42 リゼ、弁護士を探す
「えっ、そんな、いいですよ……」
「君に任せていては死ぬまで終わらんだろう。とにかく今ある分だけでも登録して、残りは人を雇ってやってもらう」
「えっ、これって人にお任せしても大丈夫な書類なんですか?」
それならそうと早く言ってほしいなぁ。
「ああ。だがその前に、君も一通り頭に入れておく必要がある。覚えるまで教えるから、叩きこめ」
「うぇぇぇぇ……」
ディオール様は、とってもスパルタだった。
――これが一週間前の話。
「どうなってるんだ君の店は。めちゃくちゃじゃないか」
「えへへぇ……」
ディオール様はわたしがため込んでいた発明品の山をおそるべき手際のよさですべて片づけてくれた。
「私だって暇じゃないんだぞ。一週間あればどれだけ有意義な仕事ができたか……最初から人を雇えばよかったか」
確かに、ディオール様くらい強くて優秀な魔術師に、単なる書類仕事をさせるのは、すごく時間がもったいないね。
「とりあえず、盗まれたら特に困るであろう技術だけは片づけた。残りの混沌としている部分は、弁護士でも雇って処理することだな」
「そんなの無理ですよ……」
「何が無理だ? こういうときのためにいる連中だぞ」
わたしはふるふると首を振った。
「貴族ですよね、基本的に、弁護士って」
「そうでもないと思うが」
「ディオール様は魔術師ですから、あんまり感じないかもしれないですけど、わたしたち職人からすると法律関係のお仕事をする人たちはブルジョワで、ブルジョワはお貴族様なんです。依頼なんてとても……うちみたいに小さいお店は、わざわざ裁判所まで行かないで、ギルドの小法廷とかで、当人同士で話し合うものなんですよ」
というのが、両親の教えだった。
「いや、君は利用するべきだ。むしろ君ぐらいになれば弁護士たちの方から雇ってくれと言ってくるだろう」
ディオール様は頑固だった。
「私の知人を紹介してもいいが、気の合う相手を探すべきだろう。誰かいないのか?」
「全然……貴族の知り合いなんていません」
「学園時代の友人とか」
「学園行ってません」
「成人式のときの仲間は」
「家族だけで済ませました」
ディオール様が、ふむ、と唸る。
「まず学園に通わせるべきか」
「えっ……!?」
魔法学園って、お姉様が通ってたところだよね。
ていうことは、お姉様みたいな人がいっぱいいるってことなんだよね……!?
「い、行きたくないです……!!」
わたしが断固拒否の構えを取ると、ディオール様は「そうか」と言って、あっさり引き下がった。
「まあ、これだけの才能ある魔道具師に授業を受けろと言うのも野暮か。そんな暇があったら仕事をした方が有意義だろう」
ディオール様、褒めるときも怒るときも顔色が変わらない。
「しかし、人の使い方は覚えなければダメだ。君はいずれ伝説級の魔道具師まで上り詰めるだろう。弟子だってたくさん持つはずだ」
「いやーそんな……」
「私が探してきてもいいが、君と長く顔を合わせて仕事をすることを考えると、やはり女性がいいだろう」
女のひとかぁ。
「とにかく探してみろ。さもないとまた書類が溜まることに」
「すぐに探します!」
もうあんな面倒くさい書類は書きたくない……!
お客さんとかに聞いてみようかな?
