185 リゼ、混沌ってどこに売ってるんだろうなぁと思う
◇◇◇
遠くから巨体が歩いてくる。
隣に付き従っているゴーレムより、倍は大きかった。
ヒト型二足歩行で、申し訳程度の衣服で身体を覆っている。
逆に言うと、衣服を身にまとうだけの知恵はある。
しかも腕がたくさん生えていて、両手合わせて十対以上が、分厚い肩に並んでいた。
骨格の感じが、今まさに向こうへ這い進むコアに似ている。
わたしはそういうの詳しいんだよ。
「ディオール様、あれって」
「ヘカトンケイルだろう。腕が若干少ない気もするが」
隣のハーヴェイさんに緊張が走った。あれが、という小さな呟き。
「リゼ。ゴーレムの『真理』について何でもいい、何か分析できないか? 一般的なゴーレムは使役している存在が死ねば、自動的に岩に還る」
わたしは先ほど不思議な女の人に囁きかけられた内容を思い出した。
「『ティアマトの血! ――遺骸で捏ねた泥に惹かれて、哀れな魔獣がやってくる……』」
太古の海の女神にして、原初の混沌で輝くティアマト。
彼女は海水と混沌を捏ねて、すべての生命を創造したのだと言われている。
「なんだそれは。魔獣か?」
……すごく珍しい、王都ではあまり名前を聞かない女神様だ。
でも、わたしは魔道具図鑑で見かけたことがある。
【ティアマトの血】とは、ティアマトの生み出す生命の源に似せて作られる魔道具のことだ。どんな生き物でも生み出せて、死者まで復活させられる、最強の回復ポーションのようなものらしい。
塩水と淡水と『混沌』で作ると書いてあった。
混沌ってどこに売ってるんだろう? と、子ども心にも不思議だったんだよね。
……でも、今さっき、聞き間違いじゃなければ……
あの女の人、『遺骸で捏ねた泥』って言わなかった……?
「わたしのカンですけど、たぶんあれ、高位の魔獣エキスでできた、死者復活のポーション……とかです……」
「おお! それならあの変な匂いにも説明がつくな! やるじゃないかリゼ!」
言ってる間に、ヘカトンケイルが、這いずる骨とコアの前に膝をついた。
不完全な骨のゴーレムを抱き寄せる。
愛情のこもった動作だった。
その姿は、あのできそこないの生命が、ヘカトンケイルにとって大切な誰かなのではないか、と推測させるに十分だった。
「……君らがふたり揃ってそう言うのなら、根拠がないわけでもなさそうだ」
しばらくして、ヘカトンケイルがわたしたちに気がついた。
雄叫びをあげて、わたしたちを複数ある腕で指さしている。
怒り狂っている……
そして、何かを喚いている。
「何を言ってるんですか!?」
「知らん。魔獣は知性を持たない、というのが通説だ。あれも言葉ではなく、ただの鳴き声だ」
「で、でも、どうみても何か怒ってますよ?」
「騙されるな。鳴き声だ」
様子見するわたしたちを見て何を思ったのか、もっと声を大きくして喚き始めた。
「あれは狩るべき害獣。人類に仇なす魔獣は『道具を使い、鳴き声を発する害獣』。社会性があり友好的であれば『コミュニケーション良好で家畜適性のある魔獣』。テストに出るから覚えておくように」
「つまり俺だな! 高貴なる魔狼の俺は人類の友だっ!」
ヘカトンケイルは返答がないので焦れたのか、それとも怒りがどんどんボルテージを上げているのか、とにかく足元の石を持ち上げた。
大きめの石が飛んできて、結界に弾かれて、どこかに逸れていった。
「警告だな。要求が通らなければ攻撃する、という」
「や、やっぱり知性が――」
「ない。来るぞ。絶対に私の前には出るな」
ヘカトンケイルはもっと大きな岩を抱え上げた。
何本もある腕を器用に使って、すごい勢いの弾を放ってくる!
「【串刺しにしろ】」
ディオール様は大きな岩を、すごく細い杭のようなもので串刺しにした。白い煙が上がり、岩がその場に叩き落とされる。
「【処刑台のように】」
同じような極細の杭が、ヘカトンケイルの真上から何本も降り注ぐ。
ヘカトンケイルはぐらりとよろめいた。
「た、倒した……!?」
え、もう終わり?
