188 リゼ、知らないうちに成績をつけられて『犬』判定を受ける
氷の公爵ことディオールが無事に帰還した件は、調査員づてでその日の晩にすぐサントラール騎士団内にも伝わった。
「土砂崩れで無事なのかよ。くたばればよかったのに」
「かような難事を切り抜けるとは」
「追撃すべきだったか……」
呪いの言葉を吐いて嘆く魔術師長、驚愕する指南役の老騎士、騎士の総括隊長。
副騎士団長がいくつか後悔を述べていたが、ル=シッドには『無事でよかった』としか思えなかった。
「魔道具師の少女は?」
「とても元気そうです」
「……元気なのか……」
「婚約者が無事であればな」
「その婚約者を救出に行って、無事につれて帰ってきた、という報告が上がっています」
「……彼女が救出したのか?」
土砂崩れを起こしたばかりの土地に立ち入るなど危険極まりない。無謀な行動に出た心理や、周囲がそれを許した理由などの背景が分からないが、どう見るべきだろうか。
「詳細は追って調べさせますが、一緒に下山してきた様子を目撃した騎士によると、魔剣を振り回して勇ましそうな様子だったとか」
「……武術の心得があるのか?」
「いえ、犬がくわえた棒を振り回すがごとき無邪気さで。ペットの犬とも実に楽しそうにじゃれていたそうです」
「やめてくれ。そういうの弱いんだ」
「総括隊長どのは犬がお好きだからなぁ」
ル=シッドは最初から少女を巻き込むのに反対なのである。犬好きの部下の心理につけ込むくらいで避けられるものなら、全力でそうしたい。
「それと、調査隊が罠を持ち帰ってきたのですが、現物をご覧ください」
作戦会議用の地図が置かれた巨大なテーブルに、古典的なロープのくくり罠が置かれる。
「お粗末なものだな。こんなものに引っかかる人間がいるとは思えんが」
「そして、起動した姿がこちらです」
机上の地図とよく似た枯れ葉色にロープが染まり、色合いが自然に馴染む。
しかし、色は溶けきらず、モザイクタイルを貼ったかのような荒い染色で止まった。
「……これが透明化の罠か?」
「違うと思います。むしろ姉が作ったものの方に似ている」
騎士団内でも【姿隠しのマント】の現物を一部所有している。
スパイに押収させたもので、研究用にサンプルをいくつも切り取っておいたのだ。
研究はまったく進んでいない。誰にも解読できないと目され、ある程度のところで時間の無駄だと判断。進行中の研究すべてを凍結させたのだった。
ただ、外側から働きかけたときの挙動は観察できているので、まったくの別物であるとは断定できる。
「あの少女の作品ではないだろう」
「やはり奴ら、透明化の技術は盗めていないのでは?」
その場にいるいずれの幹部にも腑に落ちた。
一流の研究者たちに、人の手に負えないと結論づけられたものである。
「この罠も悪くはありませんよ。地図上のような、複雑な模様には対処できないようですが、単色の石が敷き詰められた床などであれば、馬鹿にできない精度です」
「下草の茂るフィールドでもかなり不利であろうな……」
「筐体がトラバサミなどになると痛手でしょうね」
一通り検討がなされたあと、会議の面々は処遇の話し合いに移った。
「対策を今のうちに研究しておくべきでしょう」
「ああ。そう難しくはなさそうだ」
罠についてはそれで議論が尽くされたと判断し、ル=シッドはさりげなさを装って尋ねてみる。
「……結局、魔道具師の少女は無関係と見てよいのだろう?」
できる限り軽く発したつもりだったが、寄せられた視線は冷ややかなものだった。
「この期に及んでためらっていらっしゃるので?」
「本人の作品でないならば、脅しとしても機能していなかったわけだろう? まだ十分な警告が為されていないとみなすべきだ」
「婦女子をいたずらに戦に巻き込むのは私も反対だが」
「そうも言っていられないと何度も申し上げているでしょうに。なぜ分からないのですか」
分かっている。しかし腹落ちはせぬ。少女を排すれば勝てるなどという発想からして受け入れがたい。半ばふくれ面のようにむっとしてみるより他ない。
「戦は武器にてするにあらず。使い手が重要なのだ。道具に罪はない」
