186 「バカ犬の躾が奇跡的にうまく行ったときの感動だった」
結界という障害がなくなって、ヘカトンケイルの巨体はもうディオール様のすぐ目の前にいた。
フェリルスさんがすかさず飛びかかって腕に食らいつき、足を止めさせた。
けど、うっとうしそうにされているだけで、ダメージは通ってない。ぺっと吹っ飛ばされて見切りをつけたのか、フェリルスさんは素早く離れたあと、今度は横に回り込もうとしているゴーレムに飛びかかった。素早いフェリルスさんの動きを追えず、ゴーレムが立ち往生する。
つ、潰される――!
ディオール様は割られた結界のすぐ後ろに、もう一枚結界を張り直した。
ギリギリのところに巨体が迫っている状態で、今度は長い呪文を唱え始める。
お話をしている余裕がなくなってしまったディオール様に代わって、ハーヴェイさんが「つまり」と話を引き継ぐ。
「自分がヘカトンケイルに切りつけて、ダメージを与えられればいいということでありますな」
なるほど、そういう話だったんだ。
「でも、その剣じゃきっと威力足りないですよねぇぇぇ……」
自分で作ったものだから、威力は分かる。
それでディオール様は切れ味のいい魔剣がほしいって言ってたんだなぁ。
斬る力……魔道具的には『剪断力』をあげていかないと。
「ひとまず試してみます」
剣を構え、結界を迂回して、側面に回ると、ハーヴェイさんは何だかすごい勢いでヘカトンケイルまで距離を詰め、ブーツの力で、結界に飛び乗った。
衝撃を弾き返す力を借りて、さらに跳躍する。
真上からまっすぐに一刀両断する構え――だったけど、ヘカトンケイルの多肢でいっせいに白刃取りされ、剣の性能が負けて、刀身を取られてしまった。
ギリギリと曲げて折ろうとしているけれど、曲げ耐性(最強)の魔剣は抵抗しきって、しまいにびょいんとバネみたいに弾けて落ちた。
冗談みたいな挙動の剣に、ヘカトンケイルも少し戸惑ったように、動きを止めた。
まあね。びょいんびょいんする魔剣は、だいたいのヒト(?)は初めて見るよね。
隙をついて後退したハーヴェイさんのさらに後ろから、ディオール様が怒鳴りつける。
「ハーヴェイ、どけ!」
巨大なてっぽう水がどっぱーん! と押し寄せてきて、ヘカトンケイルとゴーレムは押し流されていった。数百メートルは後ろの岩に叩きつけられるのを目視で確認。
「うちの魔剣が役に立たなくてすみませんです……」
戻ってきたハーヴェイさんに悲しい気分で謝罪した。
ほんとうにすみません。
「手詰まりだ、攻撃手段がない」
ディオール様は短く言って、わたしたちの方を振り返った。
「撤退する。フェリルス、時間を稼げるか」
「おうっ!」
びしょびしょのフェリルスさんは、ぶるぶると水気を飛ばして、ヘカトンケイルに元気いっぱい走っていった。
「ディオール様。攻撃手段のことなんですが」
まだ一個、試してないのがあるんだよね。
「あの、この作りかけの剣、途中までは力の合成がうまく行っているので、あとひとつ、もっと強力に、磁石みたいに吸い寄せる力が働いたらいいんじゃないかなって思ったんです。そう……【集中】の法則で。それで、こないだ教えてもらった【魔術式】……」
アニエスさんはなんて言ってたっけ? 確か――
「【追尾】用の術式がぴったりなんじゃないかって思ったんです!」
ヘカトンケイルは起き上がり、こちらに来ようとしている。
フェリルスさんがスネとかに囓りついては離脱するので、なんだか辛そうだ。あれは痛いだろうなぁ……
「覚えていたのか。そうか……ちゃんと授業を理解できていたんだな……リゼが私の話を聞いているとは……まさかあのリゼが……そんなこともあるのか……」
ディオール様は変なところで変な風に感動している。
「それで、ディオール様には【魔術式】のアレンジをお願いしたいんです。この間言ってた内容をですね……こう……この……」
「吸い込みのアトラクタとして【集中】法則の始点を置きたいんだろう?」
「た、たぶん……?」
はっきりしないわたしに、ディオール様が焦れたように言う。
「要するに、どこに力を集約させたい? ポイントを教えてくれればどうにでもなる。魔術と同様、視線の先か? 剣のグリップを握った手首の返しから決めるのか? 常に剣の一メートル先に固定するのか」
当てる場所を決めるとしたら、わたしにはルキア様の魔法が一番使いやすい。
「敵の位置です。光の魔法をまっすぐ飛ばして、当たったところ!」
「それだと正確には出ない。往復時間から推定した大まかな相対距離になるが」
「座標はルキア様が出してくれます! とにかくまっすぐ光を当てて、ルキア様から取った座標にくっつける魔法をください!」
ヘカトンケイルはまた雄叫びをあげた。まっすぐ近づくのは得策でないと判断したのか、岩陰に隠れながら、小走りに移動している。
近寄ってくるヘカトンケイルを睨みながら、ディオール様は、大量の魔術文字を空中に書き始めた。
何行にも渡る複雑な式を、ほとんど手も止めずに一発書きで完成させて、一点を指す。
「光の起点がここだ。座標はこっちに入る」
「ありがとうございます! 完璧です!」
中身は難しいけど、共通点はある。
どこをツギハギすればいいのかは分かった。
……分かるようにしてくれたのは、わたしに教えてくれた皆だ。
ヘカトンケイルは数メートル先の遮蔽物から、岩を投げてきた。
今度はたくさんの腕で、次々と小さい石つぶてを雨あられと放ってくる。
急いで完成させないと、間に合わなくなっちゃう!
ディオール様は氷の障壁を張りまくって、割れたそばからどんどん足していった。
ヘカトンケイルは石を投げ続けながら、じりじりと近づいてくる。
ある地点からディオール様が防御結界に切り替えると、ヘカトンケイルは一気に距離を詰めてきた。
「ご主人っ!? なぜ逃げないのだ!?」
フェリルスさんが戻ってきて抗議するのを、ディオール様は手ぶりで横にどかした。
いろいろと魔術をかけているようだけど、ヘカトンケイルは特に何ともないみたいだ。【魔術阻害】をかなりの濃度でバラ撒いて、結界を割ろうと殴りまくっている。
ほとんどヘカトンケイルの射程距離で、ディオール様は一歩も動こうとしない。
は、早くしないとディオール様が危ない!
ルキア様! 魔剣に力を貸してください!