マルグリット様やウラカ様なら、貴族のお友達を紹介してくれるかも。
わたしは依頼の片手間に、人の募集をしてみることにした。
***
魔法学園の敷地内、噴水のある広場にて。
黒髪の女子生徒は、醒めた目つきで目の前の男子生徒を見つめていた。
男子生徒は婚約者だが、彼の腕には今、別の可憐な少女が抱かれている。
男子生徒は黒髪の女子生徒に向かって、無情に告げた。
「アニエス。君との婚約は破棄する」
「承知いたしました」
アニエスと呼ばれた女子生徒はむしろ、落ち着き払っているくらいの態度だ。
「今このときをもって、ディアマン男爵の娘アニエスは、菓子職人の息子ジャックとの婚約を破棄いたします。なお、この取り決めは親同士の間で為されたものであり、二人の間に結婚の意思ないし、婚姻を完成させる行為がなんら執り行われなかったことを、審判の女神テミスの名にかけて証言いたします」
滑らかな口上に、周囲はどよめいた。
「今なんて言ったの?」
「婚約してたけど、何にもしてなかったってさ」
ひそひそとした噂話にも、アニエスは顔色一つ変えない。
一方で、婚約を破棄すると宣言したジャックの方が、むしろいくらか顔を青くしていた。
「何をごちゃごちゃと……相変わらずうるさくて、人の神経に障る女だ。もうお前の話など聞きたくない。頭痛がする」
「それはわたくしのセリフでございますが……」
アニエスはニタリと微笑んだ。
「もう一つだけお聞かせくださってもよろしいかしら? ジャック、あなた、どうしてわたくしと婚約したのでしたっけ?」
「お前が男爵の娘で、貴族の資格をかろうじて持っていたからだ!」
ジャックが憎々し気に応える。
「だがそれももう終わりだ! この子にはセヴィニエ伯爵令嬢だった母親の血が流れている! お前のような可愛げのない女とはこれっきりだ!」
アニエスは、人から『魔女のようだ』と言われる笑顔で、唇の端を三日月のように吊り上げた。
「その娘、貴族の血は一滴も流れておりませんわ」
ジャックの腕の中で、少女は真っ青になった。
「……え……」
「この期に及んで、でたらめを言うな!」
「そうおっしゃると思いまして、証拠をそろえておきました」
アニエスは――いったいどこから取り出したのか――いつの間にかその手に、紙の束を持っていた。
胴着の背中とコルセットの間に隠し持っていたのを、すばやく抜き取ったのだ。
面白い見世物が始まる予感をかぎつけて、少しずつ生徒が集まってきている。
「彼女の出身の教区教会に洗礼記録簿を見せていただきましたところ、」
アニエスが続ける裏で、誰かのひそひそ声がする。
「洗礼ってなぁに?」
「光の女主神ルキア様絡みの儀式だよ。生まれたときに必ず全国民が受けるから、実質出生記録として使えるんだ」
アニエスが記録に当たったのも、もちろん出生を確かめたかったからだった。
「彼女、簿冊上ではなぜか、生まれてから三か月も後に登録されておりましたわ。写本では分かりませんでしたけれど、原本では前後の赤子の誕生日が三か月もズレておりましたから、すぐにおかしいことが分かりました。ま、普通は原本まで確認しに現地まで行くことなどありませんから、十分に騙せると踏んだのでしょうね」
アニエスは愉快そうに喋り続ける。
「不審に思いまして、聞き込みをしましたところ、本当の母親と、改ざんを行ったシスターが見つかりました」
一枚の紙を取り出す。
「その二人に真実の神の前で宣誓させて聞き出したのがこちら。彼女らは望まれない哀れな子を名家の娘の養子として託したと、確かに証言しましたわ。それがそこにいる、可憐な彼女の母親、セヴィニエ伯爵の元令嬢。元令嬢は、秘密裡に赤子を娼婦から買い、好きな男との間にできた娘だと騙して、まんまと持参金なしの貴賤結婚にこぎつけたというのがことの真相でございます」
アニエスはヒラヒラと紙の束を振ってみせた。
「――この証拠はすでに裁判所に提出済み。受理され次第、彼女はセヴィニエ家の家系図から抹消されて、養父からも勘当されるようですわ」
ジャックはすでに呆然としていて、アニエスの話が聞こえているようには見えない。
それでもアニエスは喋るのをやめなかった。
「ジャックが入りたがっていた乗馬クラブの会員権って、確か、家柄が貴族か、もしくは貴族の妻がいることが条件――なんでしたっけ? あらいやだ、そうするとご両親の悲願だった社交界デビューも台無し? ジャックったら、親の取り決めに逆らってでも無一文の可哀想な少女を引き取ろうだなんて――その慈善の心に敬意を表しますわ」
笑いながら喋り続けるアニエスに、ジャックは激昂した。
「笑うな! 人の生まれを詮索して笑うなんて、根性曲がりの女め! だから俺は嫌だったんだ!」
「根性曲がり? とんでもない。テミス神は誰の前にも平等だというだけのこと」
アニエスはジャックを嘲笑気味に見返した。
「弁護士の娘に婚約破棄を吹っかけて、ただで済むとお思い?」
どっと笑い声が起きたのは、見物していた生徒たちからだった。
やんやの喝采が巻き起こる。
「いいぞーアニエスー!」
「アニエス様かっこいー!」
「面白かったね! 劇の練習だったのかな?」
「何の路上劇だったの?」
「タイトル知りたい! 見にいくから」
アニエスは笑いながら喜劇役者風にお辞儀をすると、放り投げられた投げ銭をいくつか拾って、愛想よく退場した。
これでもうジャックとの縁が切れると思うと、晴れ晴れした気分だった。




