27 お別れのしどき
病院からの帰りで、わたしは眠ってしまったみたいで、ハッと目が覚めたらディオール様に寄り添っていた。
「ごっ、ごめんなさい、枕にしてしまってっ……」
ディオール様の渋面、久しぶりに見た。
「疲れているんじゃないか? ここのところ、無理をしていたようだし」
「い、いいえ! 健康面はばっちりです! おかげさまですごく開発が捗りました」
ディオール様がわたしの頬に手を当て、顔を覗き込む。
「無理はしていないんだろうな?」
「ぜ、ぜんぜん! 毎日六時間も寝させてもらえて、おいしいごはんも食べられて、本当に至れり尽くせりで……」
「もう少し寝なさい」
「は、はい、努力します……でもわたし、やっぱり魔道具を作っていると、時間を忘れてしまうことがあって……」
キスでもするのでなければ近づかないような、かなりの近距離でディオール様の呆れたような視線に晒されて、わたしは冷や汗をかきはじめた。ディオール様はすごくいろんなことに気づくから、実は六時間寝ているっていうのもサバを読んでて、本当は四~五時間くらいだってことも見抜かれそう。顔色だけでそこまで分かるはずはないんだけどね。
「夢中になるのもいいが、ほどほどにな」
「はい……すみません」
ディオール様はまだ不機嫌な顔。
「君にプレゼントがあったんだが、この分だといらなさそうだな」
「ええっ!? な、なんですか!?」
「健康管理がちゃんとできない人間には渡せない」
「でっ、できます、できます! ていうかもう今すでに健康です!」
「これからはちゃんと睡眠時間も取るようにするか?」
「はい!」
ディオール様はようやく笑ってくれた。
「よろしい。ではこれは君のものだ」
ディオール様がくれたのは、一枚の契約書だった。
かなり古いもので、かっさかさに乾いている。
開いてみると、先代国王陛下の名前で、魔道具師ゼナ――わたしの祖母に、土地や出店の権利、減税特権などを認めると書いてあった。
リヴィエール魔道具店の権利書だ。
「君の店が抵当に入っていて、競売にかけられていたから、ついむきになって競り落としてしまった」
「抵当……!? お、お父様とお母様は……!?」
「ご両親の足取りはつかめていないんだ。君の姉が起こした炎上事故のあと、かなり黒い噂が社交界に広まってしまってね。ほとんど閉店に追い込まれてたようだ」
確かに……あんな物騒な事故を起こした家から魔道具を買おうとする人はあんまりいないかも。
「どうやら借金を踏み倒してかなり遠方の南の島に逃げたらしいんだが」
「借金……!?」
そんなに経営が悪化していたなんて知らなかった。
「直前の銀行の取引状況によると、わずかな船代くらいは持って逃げたようだから、まあまず無事だとは思うが。借金は私の方であらかた綺麗にしておいた」
「な……なにからなにまで本当にすみません……!」
わたしは申し訳なさでいっぱいだった。
「……お父様とお母様の夢だったんです。晩年は物価の安い南の島で貴族みたいに召使をたくさん抱えて暮らしたい、って……」
「そのうち見つけ出して取り立てにいくとするか」
「あ、あの、おいくらくらいかかったんですか……?」
両親の作った借金なら、わたしも知らんぷりするわけにはいかないよね。
ところがディオール様は、肩をすくめただけだった。
「私の小遣い程度だ。気にするな」
そうは言っても、気にしないなんて無理だよ!
「……分かりました。この権利書は、責任もってわたしが買わせていただきます。わたしがお店を引き継いで、いつかディオール様にちゃんとお支払いしますので……!」
何年かかるか分からないけど、ちゃんとしなくちゃ。
「いや、そんなことはしなくていい」
ところがディオール様は、あっけなく首を振った。
「君の健康に差し障る」
「そんな……」
「本当にいいから、気にするな。金はあるんだよ。私の実家も資産家だし、ロスピタリエ公爵領からの上前もある。戦争の報奨金も引くほど貰った」
ディオール様は貴族らしく、お金に鷹揚なところがあるみたいだ。
でも、こんな大金を立て替えてもらって知らんぷりは、庶民としては気が引ける。
わたしが困っていると、ディオール様はちょっと噴き出した。
「気になるのなら、無理をしない範囲で、少しずつ店をやって、それでたまには私に食事をおごってくれればいい」
わたしはぱあっとなった。
「王都のレストランを全部制覇しましょう!」
「君の食い意地は徹底しているな」
「おいしいごはんが嫌いな人なんていません!」
笑っているディオール様を横目に、わたしはお店の権利書をしみじみと見た。
土地の権利と、どんな種類の魔道具でも他ギルドの制限を受けずに売る権利、税金の減免などが書きつけてある。
これだけでもすごく他のお店と比べて有利なのは、わたしにも分かった。
おばあさまが大事にしていたお店。
これからはわたしがお店を守っていくんだ。
しっかりしなくちゃ。
わたしは改めてディオール様に向かって頭を下げた。
「今までお世話になりました。すっかり元気になりましたし、こうしてお店も残ってくれたので、なんとか一人で生きて行けそうです」
言っていて、自分でも寂しくなってくる。
ディオール様には本当に助けてもらったから。
「何の話だ」
「わたしたちの婚約は、親から逃げるための暫定措置でしたよね? わたしに一人で生きていく手段がないから、とりあえずディオール様が助けてくださったんですよね」
「それは……そうだが」
「もう大丈夫になったので、お別れのしどきかなって」
ディオール様が不機嫌そうな顔になる。
わたしも、うまく笑えなくなった。
「本当に……楽しかったです」
公爵家に来てからの思い出が蘇る。
「ピエールくんも、フェリルスさんも、クルミさんも、とてもよくしてくれて……」
わたしの目から、ぽろぽろと涙があふれた。
「……わたし、本当に……」
泣いたって仕方ないのに、わたしは止められなくなった。
皆さんといつまでも一緒にいたかった。
「店はやりたければやればいい」
ディオール様がむすっとして言う。
「婚約も続けたければ続ければいいだろう」
「えっ……」
それはディオール様にとってもよくないと、わたしは思った。
「でも、ディオール様が、他の人と結婚できなくなっちゃいますよ?」
「構わん。私は女が嫌いだ」
ディオール様は微妙に視線をそらしていて、本心なのかどうかよく分からなかった。
「君が婚約していてくれた方が女避けになっていい。フェリルスの散歩係も必要だしな」
本当かなぁ……?
わたしを哀れんで言ってくれてるってことない?
今は好きな人がいなくても、そのうち出てくるかもしれないのに。
そのときにわたしが婚約者だったら、絶対後悔するよね。
とはいえわたしも、すぐにロスピタリエ公爵邸から出ていきたいとは思えなかった。
「考えさせてください……」
曖昧に返事を伸ばすので精いっぱいだった。
ブックマーク&画面ずっと下のポイント評価も
☆☆☆☆☆をクリックで★★★★★に
ご変更いただけますと励みになります!