19 リゼ、悲鳴をあげる
お茶の席に戻る。
姉はすっかり明るい顔になっていた。
「お茶が冷めてしまいましたわね! カップごと変えましょう」
新しいお湯が運ばれてきて、使用人が入れてくれようとする。
姉がそれを制して、自分でお茶を入れ始めた。おかしな動きをしないかじっと見ていたけれど、特に何もない。
四人分のお茶が配られたけど、わたしは手をつける気にならなかった。
「冷めるわよ?」
姉が笑顔でそれとなく飲むよう強制してくる。
困っていたら、公爵さまがわざとらしく声をあげた。
「ああ、しまった。この紅茶、砂糖が多すぎた」
「……四つ入れてほしいとおっしゃったのは?」
「ダイエット中だったんですよ。忘れてた。ああ、そうだ、リゼは甘党だったな。私のと交換してもらえるか?」
「わたしのも、砂糖ふたつ入れてもらいましたが……」
「四つよりマシだ。交換しよう」
「ちょっと、お二方」
姉があきれ顔で扇子を振り回す。
「みっともないですわよ。信じられませんわ」
「おや。殿下がただって、一つのコップから飲み物を分け合うことくらいあるでしょう? 恋人なのですから」
「さすがにお茶の席ではやりませんわよ。弁えていただけません?」
「いいですよ、公爵さま。交換しましょう」
「リゼ!? ああもう、お行儀の悪い……!」
姉は憤ると、わたしのカップに手を伸ばした。
くいっと一気にあおる。
えっ、と目を見張るわたしたちの前で、姉は、うっ、と顔をしかめた。
「失礼、わたくしもあまり甘いものは飲みませんの。口直しをしてまいりますわ」
姉は中座して、そそくさと館の方に行ってしまった。
……まさかとは思うけど、毒バレしないように、自分で飲んで証拠隠滅したとか……?
まさかね。
「リゼルイーズ嬢」
王子は姉がいなくなったのをいいタイミングだと思ったらしく、わたしに話しかけてきた。
「アルテには内緒にしていてほしいんだけど、あの子はとても君のことを心配していたよ。妹にひと目でいいから会いたいといって涙を流していたんだ。あの子はプライドが高いから、私が告げ口したと知ったらとても怒るだろうけど、本当に心配しているんだ」
姉はウソ泣きが得意なんです、とは、もちろん言えなかった。
「私も、君は一度家に帰ったほうがいいと思う。ロスピタリエ公爵も、一度彼女が家に帰るのを許してあげてくれないかな? 一緒にいたいという気持ちはよく分かるけれど……このままだとご家族の方やアルテが可哀想だ」
「しかし彼女は、アルテミシア嬢に虐待されています」
公爵さまはいつもの無表情で、淡々と反論した。
「アルテミシアが? 虐待? 何を言ってるんだ、君」
王子は露骨に眉をひそめた。不快そうなこの様子からして、姉のことを信じているんだなぁ。
「戻ってくるときに、リゼの歩き方がおかしいとお思いになりませんでしたか?」
「……いや、よく見てなかった」
「私は見ていました。すぐにピンときましたよ。顔などにあざを残さないよう、見えないところを攻撃したのでしょう。そうですね……コルセットとスカートを膨らませる補正下着の隙間をぬって、素肌に触れるとしたら……」
公爵さまがわたしの太ももに手を置く。
「このあたりでしょうか?」
「い゛っ……!!」
わたしはもう少しで悲鳴を上げるところだった。
「ああ、痛かったか? すまない。あとで治療師に診せるから、しばらく我慢してくれ」
公爵さまがわたしを労わるように背中をさすってくれる。
うう、でも、まだ痛い。
これだけ痛いなら、たぶん、あざになっていると、思う。
「さあ、リゼ。王子殿下にさきほど何をされたのか、正直に言ってみなさい」
それを言ってしまったら、姉から恨まれて殺されるかも……とチラリと思ったけれど、公爵さまの命令に逆らうのもなんなので、素直に言うことにした。
