221 リゼ、氷の公爵と相対す(3/3)
ちょうど、箱の中に数字が並んでいる部分だ。
F = [230, 218, 207, 211, 226],
[303, 597, 833, 578, 362],
[2734, 2283, 1195, 901, 931],
[3243, 2990, 2930, 2655, 2616]]
「……たとえばこの、四行五列の数字。数字が不規則に変化しているが、一行から四行にわたって、だんだん数字が大きくなっていっている」
「……?」
箱……わたしは箱って呼んでるけど、箱の縦の数字は、最初が230で、次が303。2734。3243。一個ずつ大きくなっている。
でも、横の数字はバラバラだから、一概に大きくなってるとも言えない。
「各行ごとに見ていこう。二行目は――」
「……???」
なんの話?
ディオール様は行列から読み取れる内容を逐一並べると、最後に、
「なんらかの行列データでないか」
と、見たまますぎる感想を述べた。
「そう……ですね?」
こういう箱に入っている数字は、たいてい、何かのパラメータだ。
観測した魔力値だったり、武器の耐久値だったりする。
この数字のデータに、足したり引いたりして、新しい何かを作り出すのだ。
すごく乱暴に言うと、この【魔術式】は、何らかのパラメータの掛け合わせでできているものなんだと思う。
「では何のデータか、ということなんだが」
それが分かれば苦労はしないよねぇ。
「オルゴールなんだから、オルゴールの音のデータが入っているといったん仮定する」
「……!」
オルゴールに載ってる【魔術式】なんだから、載ってるのは音のデータ。
すごく当たり前の話だ。
当たり前だけど、全然思いつかなかった……!
「すると、残り大部分の数式に説明がつく。おそらく周波数のセットが詰め込まれているのだと見ていい」
「しゅう……?」
そういえば、アニエスさんも『周波数が』って言ってた。
「周波数って何ですか?」
「振動数のことだ。音の場合は、正弦波が一秒間に何回繰り返されたか……つまり、何回震えたかで、高さが決まる」
何それ……?
「波の震える回数を変えてやれば――つまり、周波数を変えれば、音の高低は自在に操れる、ということになる」
「そう……なんですか……?」
「となると、その他の数式もだいたい用途に見当がつく。たとえばこの部分は典型的な減衰付き正弦応答だから、角周波数に対して、『だんだん音が消えていく』処理をしている可能性がある」
ほほー……?
言われてみればそうかもしれない。
ディオール様に言われた通りだと思って眺めると、確かに、パラメータに一定の重み付けをして、少しずつ数字を小さくする処理をしている、ように見える。
……す、すごい……
わたしはいっそ怖いような気持ちでディオール様を見上げた。
わたしには何にも分からなかった【魔術式】の塊が、この人にかかると一瞬で……
ディオール様が天才魔術師って、本当なんだなぁ……?
頭の出来が違いすぎる。
同じヒューマンの種族とは思えない。
「ただ、分からない部分もある。音、特に音楽で使われる音階は、基本的には単純な整数でできている。オルゴールなんかはおそらくすべてそうだろう。音楽を鳴らすための【魔術式】であれば、音階……つまり、指数として使われる音の周波数はきれいな整数が等間隔に並ぶ構成になっているはずだし、それで十分足りるはずだ」
なるほど……?
たとえばオルゴールなら、たいていは十七本から二十本ほどの櫛歯があるけど、その二十本分のデータ……周波数? が格納されていれば、それで音は鳴らせる計算になる。
「しかし、最初の行列に格納されていたのは山形や、途中でくぼむ型、最初が大きくてガクッと半減する型……と、等間隔にはほど遠い。オルゴールの澄んだ音を作り出すために局所的に使用されている数値かもしれないが、それにしては数値の変化が激しすぎるようにも感じる」
「……つまり……?」
わたしはピエールくんに書き留めてもらった【魔術式】をもう一度見直してみる。
この式には箱がたくさんあって、最初にディオール様が分析していた四行五列の数字どころじゃなく、たくさんの数値……周波数? が格納されている。
素朴なオルゴールであれば、二十個ほどで足りるはずのものだ。
ということは、つまり……
「オルゴールの音以外の何かがたくさん入ってる……って……こと……?」
「おそらくな」
「えぇ……」
何……?
