209 リゼ、気まずくなる(2/3)
暗い室内に魔法の明かりを灯す。クルミさんは暖炉のとろ火を大きく熾してくれてから、朝まで休むといって、出ていった。
食事が終わって、後片付けをしたばかりのお屋敷はまだ賑やかで、明かりのついている窓がまだまだたくさん見えている。
……今日はけっこう寒いなぁ。
窓の冷気を遮るために、わたしはカーテンを閉め切った。
暗いお部屋がもっと閉ざされて、ディオール様とふたりきりになる。
特に面白くもなさそうな顔をして立っているディオール様をテーブルの側に呼んで、わたしは片づけてあったオルゴールを慎重に取り出すことにした。
壊れてるから、用がないときはできるだけ旅行かばんにしまっておいてあるのだ。
割れてしまったフタ、ドラムがひしゃげたオルゴールの本体、取れかけのパーツを保管しているケース、つくりかけの鉄片などなど……
油が差された機械に、直に触れると錆びの原因になる。
できるだけ状態をよく保つために、手袋をはめて、一個ずつ、展示品みたいに並べていく。
機械に差す油はもって四、五年で、ほとんど揮発してしまう。懐中時計の寿命もそのくらいだ。年に一度はオーバーホールをすると、潤滑油で歯車が欠けずに回り、壊れてしまうのを防いでくれる。わたしのお店にも、定期的にオーバーホールをしてほしいと来てくれる常連のお客様がいるので、何度となく時計を分解しては、もとに戻してきた。
だから、このオルゴールが、とても大切にされていたことは分かる。
まだかすかに残る油のつややかな膜は、きっと、奥様が手入れをしていた跡なのだろう。
小さな歯車のひとつひとつまで、ピンセットでつまみあげ、油をさし、繊細なパズルを組み上げるようにして元に戻していく。
根気のいる作業を通じて、小さな機械を愛でていた奥様。
そんな奥様を優しく見守っていた旦那様。
壊れてバラバラのものを組み合わせていくうちに、持ち主の思い出が浮かび上がってきて、わたしはこのオルゴールが好きになっていた。
模様がぽろぽろ剥げ落ちている箱に、スタンドライトの明かりを寄せて、ふたりでガワを覗き込む。細かく敷き詰められた金属が、角度によってはオレンジの明かりを鈍く反射した。
「……これもドワーフ様式か。初めて見るタイプだ」
「きれいですよねぇ!」
ディオール様にも興味を持ってもらえたのがうれしくて、わたしは大きい虫を捕ってきたときのフェリルスさんくらい得意になった。
「これはドワーフにだけ見える色で――」
ピエールくんから聞きかじりの知識を披露するわたし。
人間には鈍い鉄の色に見える箱が、ドワーフさんには宝石みたいに見えるのだと説明すると、ディオール様はとっくに知っていたのか、無感動に少しだけ頷いてくれた。
もう知っていることを、わたしのつたないトークで聞かされても、たぶんディオール様はつまらないと思う。急かすでもなく、呆れるでもなく、静かに最後まで聞いてくれるところが大人だなぁと思う。
わたしは気をよくして、依頼人のバリガントさんのことまで話を広げた。
もともと穏やかな人だったのだろうけど、消えない悲しみを背負っているみたいに、静かな口調でぽつりぽつりと話していたのが印象的だった。
「――奥様の遺品だから、綺麗に直してほしいって持ち込まれたものなんです。あちこちで断られていても諦めずに修理できそうなお店を探してたんだそうですよ。きっと奥様のことが大好きだったんですね」
愛する人が大切にしていたものを綺麗にしてあげたい、と願うのは、きっと死者のためというより、自分のための行動なのだと思う。
そうでもしなければ埋め合わせられない穴が、心に空いてしまっているのだ。
あのオルゴールはちゃんと綺麗にしてあげるつもりだけど、たとえ壊れたままだったとしても、バリガントさんはずっと大切にしていくのだろう。
羨ましいなと思って、わたしはしんみりしてしまった。
「わたしもあれくらい魔道具を大切にしてもらえたらいいなぁって思っちゃいました」
誰かの思い出と切り離せないくらい愛用されて、ものに宿る思い出ごと誰かが引き継いでくれて、ずっとずっと大切にしていってもらえたとしたら、作った人間として、これ以上嬉しいことはない。
持ち主の人生に寄り添い、ちょっとした苦労を取り除き、心を慰める装飾で日々の暮らしに彩りを添える小道具たち。
あるいは、晴れの日のお祝いに連れていってもらえるような、とっておきのお洋服。
ベルベットの小箱に収めて、大事な人へ手渡す特別な指輪。
どんなものにも使い手のドラマがあり、亡くなった後もその人が生きた証になる。長く使ううちに生まれた傷みも擦れ跡も、愛した人を偲ばせる大切な軌跡だ。
「まずはいいものが作れるようにならないといけないですよねぇ。一生ものの、すごい魔道具を……!」
あはは、と、笑ってみたけれど、ディオール様はくすりともしなかった。
冬の夜は、他の季節よりも少し暗さが増す。
カーテンを閉め切って、指先が少しかじかむ冷気に晒されていると、余計にここが夜の底みたいに感じられた。
「……私も君から買ったものは取っておいてあるが」
わたしはギクリとした。
ピエールくんに見せてもらった、ディオール様のコレクションを思い出してしまったのだ。一面に並べられていて、それはもうくすぐったかったし恥ずかしかった。
稚拙でいびつな作品や、壊れた魔道具まで取っておいてあるのは確かに特別っぽくて、気恥ずかしかったのもそう。
でも、それ以上に、見てはいけないものを勝手に覗いた気分になってしまったのだ。
……あのことは秘密にしてねってピエールくんにも頼まれてたのに、当人から持ち出されるなんて思ってなかったから、完全に不意打ちだった。
ディオール様はいつもこう。
触れたらいけないことなのかなと思う部分まで、何にも怖がらずにさらけ出してくれる。
でも、少し手を伸ばすと、本心がどこにあるのか分からないようにはぐらかして、それ以上は近づかせてくれない。
だからわたしはいつも、何かの冗談なのかなと思ってしまう。
「何も羨むことなどないだろう。いいものを作っているのだから、私以外にも重宝している人間はいるはずだ」
「そ、そうだったらいいな、と、思います……」
うれしいというより、なんだろう、この、頬がかーっとなる感じ。着替えを覗いてしまったときの気まずさに似てる。ディオール様は見せても全然恥ずかしくはないのだろうけど、わたしは耐えられない。できれば目を逸らして、早く逃げたいと思う。
全然何も見ていませんよって、しらばっくれて、気づいてないふりでやりすごしたい。
ダメだ。意識しないようにしようしようとしているのに、逆に気になる!!
ディオール様は不自然に黙りこくっているわたしをじっと見ている。
でも、わたしはディオール様の目が見られなかった。
目を合わせてしまったら、もう引き返せないところまで行きそうな予感があった。どこにと具体的に聞かれると分からない。何か、気持ちの上での問題だった。




