30 初めてのお客様
ディオール様の行動はすばやかった。
ディオール様はスッと無言で下がると、パタン、とわざと大きく音を立ててドアを閉め、出ていった。その間、一秒もなかった。
あとに残されたのは最悪の空気と、顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうなウラカ様。
「あ……あの」
「どうしてっ! あの方はっ! わたくしにちっとも興味を持ってくださらないの!? 一瞥! 一瞥すらしてくださらなかったわっ……!」
「ポリティカルな事情みたいなことはおっしゃってましたよ……あの……ウラカ様はすごくおきれいだと思います、自信持ってくださ」
「あっっったり前でしょう弁えなさい庶民風情がっ!」
「へえ……申し訳ありやせん」
ああ、本当にお姉様と同タイプだなぁと思いながら、わたしはわざと庶民なまりで答えた。
ウラカ嬢はみるみるうちに目を潤ませた。
「ちがうわ……当たり散らしたりしてごめんなさい。わたくしあなたを憎みたくなんてないのに……わたくし自身にも感情の始末がつけられないのよ……! 本当にごめんなさい……」
わたしは、お? と思った。
姉なら、こんなふうに自分が悪いと認めるようなことは絶対言わない。
世の中の人間はすべて自分を引き立たせる脇役、と思っている節があるから、努力すれば絶対にどんな相手にも勝てると信じて邁進するし、それで足りなければ騙し盗みも平気で働く。なぜなら自分は成功を約束された人間で、他の人間が姉よりいい目を見るのは『間違ってる』から。
「あなたのことも聞いたわ。先代の王妹のお孫様でいらっしゃるんですってね。血筋ならあなたの方が上、ディオール様のご寵愛ぶりも明らかとなれば、きっともうわたくしに勝ち目なんてないのでしょう。それでも、諦められなかったの……あなたのご婚約者様なのに、はしたない真似をしてごめんなさい……」
ほろほろはらはらと泣き崩れるウラカ様に、わたしは耐えられなかった。
「だ、大丈夫ですウラカ様、ウラカ様ならきっとやり直せます!」
自分が悪いと思える心があるならまだ大丈夫だと思う。
「ありがとう……優しいのね、あなた」
ウラカ様が涙をぬぐいながら言う。
「わたくし、あの夜に失礼なことも申し上げたわ。それなのにこうして治しにきてくださったんだもの、ディオール様が惹かれるのも当然よね」
「いやぁ……あはは」
大人の政治事情は難しいね。
わたしにはあいまいに笑うことしかできなかった。
「もしもディオール様がわたくしに見惚れるようなら、火傷のあとの責任を取ってと迫るつもりでしたけど、もう無意味なのでしょうね」
「きれいに治して、別の男性を見つけた方が絶対にいいと思います」
「本当に、傷跡を残さずに治してくださるの?」
「もちろんです」
ウラカ様は初めて、わたしに笑顔を見せた。
「リゼ様。よろしくお願いします」
わたしはウラカ様が今よりもきれいになりますようにと念じながら、移植用の皮膚を作った。
手術は無事に成功し、ウラカ様は後日、わたしのお店に花束を持ってお礼に来てくれた。
「ありがとう……わたくし、きっともっといい男を捕まえてみせるわ」
「その意気です、ウラカ様!」
ウラカ様はきれいな人だし、わたしが男でもほっとかないだろうから、すぐにいい人が見つかるよね。
「それにしてもあなたってすごいのね。魔道具店って、アクセサリーしか売っていないのだと思っていたわ」
「魔力と術式が組み込まれてるモノは、全部扱ってます」
「全部……」
ウラカ様はきょろきょろとあたりを見回して、物珍しそうにしている。
「とはいえ、今回のは、本来なら医療用の聖魔法とか、錬金術の範囲なので、許可がないと作れないみたいなんですけどね。今回は第一王子殿下が手を回してくださったみたいで」
「そうだったの……わたくし、とても幸運だったのね」
ウラカ様はわたしが作った展示品を見て、その中の一つに目を留めた。
「きれいね」
「魔石のお守りです! 黄色い魔石は幸運を運んでくるって言われてます。モチーフのお花は、『再出発』とか、『新しい希望』って意味があるようですよ」
ウラカ様はいいことを思いついたというように、手を打ち合わせた。
「ねえ、わたくしにもひとつこしらえてくださらない? わたくしも、前を向きたいの。ディオール様のことを忘れて、新しい恋を見つけられるような、そんなお守りはないかしら?」
わたしは植物図鑑を引っ張ってきた。
「これとか、花言葉は『新しい恋』ですね」
「ちょっと派手すぎるわ」
「じゃあこっちは? 『別れの悲しみ』『心の平穏』『休息』」
「少し暗いわね」
「この花は『予期せぬ出会い』だそうです」
ウラカ様はじっとそのお花を見た。
気に入ってくれたみたい。
わたしはスケッチブックにささっとラフ画を描いた。
「『再生』の意味があるこのお花と一緒に、こう、花束にしたブローチはいかがでしょう? 花弁には魔石をたくさん並べて、台座は最小限で、キラキラに」
「いいわね」
「女性がより素敵に見えるおまじないとかもちょっと盛り込めますよ! こう、下からほんのり明るく照らす術式を入れると、顔の陰影が飛んで、きれいに見えるんですよ」
「なるほど……そういうのもあるのね」
わたしは展示品のブローチをほんのり輝かせて、ウラカ様に持たせた。
すかさず鏡を持ってくる。
「どうですか? 顔色が明るく見えませんか? 夜、暗い所でおしろいをぬっていると、より映えますよ!」
「なんだかいつもより綺麗に見えるわ」
「ウラカ様は元から美少女ですから、小細工なんて必要ないんですけどね」
ウラカ様はふふんと微笑んだ。
「いいわ。あなたはよく分かっているようだから、買ってあげる」
「ありがとうございます!」
こうしてウラカ様は、わたしが営業した初めてのお客さんになった。
***
わたしがゼラニウムとラッパズイセンの花束を持って、お屋敷の大広間の隅っこに座っていたら、ディオール様が遊びに来た。
暗い部屋でじっと座っているわたしを見るなり、ディオール様は噴き出した。
「何をしてるんだ?」
「色味の観察を……暗いお部屋だとどういう色になるのかなぁって」
「そうか……悪魔召喚の儀式かと思った」
まぁ、暗い部屋に魔石とかを並べて床に座ってたら、確かに怪しい儀式みたいに見えるのかもしれないけど。
わたしは「真剣なのに」とむくれたけれど、ディオール様はまだ笑っている。
「こう……黄色みのある魔石を並べてお花のモチーフにしたいのですが、色合いが決まらないんですよね」
わたしは床に直接並べた魔石にろうそくの火をかざして、いろんな角度できらめかせた。
「どう思いますか?」
「それは客に聞いた方がいいだろう」
「そうなんですけどね」
どんなドレスにも合わせたいのなら色味は薄い方がいい。でも黄味が強いのも、ろうそくの火に映えておしゃれ。
「グラデーションにするとか……でもそうすると一粒一粒が小さくなりすぎるかなぁ……」
わたしがぶつぶつつぶやいていると、ディオール様はすとんとその場に座り込んだ。
「それで、結局婚約は解消するのか」
ディオール様に聞かれて、わたしは固まってしまった。




