193 テセウスの船
◇◇◇
「フェリルスさん、魔獣ってなんですか?」
と、わたしは白い精霊さんに質問してみたことがある。
「ふつうの狼さんと、魔獣の狼さんの違いってなんでしょうか」
フェリルスさんも魔獣だったけど、精霊さんに昇格したのだと、いつかの機会に言っていた。
何でも知ってるフェリルスさんは、とっても元気よくお返事をしてくれる。
「そうだな、魔力が糧となるのが魔獣と言えるだろうっ!」
「かて……」
「食べ物のことだっ! 俺たち魔獣は魔力を食べる! しかぁぁぁしっ! 狼は食わんっ!! 魔力を食らうのは、身体の構成要素に魔力の占める割合が多いからだなっ! 魔力をすべて抜いたら死んでしまう、魔力頼りの存在が魔獣なのだっ!」
うまく想像できないわたしに、フェリルスさんが追加で説明してくれる。
「人間は水と食料なしには生きられないが、魔力は食わん! 魔力を全身から抜いたって死ぬわけじゃあないっ! ゆえにお前たちは魔獣と根本的に違う生物と言えるだろうっ! ヒトとは魔力の恩恵にあずかれない脆弱な存在だが、俺はお前たちのことが大好きだっっっ!!」
フェリルスさんが熱く語ってくれるので、わたしもなんだか釣られて感動してしまった。
「わたしもフェリルスさんが大好きです!!」
「よせよせ! 照れるじゃないか!」
――わたしは、先日ゲットした【魔獣素材】を前に、そんな会話を思い出していた。
ディアーヌ様もヘカトンケイルの腕を外側からよく眺めて、難しそうな顔をしている。
「すごい魔力だわね。クリーチャーを作るのに最適」
魔獣をめちゃくちゃにくっつけて作る、合成魔獣のことをそう呼ぶ。
有名どころはキマイラだ。
ライオンの頭にヤギの胴体、ドラゴンの尻尾を持っている。
これも、魔力でべったりくっつけて作るのだ。
「魔力が糊みたいになって、くっつくってことですよね?」
「そうよ、魔力はどんな物質にも変化できる万能の未確定物質だから」
よく分かる。だから、腕も、大雑把にざくーっと切ってぺたーってすれば、簡単にくっつくはずなんだよね。
「問題は本人の腕として扱えるかどうかね」
「皮膚のときと変わらない、と思います」
「そうね。理論的には説得力を感じたわ。あなたは皮膚もくっつけているのだし、同じ手順でできるというのも信じましょう」
【セルキーの皮膚】という魔道具がある。
シルクに代表される動物性繊維の糸は、人の身体に近い。その糸と魔力を丹念に混ぜて織り込むと、怪我した部分にぴったり張り付く人工の皮膚になる。
そのままだと変な風にくっついちゃうので、なじませるには【魔力紋】をよく読んで、当人のパターンと正確に一致させないといけない。
うまく行けば自然に変化し、当人の皮膚と同じになる。
どこが継ぎ目かも分からないくらいきれいに馴染むのだ。
これは移植を手伝ってくれたディアーヌ様が一番驚いていた。
――くっつくまではまだしも、縫合範囲を超えた真皮の傷までなめらかに癒やすっていうのは……どういう作用機序なのかしら……? これが【魔力紋】の作用だというの……? 魔力を丁寧に流してあげれば、それに引っ張られて、肉体も……
ディアーヌ様はしきりに難しいことを言いながら首を傾げていたけれど、わたしには何も分からなかった。
そう、わたしは魔道具は作れても、人体のことはよく分かっていないのだ。
なので先に、ディアーヌ様とよく話し合って、考えられるリスクを潰しておこう、となった。
【ヘカトンケイルの腕】は平らな皮膚と少し勝手が違う。
ディアーヌ様は「でも」と、浮かない顔で続ける。
「魔獣素材を接ぐとなるとね……人間をクリーチャー化する人体実験……に、限りなく近いのよね……というより、それそのものよね」
すごく困った顔で、うなりつつ続ける。
「医者として、人体実験をしていいのか、ということなのよ」
そ、それはそう。
お医者さんの倫理感だとちょっとっていうのは分かる。
「……やっぱり危ないんでしょうか?」
「リスクは未知数ね」
ディアーヌ様はわたしを連れて、お屋敷のお庭に連れていってくれた。
薔薇園の植木を見せてくれる。
綺麗なピンク色の薔薇が一面に咲く木の一角に、赤い薔薇がぽつんとついている。
「挿し木というの。違う薔薇の枝を接ぐと、こんな風に、もとの薔薇を咲かせるわ。同じではないけど、生体についても少し似たところがあるわね――ピンク色の木に赤い薔薇を接いでもピンクの花は咲かないように、腕に足を貼って、うまくくっつけられても、腕に変化したりはしないわ。接ぎ木は赤い薔薇の設計図しか持っていないの。でも、手首に他者の手首を持ってくれば、手首の設計図が手に入る。だから、とにかく異種族であろうと腕が必要、というのは理に適っているの。そこまではいいのよ。そこまでは」
うーん。
難しすぎて、腕に赤い薔薇が咲いている脳内イメージがわいてきた。
「でもそれは適合することが大前提。皮膚で成功させたあなたならもしかしてとは思うけれど……しくじったときにどうなるか……悪い想像がいくつも思い浮かぶのよ」
それも分かるんだけど……
わたしの直感だと、いける気がするんだよねぇ。
「でも、この腕、ほとんど魔力ですよね」
「ええ」
「魔力って空気みたいなものなので、抜いちゃえばしおしおのぺちゃんこになりますよね」
「……そうね……それはそうよ」
「で、この腕、限界まで魔力を抜いたら、中身が溶けて消えてしまう気がするんです」
うーん、とディアーヌ様。
「……確かに。高位魔獣であればあるほど、膨大な魔力で肉体が補われているわ。テセウスの船ではないけれど、肉体をどこまで失っても生物と言えるのかしらね」
「魔力を本人に馴染ませる過程を、わたしがすることになります。えと……つまり、魔力紋を一致させます」
ディアーヌ様はとっくに知っているだろうけど、ひとまずわたしなりに説明してみる。
「魔力紋っていうのは……本人の魔力のパターンがスタンプみたいな紋様として残るものなのでぇ……実際は、魔力の流れとか、構造みたいなのを見るんです。そこがちゃんと一致すれば、紋様がぴったり合うんです。はんこの本体をそっくりに作れば、押されたスタンプが一致するというか。もちろん、スタンプだけを真似して残すことで、贋作を作ることもできるんですけどぉ……」
この説明で伝わるかなぁ……
わたしの説明は分かりにくいことで有名だ。
「魔力を綺麗に一致させたら、【セルキーの皮膚】は、人間の方に引っ張られて、皮膚に変化します。腕もきっと、同じではないでしょうか? すでに活動停止して、魔力の流れも止まった腕ではなく、生きて魔力をぐるぐる巡らせられる人間の方に合わせて、魔力が変化するんじゃないでしょうか……」
ディアーヌ様は「そうなのよ!」と、勢いよくはっきり言った。
「理論としてはそうだと、わたくしも読み取れたわ」
あ、ちゃんと伝わってた。




