253 リゼ、公爵さまに爪を再生してもらう
ディオール様は『この材料ならだいたい揃う』と言って、その日のうちにご実家に行くと言い出した。
「わたしも行っていいですか?」
「特に何も面白いものはないが」
一緒にいられるだけでももう面白いので大丈夫です!
って言おうとしたけど、なんだか恥ずかしくなってしまって、わたしはあいまいにニヤニヤするだけで終わった。
「じゃあ、このまま行くか」
公爵家の馬車が回ってきて、工場の入り口につけた。タラップを下ろすのも省略して、ディオール様がわたしを車体に引っ張り上げたとき、手の皮を見て、ぎょっとした。
あ、しまった。
ベンガラで指先真っ赤になってたんだった。
「怪我してるのか?」
「いえ、これは、赤い染料でぇ……」
革手袋してたら基本は染みないんだけど、今日は仕上げでガラス板をじゃぶじゃぶ洗ったし、縫い目から洗浄した水が染みこんで、中までびしょびしょになっちゃったんだよね。
「貸しなさい」
隣の座席に座らされ、手のひらを取られる。
「べ、ベンガラって、言うんですけど、あの……」
大したことないですよ、と言おうと思ったのに、ディオール様があんまり真剣な顔で見つめているせいで、わたしは何も言えなくなってしまった。
……じわじわと恥ずかしさが込み上げてくる。
最近、ひたすら磨き砂で摺る作業をしているから、手が荒れ気味なんだよねぇ。
すごく小さな擦り傷なんかは、直接指の腹に砂を取って磨いた方が、力加減がうまく行くので、びみょ~~~~な細部だと、ついついやっちゃいがち。
爪も指紋も削れてしまって、まだらに赤く染まった指を見られるのは、なんだかとっても恥ずかしかった。
「……手入れが甘いな。メイドは何をしている」
「あー……手先は、クリームが残ってたりすると、金属とかシルクは変質しちゃうのでぇ……何もつけないようにしてもらってるんです」
「それでこれなのか……」
角質が荒れてザラザラの指先を不満そうに、労るような加減で撫で撫でしてくれる。
……わたしは恥ずかしい上に、くすぐったくなってきて、うつむいてしまう。
「ついでに治療するか」
ディオール様は気乗りしなさそうにつぶやいた。
「綺麗に治るはずだ。薬なら、実家に行けば何でもある……何でもな」
「なんでちょっと嫌そうなんですか?」
「ほぼ何でも揃うからな。美容で使っていいのがどのあたりまでだったか、思い出すのに苦労するんだ」
「び、美容と治療って違うんですか?」
「ああ。あと、人体実験との境もどこだったか……」
「ち、治療と間違えて人体実験することなんてあるんですか!?」
「ある。自家用だと曖昧だったりするんだよ」
「やめましょうよそういうの……!!」
お医者さんなのに用法用量が適当なの、絶対よくない。
「まあ……大丈夫だろう。慣れている」
「ほ、本当なんですよね……?」
不安でドキドキしているわたしの手を、ディオール様はとってもきれいな笑みを浮かべて、ぎゅっと握った。
「失敗してもフォローは手厚い」
「失敗しないで……!!」
ディオール様のいつになくいい笑顔を見ているうちに、なんとなくわたしにも分かってきた。
「……からかってませんか?」
「気のせいだ」
「ほんとぉ……?」
「ああ」
「信じてますよ……?」
不安が高じて、ぎゅっと手を握り返すわたし。
すると、ディオール様は少し目を丸くした。
「もちろん、と言いたいところだが」
ディオール様が少し困ったように笑う。
「そう可愛い反応をされると、迷う」
「安全第一でお願いしますねぇ……!」
ディオール様はいい人なのに……
ときどきすごい意地悪するの、本当になんで?
わたしを怯えさせて喜んでるときない……?
き、気のせい? 気のせいだよね……?
――わたしは道中、得体の知れない治療に怯えることになったのだった。
◇◇◇
怯えていた治療は、特に何も怖いことなんてなかった。
それどころか、ついでとばかり、丁寧にネイルのケアをしてもらった。
赤く染まった指先はスクラブの入ったあわあわで洗ってもらって、オイルと交互に洗浄を繰り返したら、だんだん色が薄くなっていって、やがてきれいさっぱり取れてしまった。
最初はおててを握られてちょっと恥ずかしいな……と思っていたわたしも、効果てきめんの薬品が次々に出てくるので、それどころじゃなくなった。
「ベンガラってこんなにきれいに取れるんですね……!?」
「正体が酸化鉄だと分かっていればどうにでもなる。粒子をしっかり落として、酸化部分を還元すればいい」
「……?」
「いや、忘れてくれ」
ディオール様は軽く水で流してから、荒れた皮膚も治してくれた。
爪の生え際の分厚い角質は切除して、呪文で再生。
欠けてしまった爪も、何かのオイルをつけて、治療呪文をかけてもらったら、にょっきり新しい爪が生えてきて、きれいに治ってしまった。
「爪って再生するんですねぇ……!」
「そういう治療だからな」
長い爪、新鮮だぁ……
邪魔になるから、いつもギリギリまでカットしちゃうんだよね。
「なんだか貴族のお姫様みたいですね!」
「そんなに気に入ったのか」
ディオール様は少し笑ってから、慣れた手つきでやすりがけして、爪の先を四角くしてくれた。
最後の仕上げにと、小箱に入った白い粉を出してきて、セーム革につけて、磨いてくれる。
わたしの爪、つやっつや……!
光を丸く弾いて、曲面ごと輝いている。
こんな色艶、初めて見た。
「す、すごい、鏡面仕上げになってます……! わたしの爪、すごく高級そう……!」
「家具みたいに言うんじゃない」
「いーえー、高級家具のつやつやですよこれは! シェラックニスみたい……」
「なんだそれは」
「お高い家具にちょっとずつポンポンってしてつけるんです! そうするとすごく綺麗なツヤが出るんですよ。ただ、体温で溶けちゃうので、日常の家具には向いてないんです。高級家具にだけ許された輝きなんですよ……!」
「独特な褒め言葉でよく分からんが、喜んでくれたようで何よりだ」
わー、すごいなぁ、きれいだなぁ……
「わたし、いろんなものを磨いてきましたけど、自分の爪を……なんて、考えてみたこともありませんでした」
だって、爪が長いと邪魔だし。
手袋ごしだとうまく細工できないようなときは、指先を徹底的に脱脂して、素手で行くこともある。当然、手の皮膚なんて荒れ放題だ。
再生なんて荒技だけど、こんなに綺麗にしてもらったのは初めて。
「気に入ったのならメイドにやらせるといい。道具を渡すように言っておく」
「い……いいんですか?」
「そのためのメイドだ」
そして、そんな有能メイドのクルミさんをつけてくれているのはディオール様だ。
何でもないことみたいに言っているけど……
わたしは本当に、大切にしてもらっているんだなぁ。
「さて、私は銀液を作ってくる。君は?」
「おそばで見てます!」
「構わんが、飽きても構えないからな」
「大丈夫です! 飽きないので!」
「そうか? まあ、爪磨きでそれだけ喜べれば、退屈しないか」
もちろんそれもある。
けど、一緒にいたいだけだったりするんだよねぇ。
そう思いつつ、なんとなく言いそびれてしまったのだった。
◇◇◇




