227 女神のオルゴール(2/3)
オルゴールから、ひらり、と、風のように何かが舞い上がる。
透き通った翅を翻し、枯れ葉がひらひらと宙を舞うように、虚空を旋回した。
――蝶々だ。
オルゴールの内側から生まれた蝶々が、ひらりとバリガントさんの腕に止まった。
「バリガントさんは、これが何だか知ってるんですか?」
「妻が以前、オルゴールから飛ばしているところを見た」
蝶々は、魔力の光で燐光を放っていた。
自然界のものではない。魔獣か、あるいはもっと別の存在。
わたしはフタを閉じると、オルゴールのぜんまいを巻いた。
そっと開く。
楽曲がふたの隙間からこぼれ出る。
同時に、透き通った翅の下部に水玉模様が入った蝶々が、何匹も内側から飛び立った。
お店のあちこちに止まって、魔力の光を明滅させている。
きれいだなぁ、と、わたしはしばらく見とれた。
人が死ぬ前に見る幻覚って、こういうのじゃないかなぁ、なんて思ってしまうほど。
「……オルゴールの曲は、残っていた【魔術式】の中で、一番利用頻度が高い周波数帯の音を抜き出していって、完成させました。これで合っていますよね?」
「ああ。間違いない。この歌だった」
「だとすると、この曲がトリガーだったんだと思います」
わたしが試しにエコーの声に接続して、曲を流したときだった。
蝶々が箱の中から生まれて、ひらひらと集まってきて――
わたしがびっくりしている間に――
「蝶々がオルゴールの本体を直してしまったんです」
蝶々は魔法の光で折れ曲がっている部分を正確に切り開き、内側から叩いて修正すると、また正確に繋ぎ直して、直してしまった。
しかも、金属の足りない部分は、勝手にわたしのお道具箱から鉄や錫の延べ板を取り上げて、加工してくっつけてしまった。
驚くほど正確で精密な機械工作をこなしたあと、蝶々はふっと消え失せた。
「すごい技術だと思います。わたしには、こんな風に痕も残さず直すことはできません。これ、いったい何なんですか?」
魔獣、精霊、それとも妖精?
普通の生き物じゃないはず。
「私にも分からない。妻はこれを、蚤の市で偶然に発見したと言っていた」
バリガントさんに奥様のお話をさせてもいいのかな、と一瞬思ったけれど、今は落ち着いているようだ。
黙って聞いていることにする。
「ドワーフならば一目で分かる鮮やかな意匠――手に取ってみる隠れドワーフは、多かったのだそうだ。売った後、追跡して、強盗に入り、取り戻して、また蚤の市で売りさばく――ドワーフは宝石をため込んでいるから儲かるのだと、摘発した犯人グループが言っていた」
えぐい手口を聞かされて、わたしは鳥肌が立った。
なんてひどいことを……
「あとひとり、犯人が見つかっていない。そいつはなぜか仲間割れを起こし、妻だけではなく、仲間も殺して、去っていった。現場にこのオルゴールを残したままだ。持って帰ってもう一度蚤の市で売りさばく手はずだったろうに、なぜか、破壊するだけして置いていったんだ」
興奮気味に話すバリガントさんが、わたしの表情を見て、少し眉を下げる。
「……こんな話をして済まない」
なんで謝るんだろう?
残酷な話だから、無闇に聞かせるべきでないと思ったのかな。
「いえ、聞かせてください! わたしも気になります。その人は、なんでそんなことを?」
「分からない。ずっと追っている。破壊された魔道具類のそばに、焼け焦げた文字が残っていた――」
――傲慢。
魔術言語で記されたその言葉は、人間の悪徳だとして、女神ネメシスが嫌っていることで知られている。
「じゃあ、もしかして、犯人っていうのは……」
まさか、ネメシス様……?
「どう思う、魔道具師のお嬢さん。あなたの見識から言って、女神が襲ってくる、なんてことは、ありえると思うか?」
「……はい」
わたしは箱をひっくり返してみた。裏面にも鉄の板が張られている。開けてみなければ、内部が木材とは分からないつくりだ。
「……鉄で補強された木箱と、同じく鉄でできた機械ですもんね。斧で叩き割りでもしなければ、あんな壊れ方はしません」
「女神が鉄槌を下した、とでも言うのか?」
わたしにはそう見える。
何か、大きな力をふるった人がいたとしか思えないのだ。
「あのオルゴールは、つい最近作られたもので――おそらく、ハディヤさんが手がけたのだと思います。本物のドワーフは木工細工をしないので……地下には木が生えてないから。こういうの、擬ドワーフ様式って言います」
ドワーフの骨董品に似せて、人間の文化に馴染んだハディヤさんが作ったのだ。
「おそらくですが、元となった骨董品からパーツとなる鉄を採取して、新たに作ったオルゴールに貼り付けたのかな、と思います。そっちには、もっと大きな魔術式が載ってたはずです。ハディヤさんはそこから、オルゴールに必要な分を切り取って、移植した――」
「どうしてそんなことが分かる?」
「オルゴールの魔術式だけ、描き方が全然違いました。あれを追加したのが奥様だとすると、どこかにオリジナルがあったはず……」
オリジナルの魔術式の描き手は、卓越した魔道具職人だったに違いない。
あれだけのものが書ける人であれば、もうオルゴールの機械を箱に入れる必要もないのだ。
魔石をつけておけば、魔術式だけで、どんな曲でも鳴らせただろう。
でも、ハディヤさんは、そうじゃなかった。
新しい、何の曲も入っていない、まっさらなオルゴールを買って……
ひょっとしたら、いい感じの木箱も組み立てて……
どんな曲をつけよう、箱も装飾したいな、何でデコろうかな、なんて思いながら、いい素材を探していた、そのときにちょうど、壊れた骨董品を発見した。
「おそらく、そのオリジナルは動かなかったんじゃないでしょうか? それを奥様が、パーツの採取がてら、修理してしまった。長いこと、強盗グループの釣り餌にしか使われていなかった、価値もなさそうな鉄の箱が、息を吹き返したんです……」
あのオルゴールから蝶々が飛び出してきた原理は謎だ。
わたしもひっくり返してよく調べたけど、どうなっているのだかまるで分からない。
魔術式をよく検討したら分かるのかもしれない。
でも、それより、一刻も早くバリガントさんに直ったことを教えてあげるべきだと思ったのだ。
「……というわけで、ネメシス様が、一瞬でオルゴールを修復する不思議な蝶々を、人間がコキ使うには高貴すぎる生き物……家畜化するのは無礼……だとみなしたとしても、何にも不思議じゃないと思います」
バリガントさんが再び眉をひそめる。
「これが、高位魔獣だとでもいうのか……?」
ひらひらと頼りなく翅を動かしている蝶々。
幻想的で美しいけど、これは一体何の生き物なんだろう……?




