34 魔銀と清めの塩
ディオール様は、ふむ、と唸った。
「そういうときは『塩を入れる』」
変なことを言い出した。
し、塩? 意味が分からない。
「塩……ですか? お料理に使うときの?」
「ああ、そうだ。『塩を入れる』といい」
また言った。
何の比喩だろうと思っていると、ディオール様は「知らんのか?」と涼しい顔で言った。
「魔銀に1%の塩を入れた護符は、なぜか呪いにとても効く」
「なんですかそれ……聞いたことないです」
「そうか? 君が知らないということは、わが家の秘伝かもしれないな。私は錬金術師の家系なんだ」
錬金術の名家、アゾット家。
ディオール様のご実家は有名なので、私も名前だけは知っていた。
「塩は1.5%ではいけないし、0.5%でもいけない。塩と呪術の明確な関連性もよく分かっていない。しかし、錬金にはときどきそういう、予期せぬ超効果を発揮するレシピというのがあってな。だから、私の家では、手詰まりになったら『塩を入れる』と言うんだ。何でも総当たりで組み合わせて錬金すると、たまに当たりの合金ができあがる」
「けっこう原始的なんですね……」
「まあそう言うな。私の経験だと、幻影魔術は液体金属と相性がいい」
「それは指輪には加工しづらいですね」
「あとは水と風属性だな。形を変えるものは幻影が乗りやすい」
「気体と液体の指輪かぁ……」
水のリングに風のリング、それこそ神様の魔法じゃないとできなさそう。
「ダメなら『塩を入れる』しかない。案外、まだ知られていないレシピが発見できるかもしれないぞ」
わたしはこれまでに作ったものを頭に思い浮かべた。
「わたしの作るものはアクセサリーとしての外観が第一なので、合金はあんまり作ったことがないんです。試してみたら、何か面白いものができるかも?」
「やってみるといい。砂鉄もなかなかいいぞ」
「砂鉄……ですか」
「原理は不明だが、ガベル山脈で採れた砂鉄と魔力を41:59の割合で混ぜ、さらに別の物体と128回ほど魔力釜で融合の魔術をかけると、なぜか近くでかけられた魔術の記述式を記録するようになる」
記録媒体って……こと?
それなら……と、わたしの脳裏に閃くものがあった。
「やってみます!」
わたしは次の日から早速魔力を帯びたガベルの砂鉄と魔銀の合金を試してみることにした。
何日か実験してみて分かったのは、圧縮した魔術式がとても乗せやすいということ。
一般的な金属の数百倍くらい乗せられる。
圧縮に圧縮を重ねた幻影魔法の魔術式が、なんとか小さな指輪に納まった。
試作品、完成!
鏡の前に立ち、鉄の野暮ったいリングを嵌める。
風景同化の魔術を起動させるだけで、わたしの姿が鏡から消え失せた。
くるくる回ってみても、影がチラついたりもしない。
完全に透明。
なかなかよくできたんじゃない!?
これはきっと画期的な商品だ。
姿を消す魔法が使えたら、鳥や魚を採るのにも便利だ。
危険な魔物と遭遇したときも、逃げやすくなる。
フェリルスさんを驚かすのにも使えるかも?
目の前で消えたわたしにビックリ仰天して、『どこにいったああああ!?』と大騒ぎするフェリルスさんを思い浮かべて、わたしはちょっと楽しくなった。
材料価格をもうちょっと抑えられたら、かなりいいかもしれない。
問題は――
わたしが明かりをともす魔法を使うと、急にわたしの姿が見えるようになった。
指輪の内部をのぞいてみると、わたしが入れた幻影魔術を上書きして、新たな魔術式が書き込まれている。
――この指輪、近くで魔法を使われると、記録しちゃうんだなぁ……
これではほぼ使い捨てだ。
一度記録したものをずっと保持するように性質を変えたかったけれど、そちらはどうやっても解決の糸口すら見えてこなかった。
まあ、いっか。
とりあえず、使い捨てでも、お守りとしては上々だよね。
アルベルト王子は『恒久性のある魔道具を』とは注文しなかった。動力源を組み込めないような、手のひらサイズ以下の魔道具はたいてい何回か魔術を起動したら力を使い果たしてしまうものだから、そこまでのクオリティは求めてなかったはず。
これで課題はクリアだ。
わたしはウキウキで、最初にディオール様に持っていった。
「完成したのか?」
ディオール様は驚いたようだった。
「嘘だろう、できるわけがない。少し見せてみろ」
なぜか否定しつつ、わたしの指輪を嵌める。
【幻影魔術‐風景同化】
ディオール様の全身が、さあっと周囲の景色に紛れて、消えた。
「……信じられない」
ディオール様の声がする。
「いや、すごい技術だ。君もそのうち叙爵されるんじゃないか」
わたしも女男爵とかになれるのかなぁ。
ちょっとかっこいいかも? などと思っていると、ディオール様が指輪を外した。
さっと出てきたディオール様は相変わらず難しい顔をしていた。
「しかしまあ、とんでもないものを作ってくれたな。あまりにも危なすぎる。犯罪に使えない場面がないというぐらい汎用性が高い」
「犯罪……ですか?」
「姿が見えなければ盗みやただ食いもし放題だろう? 暗殺者ならノーチェックで王の寝室に紛れ込める」
わたしはヒッと短く悲鳴を漏らした。
そ、そこまで考えてなかった……!
「ど、どどど、どどどうしよぉ……」
ディオール様はわたしの慌てようを見て、変な顔になった。
「……想像もしなかったのか?」
「ぜ、全然……」
ディオール様はニヤニヤしはじめた。
「どうせ君のことだから、いたずらに使えるとでも思っていたんだろう」
「なんで分かるんですか!? フェリルスさんをおどかしたりするのに使えそうだなって……!」
ディオール様はひとしきり笑い転げてから、指輪に視線を戻した。
「呆れてものも言えん。これがギュゲースの指輪を作った偉大な魔道具師だというのだから」
「めちゃくちゃ笑ってるじゃないですかぁ……」
わたしの抗議に、ディオール様がちょっと意地の悪い笑みを返す。
「君に危機感が足りないのがいけない。リゼ、おそらく君はこの授与式で、『ギュゲースの指輪師』として広く知れ渡ることになるだろう」
「そ、そんなにおおごとに……」
「なる。間違いなく君を巡って、争いが起きるだろうな。私が敵対陣営でもリゼが欲しいと思うだろう。アルベルト王子も人が悪い」
「わたしっ、等級の授与は辞退しますっ……!」
こないだの暗殺者メイドさんみたいな人がたくさん来たら怖すぎる!
「いや、気にせず発表するといい。これは本来君が得るべきだった名誉と脚光だ。誰であろうと奪っていいわけがない。いいものを作った人間に相応の報酬が与えられないのなら、いずれは誰もものを作らなくなる。これを、『悪銭は良貨を駆逐する』というんだよ」
わたしはだんだん恥ずかしくなってきて、うつむいた。
なんだか、ディオール様に褒めてもらうとくすぐったい、気がする。
アルベルト王子やマルグリット王女もすごく褒めてくれたけど、こんなに恥ずかしくはならなかった。
「心配せずとも、国王や王子も君を守ろうと動くはずだ。もちろん、私も」
ディオール様が浮かべた微笑みは綺麗だった。
「君を守る役目は、私にさせてくれ」
「ありがとう、ございます……」
ドキドキする気持ちを抑えてお礼を言うのが、わたしにできた精一杯のことだった。




