3 リゼ、フラフラになる
姉は急に帰ってきたかと思うと、またわたしに無茶を言った。
「今度の舞踏会で婚約発表をするわ。家族にもぜひ出席してほしいとのことよ。着ていく服はわたくしが指示するわ。ちゃんと作りなさいよね」
「い……いつですか?」
未加工の材料はいっぱいあって、日々増えていく。
さらにドレスも用意するとなると、また睡眠時間を削るしかなさそう。
「来週よ」
「ら……来週ですか!?」
「ドレスぐらい、一日で作れるでしょう? わたくしの分を入れても、たったの二日だわ」
わたしは泣きそうになりながら必死にぶんぶんと首を振った。
姉から渡されたデザインは、とても凝っていて、一日二日でできるようなものではなかった。
「も……もう少し簡単なデザインに……」
「ダメよ! わたくしの家族として招待するのよ。芋くさい貧乏一家だと思われたら一生の恥だわ! 必ずわたくしの考えた最新流行の服を作りなさい!」
いいわね、と念を押す姉に、反論する気力は、なかった。
「ど、どうしよう、どうしようぅぅぅぅ」
デザイン画の細部を見ていたら、涙が出てきた。
クレープ生地のような質感の布地? 無理死んじゃう。
こんなにたくさんフリルがある服は無理、死んじゃう。
レースなんて一センチ編むだけでも大変なのに概算五メートルも必要なんて、無理死んじゃう。
お……お花模様の刺繍? しかもこんなに細かく? 何本手が必要なの? 無理死んじゃう。
ブローチとネックレスまで? 無理無理、これだけで一週間は最低でもかかる、本当に死んじゃう。
姉のおそろしい形相と、最後の言葉が蘇る。
――できなかったら食事を抜きにしてもらうわ。
こ、これ以上ごはんを抜かれたら死んじゃう……!
わたしは必死だった。
何がなんでも完成させないと……!
わたしはデザイン画を見ながら、必死に手を抜けるところはないか考えた。
作業を切り詰めに切り詰め、できるところは簡略化とパターン化して繰り返しの術式を組む。
わたしは膨大な量の雑用をしてきたので、手抜きの技能だけはそこそこある。
なんとか間に合って……!
小さな仮眠以外とらずに、ぶっ通しで一週間作業をした。
***
わたしは婚約式の当日、目の下にくまを作りながら、なんとか会場に立っていた。
姉のデザインしたドレスは、モード番長を自分で名乗るだけはあり、周囲の人と似通ったモチーフながらも『おっ』と目を引くような出来栄えで、わたしのような者にも多少の花を添えてくれた。
けど、そんなことはどうでもよかった。
わたしは開放感でいっぱいだった。
ま、ま、ま、間に合ったあぁぁぁぁぁ!
今日の夕方、ギリギリですべてのセットを揃えたときの感動を忘れない。
これでなんとか殴られずに済む。
ごはんも抜かれずに済むんだ……!
わたしはよれよれの身体に鞭打って、軽食が置いてあるコーナーに近づいていき、ジュースを飲んだ。
お、おいしい……!
お砂糖入りの果汁なんていつぶりだろう。
甘くていい匂い……!
きっとこれは桃だよね。
桃ジュースおいしい!
舞踏会、最高かも?
しばらくパンと水だけの不摂生な生活をしていたわたしに、砂糖たっぷりのジュースはちょっと効きすぎたんだと、あとで冷静になって振り返ると、思う。
しばらくすると、すごく気持ち悪くなってきた。
な、なにこれ……?