こういうとき、箱の中身を推定するには、実際動かしてみるのが早い。
音が鳴っているときに中身の数字が動けば、そこは音に関連している可能性が高い。
でも、オルゴールが壊れてしまっているので、その手も使えないんだよなぁ。
「なんにせよ、私に助言できるのはこのくらいだ」
ディオール様が冷たくわたしを突き放す。
「詳しく調べていきたいのなら、音楽関連の知識がある人間に聞くのが手っ取り早いだろう。学園生には楽器ができる人間も多いんじゃないか?」
「ディオール様は?」
「触ったこともない」
意外だ。
ヴァイオリンとか似合いそうなのになぁ。
「ディオール様にもできないことってあるんですねぇ」
「もともと高位貴族の出ではないからな。音楽教育を受ける必要性がなかったんだよ」
淡々と言うディオール様は、わたしが知る限り、一番えらそうな貴族だ。
生まれつきの公爵さまと言っても、ほとんどの人は疑わない、と思う。
「やらなくて正解だった。なまじ楽器でもできた日にはあちこちで演奏してくれと言われるばかりか、オペラ、オーケストラ、内輪のコンサートと、あらゆる名目でご令嬢のお守りを押しつけられるのが目に見えている。断るのも大変だっただろう」
「公爵様なのに」
「高位貴族は歴史の長さでも格差ができるから、ややこしいんだ」
貴族の身分、何回聞いてもよく分からない。
「ディオール様のおうちも歴史は長いって聞きましたけど」
「薬売りの歴史がどれだけ長かろうと、本物の高位貴族には脅威にならない」
それだとまるでディオール様は本物じゃないみたいだ。
「ディオール様は、自分のこと、高位貴族だとはあんまり思ってないんですね」
「まあ、そうだな。思っていたら、君のような娘は拾ってこない」
犬でも拾ったみたいに言うディオール様。
悪気はないのだと思う。
面白がってはいるだろうけど……
「だから君も、私が公爵だとは、あまり考えなくていい。私に逆らったからといって死刑になることもない」
「えぇ……!? そ……それは、自分で『なる』って言ってたじゃないですかぁ……」
初めのころ、あんなに死刑死刑言ってたのに!
怖いと思ってたんだよ!
「そりゃあ最初はな。『待て』と『伏せ』ぐらい単純な命令が必要そうだと判断した」
「あー……犬に複雑な命令はよくないですからねぇ」
「君のことだぞ」
わたしは重々しく頷いた。
「あのときのわたしは、だいたいそうでした」
「今は違うとでも?」
「今は……難しい命令をされて『こんなこともできないのか』って叱られるくらいなら、『犬にしては賢いな』って笑われてる方が嬉しいですねぇ……!」
「正気か? しっかりしろ。人としてのプライドを捨てるな」
「無理ですね。最近はもう、半分くらいディオール様の犬だった気がしてきているので……!」
「まだ半分も人としての意識があるのか」
「驚きましたか?」
「思ったより多い。しかし、半分でもダメだろう」
ディオール様は辛辣に言いつつ、楽しそうで、笑いを堪え切れていなかった。
……よかった。
ディオール様と、普通に話せている。
実は、変なことを言って笑わせてあげられるのも、わたしにとっては嬉しかったりしていたのだ。
笑ってくれるディオール様が好きだったし、こんな風に変なことを言えるのはわたしだけって、ちょっとだけうぬぼれているところもあった、かもしれない。
それももう、なくなってしまうのかと思って、すごく怖かったのに。
その覚悟でこのお部屋に来たはずだったけど、全然そんなことなかった。
ディオール様は変わらずに接してくれて、優しいまんまだ。
このやり取りが、わたしは、好きなんだと思う。
なくしたくない、ずっと留まっていたい、愛おしい時間だ。
この人のそばにいられるのなら、もう、何でもいいや。
犬が好きだっていうのなら、ずっと犬でいたっていい。
だから、ディオール様は、ずっと笑っていてください。




