226 女神のオルゴール(1/3)
黄金の拍車が、泥汚れのついた足元でキラリと光っていて、わたしはハッとした。
「バリガントさんて、騎士団長様だったんですか……?」
「そうだが……初日にそんな話をしなかっただろうか」
エスト騎士団とは聞いてたけど、騎士団長とは言われてなかった。
言われてみれば鎧に入っている紋章も、騎士団長専用の豪華なトリムがついてる。
エスト騎士団の紋章はカイトシールドだけど、盾型の紋章にさらに盾が描いてあって、さらにそれをフチ取りしてあると、無限に続いているみたいでちょっと面白い。箱を開けたらもう一個箱が入ってて、開けたらまた箱が……っていうおもちゃあるけど、あれみたいだ。
バリガントさんはわたしの雑談にはまったく興味がないようだ。
「そんなことよりも」
先ほどから、目はカウンターにある魔道具に釘付けだ。
「オルゴールが直った、というのは、本当か?」
わたしは頷いて、よく見せるために、フタを開けてあげた。
中にあった機械は完全に直っている。
一度は折れたり歪んだりした金属のパーツが、痕跡すら残さず元に戻っているのだ。
新品同様の修理品を呆然と見つめているバリガントさん。
手を伸ばすことも忘れてしまったみたいに、またたきもせず凝視している。
あるいは、触れたらまた壊れてしまうとでも思っているのだろうか。
「……よかったら、鳴らしてみてください」
そっと声をかけると、バリガントさんは頷いた。
でも、なかなか手が出ない。
「……いや、すまない。君も忙しいだろうに」
「いえ! わたしは、今日はもう誰も来ないので! ゆっくり確認してください!」
バリガントさんは少しずつ、苦しそうに息を乱し始めた。胸を悪くした人みたいに、ぜいぜいと喘いでいる。
「……これは、大事な形見なんだ」
聞いています。
「しかし、現場にあったもので……部屋も、ひどく、荒らされて、いて」
わたしはかすかに息を呑んだ。
そういえば、そんな話を少しだけ聞いた。
「……辛い記憶とも、セットなんだ。横で、妻が、息絶えて、いるのを……」
落ち着かない様子で呼吸を整えている姿を見ていたら、なんだかわたしまで胸が詰まってしまった。
大事な形見であると同時に、辛い記憶の源泉でもあるオルゴールを前に、バリガントさんが動けなくなってしまう気持ちは、痛いほどよく分かる。変わり果てた姿の奥様を発見したときのバリガントさんの衝撃や苦しみは、いかばかりだったろう。
鍛え上げられた身体に重厚な鎧を身にまとうバリガントさんは、歴戦の騎士という言葉がぴったりだ。
それでも、その場に立ち尽くしているバリガントさんは、大事なものを失って泣いている子どもみたいに、苦しげな顔つきをしていた。
わたしは何と声をかけていいのかも分からなくて、ただ、黙ってバリガントさんを見守ることにした。
震える手を律しようとしているバリガントさんは、とてももどかしそうだ。
籠手を嵌めた手で、不器用に、気の遠くなるような時間をかけてぜんまいが巻かれていく。
巻き終わったぜんまいから手を離すと、澄んだ鉄琴の音がひとつ、ふたつ鳴った。
オルゴールの音に五度ほど上の完全に調和した和音が乗り、きらめきを増す。真っ暗な夜空に、小さな星が輝くみたいな――鮮烈で、清らかな音だ。
一小節進むと、かすかに風のような音が交ざった。
音を加工する【魔術式】が起動したのだ。
オルゴールの音にフィルターをかけて、雑音をカットし、周波数にして200前後の、まったくオルゴールとは関係のない音色をも、勝手に付与する。
奇跡としかいいようのない、美しく高度な魔術式の手が加わって、オルゴールの音は劇的な変貌を遂げる。
――ラー、ラー……
女性の声が響いた。
暗闇を引き裂く雷鳴のように、鮮やかで美しい。
喘ぐように呼吸していたバリガントさんが、雷に打たれでもしたかのように、動きを止めた。
ドワーフ語なのだと思う。
わたしには意味の分からない不思議な言葉の歌が、美しく研ぎ澄まされたオルゴールの音色に乗って、お店中に響き渡る。
美しい独唱の旋律は、古い教会で聞く聖歌のような響きを持っていた。
魔術式の作用で、ため息のようなコーラスが幾重にも重なって、世にも美しい和音を作り出す。
素朴で、もの寂しい歌だ。
もう何度も聞いているけど、そのたびにわたしは泣きそうになる。