「さっき、お姉様に物陰で、薬を飲まされそうになりました。持病が悪化したように見せかけて、家に連れ帰るつもりだったみたいです。ビンは揉み合ううちに奪い取って、叩き割りました。……まだ破片が草むらに落ちているかもしれません」
「薬、か。先ほどアルテミシア嬢がリゼに呑ませようとして失敗し、慌てて自分で飲み干したのも、同じ薬なのではないか?」
「分かりません……あの紅茶には、薬が入っていたのでしょうか?」
「そうだと思うぞ。彼女、誰にも分からないように、【目くらまし】の魔法を使っていた。私の目は誤魔化せなかったが」
王子はショック状態から抜け出して、軽く頭を振った。
「……アルテがそんなことをするはずはない」
わたしは憂鬱になった。
それは姉から嫌がらせをされたと訴えたとき、決まって周りの大人が言っていたことだった。
母は特に姉が気に入っていて、姉とわたしの間で喧嘩があれば、必ず姉の味方をして、わたしを叩いた。
「そ……そうだ。アザも、前もって君たちがつけておいたんじゃないか? 薬だって、気づかれないようにビンを割っておくことはできる。この目で見ていない以上、証拠とは言えない」
公爵さまはいつもの無表情で、淡々と返事をする。
「信じていただけませんか。それなら私の答えは一つです。私がリゼをアルテミシア嬢や実家の元に戻すことは絶対にありません」
公爵さまはうっすらと周囲に紫色の魔力のオーラをまき散らした。
「今度邪魔しようとしたら、殿下といえども容赦しません」
冷え冷えとするような無表情だった。
「私たちはこれで失礼いたします。アルテミシア嬢にはくれぐれも、リゼに手を出したら承知しないとお伝えください」
公爵さまは椅子に座っているわたしを担ぎ上げると、横抱きにした。
「こっ、公爵さま、わたし重いですよぉっ……!」
「重いというのは、もっと体重をつけて背を伸ばしてから言うことだな」
「ちょ、ちょっと人より小柄なだけで、重いことは重いんですってばぁっ!」
公爵さまはわたしの抗議を無視して、馬車までわたしを運んでいった。
***
第一王子アルベルトは、その場に残されていたリゼのカップをつかむと、そばにいた使用人を呼び寄せて、用事を言いつけた。
「このカップの成分の分析を依頼してほしい」
***
馬車が走り出し、わたしは隣の公爵さまに顔を覗き込まれることになった。
「まだ痛むか」
「その……大丈夫です。慣れているので……」
公爵さまの冷たい無表情に行きあたり、わたしはまごまごした。
やっぱりあの笑顔の大盤振る舞いは、お茶会で恋人のふりをするためのものだったのかな。
笑ってない公爵さまは怖い。
「打ち身程度なら五秒で治せるが、私に診せられそうか?」
「診せるって……あの」
「直接患部を見なきゃ治せるものも治せないが。診せられるのなら、今ここで治してやることもできる」
オープンカー式の馬車だから、前から見ると中が覗ける。
患部を見せるとなると、スカートをまくりあげるか、その中に頭を突っ込んでもらうか、どっちかになるわけで……
わたしは勢いよく首を振った。ぶんぶんぶんぶん。
「ええと……豚肉で言うと……ハム? みたいなところなので、ちょっと診せられません!」
「なんで豚肉で言うんだ」
「分かりやすいかなって」
「何を言ってるんだ君は」
公爵さまはしばらく笑っていた。
「帰ったら治療師を呼ぶが、我慢できなくなったら言いなさい」
「ほ、ほんとに大丈夫なので」
「それと、今後のために忠告をしておく。第一王子に気をつけなさい」
「は……はい」
「彼の言うことを信じるな」
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