吐きそう……
わたしが床にうずくまったとき、周囲の人から軽くどよめきが聞こえた。
***
「あの子、顔色が悪いね。それになんだか、見た目もボロボロだ。どこの家のお嬢さんだろう」
アルベルトに耳打ちされて、アルテミシアは恥ずかしさでいっぱいだった。
「わたくしの妹なのですが……少し身なりに構わないところがあるんですの。申し訳ありません」
「大丈夫なのかい? 具合が悪そうだ。座ってしまったよ」
「平気ですわ。礼儀作法をまるで知らないものですから、ふざけているのでしょう。このような場にふさわしくない妹で、お恥ずかしい限りですわ」
アルテミシアは、妹から離れようと、王子の腕をくいくい引っ張った。
***
吐きそう……誰か、助けて……
お姉様……!
すがるように見上げた姉は、汚いものでも見たような目つきでこちらを見ていたけれど、やがて顔を背けて、どこかに行ってしまった。
誰か……
「おい、大丈夫か?」
わたしは吐いてしまったらしい。
そのことをあとで聞かされた。
気づいたら、どこかの薄暗い一室で、豪華なソファに寝かされていた。
「さっさと起きなさい!」
張り手を食らって、一気に目が覚める。
姉は怒りの形相でわたしを見下ろしていた。
「あなた、なんていうことをしてくれたの? よりによって国王陛下や王妃様も見ている前で吐くなんて! その場で殺されたって文句は言えない醜態よ!?」
わたしはカタカタと体が震えた。
「ご……ご……ごめん、なさ……」
「謝って済む問題じゃないのよ。あんな失態二度も起こされたらわたくしは破滅だわ。とっとと家に帰って、二度と宮廷には来ないでちょうだい」
「わ、分かりました……」
立ち上がりかけたわたしの横で、姉が両親にも不満をぶつける。
「お父様とお母様もよ、ちゃんとしてきてって言ったのにそんな格好で来て! 親族だなんて思われたらみっともないから、リゼと一緒に戻ってちょうだい!」
横で聞いていた母親が、さすがにひどいと思ったのか、口を挟む。
「何を言ってるんだい……あたしらのおかげでお前は婚約にこぎつけたんだろう? お前は魔道具なんてろくに作れないんだから、もう少し感謝したらどうだい」
「アルベルト殿下は魔道具だけを評価したのではないわ! わたくしの人柄あっての評価なのよ!? 同じ魔道具をリゼが作ったと言っても、王子殿下には見向きもされないわ! 見なさい、この青白い顔!」
ボロボロのわたしの顔をもう一度ひっぱたいて、姉は肩をすくめた。
「地味で愛想がなくて、魔道具づくりしか能のない馬鹿妹に仕事を与えてあげてたんだから、感謝してほしいところね」
普段は厳しい母親も、このときだけはちょっとだけわたしに同情的だった。
「アルテ……あんたね、いい加減にしなさいよ。あたしらの代わりはどこにもいないんだよ? あんたなんて、魔道具がなかったら高慢ちきのスノッブ娘じゃないか」
「わたくしの代わりこそどこにもいないわ! 美しい容姿に話し方に教養、わたくしより王妃にふさわしい女なんていないわよ!」
コンコン、と扉がノックされたのは、そのときだった。
衛兵風の騎士がやってきて、膝をつく。
「ご歓談中に失礼。ベッドの準備が整いましたので、お嬢様をそちらにお運びいたします」
「いいわよ、そんなの! この子は今からうちに帰すのだもの!」
「しかし、王のお慈悲で侍医の診察を受けられるように手筈を整えていただいておりますので……」
姉は舌打ちをすると、「なるべく早く帰りなさいよ」と言い残して、出ていった。
……いなくなってくれたおかげか、わたしはほっとして涙が出そうになった。
やっぱり姉は、怖い。
「あ……あの、わたし、大丈夫です。もう元気になりましたので……ひとりで帰れます」
姉を恐れて、ソファから起きる。
すると足がふらついて、また座り込んでしまった。
「お嬢様は少しお疲れになっているだけのようですが、毒などに当たっていては問題ですので、念のため詳しく調べさせていただきます」
衛兵の人はそう言って両親を説得してくれ、わたしは医者の診察を受けられることになった。
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