聞くとなぜだか、胸に迫るような悲しみを感じさせるのだ。
昔を懐かしく思うときの、寂しくて、温かい、あの感情が蘇ってくるように感じてしまう。
すごく楽しかったという感情は残っているのに、今はもう二度とその場に戻れない、二度と味わうこともない幸福なのだと、残酷に突きつけられているような――
ひとりだけ置き去りにされたような孤独感が込み上げてきて、涙が出るのだ。
「ハディヤ……」
女性の名前だろうか。歌の歌詞に似た響きだ。
「歌声の主が、ハディヤさんですか?」
静かに頷くバリガントさん。
「……妻の声だ……」
哀切な歌声は、ねじが解け、オルゴールの音が間遠になるにつれ、ゆっくりと間延びしていった。
最後に、ふう、と、息を吐き切る音がしたきり、消えてしまう。
喉を振り絞って歌い切った、としか言えない、かすかな、かすかな息使い。
まるでその場に奥様がいるかのようだ。
もう一度歌って、とせがみたくなるような、きれいな歌だったけれど……
亡くなった奥様のお声だとしたら、この、心に沁み入るような、泣きの入った美しい歌声は、どんなに強く響いただろう。
いつしかバリガントさんは、小さくすすり泣いていた。
バリガントさんがどうしてもと言って修理したがったのは、きっと、この歌声が封じ込められていたからなんだろうなぁ。
もう二度とは会えない人の記録だから、それは必死になるはずだ。
物盗りにいきなり奥様の命を奪われて、思い出の品も取られてしまって、何も残っていなかったバリガントさんが、すがるような思いで修理できそうな人を訪ね歩いたのだとしたら、わたしに『修理できない』と言われたときの絶望も、どれほどだっただろうか。
奥様の声に宿るぬくもりにもう一度触れて、どれほどの過去が胸に去来しただろう。
わたしでさえ、置き去りにされたような孤独を感じる歌なのに、バリガントさんは、どんな思いで聞いたのだろうか。
……わたしが初めてオルゴールから女性の歌声を取り出すことに成功したときのこと。
わたしはあのとき、真っ先に、ディオール様に聴かせたい、と思った。
胸を抉られるような寂しい歌声にやられて、人恋しくなっていたのだ。
ディオール様はわたしが魔道具を見せたらいつも喜んでくれる。
だから、うまく行ったときは、見て見て! とやらずにはいられなくて、それで何度も笑われてきた。
そのときだって同じ動機で、ただ、わたしが聞いた綺麗な曲を聴いてもらいたかった。
一緒に聴いて、綺麗だな、って言って、分かち合ってほしかった。
自分の持ってる一番いいものを見せたい。
この人にも自分の持っているものを分けてあげたい。
そう思うこの欲には、なんと名前をつけたらいいのだろう?
でも、と、立ち止まったのは、この曲が人の大切な思い出だったからだ。
……奥様の思い出の曲を、わたしが勝手に見せびらかしたりしていいの?
この曲を聴く権利は、バリガントさんのものだ。
彼は思い出の女性の声を、人に――それも、男性に、聞かれたいと思うだろうか。
曲を聴いて覚えた、胸を締め付けられるような痛みだって、本来はバリガントさんのものだ。わたしが人に見せびらかしていいわけはない。
……それでも、わたしは、この美しい歌声を、ディオール様に聴いてほしかった。
誰かと共有しなければ、押しつぶされそうだと思ったのだ。
迷った末、わたしはオルゴールを自分以外の誰にも聞かせないことにして、一晩を過ごした。
ひとりきりだと痛切に実感して、頭がおかしくなりそうな、そんな夜を過ごした。
……たった一晩の経験だったけれど、きっと、バリガントさんは、あんな夜を何度も越えてきたのだろう。
どれだけの苦しみなのか推し量ることもできなくて、わたしは一緒に泣き出さないようにこらえるので精一杯だった。
それほど長い時間は経たなかったと思う。
バリガントさんはひとしきり涙を流すと、やがてオルゴールを置き、わたしに向き直った。
「……確かに、完璧な修理だ。しかし、これだけだったか?」
わたしには、それだけでバリガントさんが何を聞きたいのか分かった。
「いいえ」
言う間にも、フタの内側から変化が始まっていた。
「わたしがびっくりしたのは、ここからなんです」
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