古参兵の美学に乗じ、ル=シッドはどうにかして反論を試みる。
「そもそもあの娘が脅威なのは、透明化の技術を持っているからであろう? あの少女にしか作れない。しかも彼らは思い通りに作らせることもできていない。ここまでの結論に異論はあるまい」
「おっしゃるとおりですが、しかし」
「……あの。私からもよろしいでしょうか、騎士団長閣下」
そこで初めて遠慮がちに声をかけたのは、報告書を差し入れた男だった。情報収集や後方での段取りを主に担当しているため、幹部ではないが、それに準じる人員として重宝されている男である。
「魔道具師の少女のことであれば、監視員からの報告も上がってきておりまして……まだお伝えしておりませんでしたが」
「なんだ。知っていることがあるなら早く言え」
「学園生活について調べた結果、その……テストの結果を秘密裏に入手しまして。それが……」
男は、なぜか情けなさそうに言う。
「恐ろしいほどアホだと言うのです」
理解が悪く、授業でもパッとせず、基本的な魔術言語すら習得できていない。
『とても一流の魔道具師とは思えぬ有様だった』とは、小銭を握らせて情報を売らせた指導教員の所感である。念のため、煽ったり、授業として強制したりなどして技術力を試そうと再三目論んだが、何の役に立つのかもよく分からない術がなんとなく使える、という以上のことは何も分からなかったらしい。
「授業を受け持つ面々が口を揃えて言うそうです。『どうしてあの娘があれほどの高度な魔道具を作れたのか』」
「そんなにもか」
「しかも、氷の公爵も頻回に渡って同じことを嘆いているらしいのです」
「そんなにもなのか……」
「一日に数度はそれに類する罵倒や説教や嘆きを聞いたということで」
「……」
報告は続く。
――『氷の公爵』はしばらく少女に向けて個人授業を行っていた。家庭内でやればいいものを、わざわざ学園で行っていた理由は不明だが、そのおかげで一部始終を観察できたのだ、という。
本来観察には客観的な視点が必要であり、監視員は極力私情を排して調査に当たる。しかし当該の監視員は『可哀想になった』と述べたらしい。『氷の公爵』は、高度すぎる魔術理論を矢のように浴びせて少女を困らせ、楽しんでいるような様子も見られたという。
無情な仕打ちにもめげずに、少女は明るく素直に学習に励んでおり、授業態度はどこか訓練を受ける犬を彷彿とさせる。それも、訓練には適さない知能の低い犬が、犬なりに飼い主を喜ばせようと一生懸命トンチキ芸を披露しているかのような有様である。
「また、こちらも個人的な所感の欄に収めるべき話かとは思いましたが……あの様子では、少女が技術提供に協力的とはとても思えない、ということでした。進んで技術を提供したがらない少女に無理やり魔法学を修めさせて、技術を盗まんとする意図が感じられたそうです――報告は以上です。ただ、監視対象が少女であるせいか、監視員があまりにも感情移入してしまっているため、客観性なしと判断し、報告は保留にしておりました。別の監視員をつけて再度調査を行う予定でしたが、一応、参考までに……」
幹部連中は微妙な顔で沈黙している。
「……すると結局、あの少女が優秀な魔道具師というのは、我々の早とちりだったのではないか? 透明化はたまたま、大量のドレスを作っていたがゆえの偶然の産物と考えるべきなのではないか……なあ、どうだ、諸君」
ル=シッドが問いかけても、誰も答えない。
「なあ。我らはこんな……こんな少女を手にかけねばならぬほど落ちぶれているのか?」
少々足りない、と言いかけて、すんでのところでぐっと呑み込んだ。
騎士団員たちはもはや言語を絶する様子だ。彼らも騎士として生きてきた矜恃を持つ。
女と子どもと忠犬には滅法弱いのである。
「……武具に罪はあるまいよ。少女にも罪科はない。我らの活動を阻み、騎士団員と国民を危険に晒す王家――諸悪の根源は奴らだ」
反対の声は上がらなかった。
ル=シッドのその発言は、無言のうちに、曖昧に承認されることになった。
○お知らせ
魔道具師リゼコミカライズ4巻は明日
10/25 発売予定です
一部書店さんではもう出てます
また明日詳しく活動報告などで告知します