「さすがご主人! 瞬殺だっ!」
「さ、さすがですぅぅぅ!!」
と、思いきや、ヘカトンケイルはまたむくりと立ち上がった。
「生きてますよぉ!?」
「何だとおぉぉぉぉっ!? ありえん! 確かに一回死んだはずだと、精霊も言っているっ!」
「ど、どうしよう!? どうしましょう、どうしたらいいんですか!?」
「うるさい、黙ってろ」
ディオール様は呪文をいくつか使って、今度はヘカトンケイルを凍らせてしまった。
ところが、すかさずビシリと氷にヒビが入る。魔術阻害との合わせ技で、すっかり魔術が拡散してしまって、氷が溶けて消えた。
「復活が早いな……今までは壊してからしばらくインターバルがあったんだが」
――魔道具師の娘、聞きなさい。
――その泥はティアマトの血。
――いくら細切れにしても活動を失わない。
不思議な女の人の声がする。
「リゼ。リゼ! 聞こえているか?」
「は、はい!」
――倒したければ、完全に頭を断ち切りなさい。
――泥で満たしきれないほど血を流させれば、自壊するわ。
ふたりから同時に話しかけられて混乱するわたしに、ディオール様から少し苛立ち気味の怒鳴り声をかけられる。
「君が抱えているその剣は?」
「今作ってるやつです! まだ不完全なんですけど、わたし用に……」
お屋敷にちょうど置いてあった武器がこれしかなかったのだ。
何もないよりマシかと思って持ってきたんだよね。
「切れ味のいいやつをと指示しておいたが、どうなっている?」
「途中までできました! でもこう、なんか、毛先のまとまり具合がいまいちでですね」
「……毛先?」
「ええと……力の流れがですね、こう、今はまだ、毛先が開いた筆みたいになってるんですよ。うまく斬る方向にまとまらないので、あっちこっちに逃げてしまって、ダメージが下がるんです!」
「……言いたいことは分かる」
分かるんだ……
今のをわたしが前提情報なしで聞かせられても、分かんなかったと思う。絶対伝わらないよねって思いながら説明したのに。
やっぱりディオール様ってすごい魔術師なんだなぁ。
「しかし、結局使えんということか」
ディオール様はもう一回ヘカトンケイルを凍らせて――今度はもっと念入りに大きな氷に閉じ込めてから――ハーヴェイさんの方を振り返る。
「ハーヴェイ。君が今持っている魔剣は?」
「切れ味は十分かと思いますが」
「ヘカトンケイルを両断できるか? できる限り復活に時間がかかりそうな、心臓あたりを膾切りにできればなおいい」
「自分にそこまでの膂力はありません……片腕では限界もあり……」
「そうか……」
ディオール様はゴーレムの足元を陥没させたり、体当たりを仕掛けてくるヘカトンケイルを吹っ飛ばしたりと色々しているけれど、根本的な解決にはなっていないみたいだ。
距離を詰めてくるヘカトンケイルを結界で押し返そうとしているけれど、強い力で押し込められているのか、なかなか弾けないで膠着している。ちょっと辛そうだ。
「現状を説明する」
ディオール様がわたしたちの方を振り返りもせず、淡々と言う。
「確実に何回かは急所を撃った。しかしすぐに復活している。どうやら穿孔させるだけでは足りんようだ。死者復活のポーション……なんと言ったか」
「【ティアマトの血】?」
「ああ。それで回復していると仮定しよう」
そうだろうなぁとわたしも思う。フェリルスさんもそう思ってるみたいで、キリッとしたお顔でディオール様の指示を忠実に待っている。
「類似の魔獣としては、再生能力が高いヒドラなんかが思いつく。攻略は、とにかく切り刻んで回復が追いつかなくなるよう追い詰める持久戦になる。だが、私の魔術は切断する能力が低い。氷も通じなかった。試していないが、あれだけ【魔術阻害】がバラ撒けるなら、他の魔法もまず通じないだろう」
ヘカトンケイルは右の腕すべてを大きく振りかぶった。
結界に叩きつけ、無理やりブチ割る。
ひ、ひえ……!




