、中身のしっとり具合はヌレッ……としている。
んおっ、おっ、おいしい~!
「こっ、これはどちらのお店のものですか!?」
「これはウーブリ修道院のものよ。あの店よりおいしいと思うわ。修道士の気前が良すぎるのだとかで、材料がシンプルに豪華なのよね」
「甲乙つけがたいです……! このリッチな味わいもいいですけど、いつものクッキーのさくさく具合もすごくいいんです!」
「あらそう……本当に残念だったわね。あそこ、近いうちに潰れるでしょうから」
わたしは奈落の底に突き落とされた気分になった。
「な、な、なんでですかぁ……っ!? あんなに……あんなにおいしいのに……!?」
泣きそうになっているわたしに、アニエスさんは眉尻を下げた。
「あそこのオーナーはもう廃業したがっているのよ。息子を貴族と結婚させて社交界入りしようとしてたの」
「なんてもったいない……!」
「しかもその息子が何を血迷ったのか庶民の娘に入れあげて、縁づこうとしていた貴族との婚約を破棄してしまったものだから、もう終わったも同然なのよ」
マジで。
お貴族様とトラブルになっちゃったのかぁ……
「せめてレシピだけでも最後に知ることはできないでしょうか……あんなにおいしいのに……」
アニエスさんがフフッと笑う。
「慰謝料の請求リストの中に入れておくわ」
「へ?」
「その、菓子屋の息子に婚約破棄された娘が、私なの」
わたしは混乱した。
えっえっ、つまりどういうこと?
「あの店はこれから私への慰謝料のせいで潰れる予定だから。お詫びといってはなんだけど、レシピくらいは聞いてくるわよ」
くすくす笑っているアニエスさんは、ちょっと妖艶な感じがして、わたしはドキッとした。
「でも、同じレシピでも作り手によって味が変わるのがお菓子の不思議なところなんですよ……!」
「そうなのねぇ。あなたには申し訳ないことをしたわ」
愉悦でくすくすしているアニエスさんは、「それなら」とにっこりした。
「たまにクッキーを届けさせるわ。それで許してちょうだいね」
「ええっ、いっ、いいんですか!?」
「いいのよ。私の気持ちだから」
わたしは感激して、アニエスさんとまた会う約束をした。
お菓子くれるなんて、この人もいい人だぁ……!
おいしいクッキーのおかげで、午後の仕事もはかどった。




