18 リゼ、裏に呼び出される
「リゼ、少し二人で話しませんこと?」
嫌です、と言えたらどんなによかっただろう。わたしに足りないのは、いつもその勇気だった。
わたしと姉は、わざわざ建物の裏の死角まで移動することになった。
……きっとまたぶたれるんだろうなぁ、と、遠い目になる。
人生で初めて姉に殴られたのはいつだっただろう?
四つか五つか……わたしと姉はそのとき、糸巻を持たされて、糸を紡いでいた。
単調で神経を要する作業に、わたしが飽きたと言ってぐずつくと、姉はものすごい形相で私を殴った。
――私だってこんなのうんざりだよ! いいから黙ってやりな!
姉だって遊びたいさかりの子どもだったろうから、イラついていたのかもしれない。その後も姉はぶつぶつと『お母さんはいつも私に妹を押しつける』とか、『リゼが作った売れない糸の品質を見て怒られるのもいつも私のほう』なんて嘆いていた。
――なんで私が怒られないといけないの。グズのリゼのせいなのに。
わたしは姉に怒られるのが怖くて、雑用をできる限りの品質と速度で仕上げるようにした。
しばらくすると、要領のいい姉は、自分の分もわたしに押し付けて、やらせるようになった。
***
姉はわたしとふたりきりになり、完全に死角に入ったのを確認するや、すごい勢いでわたしを建物の壁に追い詰めた。
壁に張りつくわたしの前に、姉が立ちふさがり、わたしの太ももをつねる。痛い痛い痛い。
「お前、どういうつもりなの!?」
聞きなれた怒鳴り声に、わたしは瞬時に縮こまった。
「お前がいなくなったせいで店はメチャクチャよ! わたくしも授業料を払えなくなったわ! この損失! いったいどうしてくれるの!? お前に弁償できるの!? ええ!? 答えなさい!」
「ひえええええごめんなさいいぃぃっぃぃぃぃ……!!」
「うるさいわよグズ、締められる前のヒツジみたいに鳴けば許してもらえるとでも思っているの!?」
わたしは滅相もないという気持ちで必死に首を振った。
「今すぐ店に戻ってきて働きなさい!! 言うことが聞けないなら王子殿下にあることないこと言いつけてお前を処刑台に登らせてやるわ!」
「わっ、わわわわわかりましっ……」
反射的に言いそうになって、わたしはハッとする。
公爵さまも、命令に背いたら死刑にするって言ってた。
お姉様の言うとおりにしても……どっちにしても……死んじゃうって……こと!?
真っ青になってまごまごしていたら、姉はより一層強くわたしの太ももをつねりあげた。
「い、いたいいたいいたいです!」
「大きな声を出すんじゃないわよ、本当に酷い目に遭いたいの!?」
わたしは泣きそうにになりながら必死に我慢した。
「さあ、戻ったら、公爵さまに、やっぱり一度家に帰ると言うのよ、分かった!? ほら、返事は!?」
わたしはものすごい恐怖と戦いながら、辛うじて声を絞り出す。
「で、できませぇんっ……!! こ、公爵さま、に、許可なく勝手なことをするなって、言われてて……っ!!」
姉は大きなため息をつくと、隠し持っていた小ビンを取り出した。
「飲みなさい」
「な……何ですか、これ?」
「あなたは今から持病の発作を起こすの。治療薬は実家にしかないから取りに戻ると言いなさい」
「わたし、持病なんて、ない……」
「これを飲めば発作のような症状を起こして苦しみながらじわじわ死に至るけれど、ちゃんと実家まで戻ってきたら解毒薬をあげるわ」
そ、そんなの絶対飲みたくない。
「分かった?」
迫る姉。手に持つ瓶を見て、あれ、と思った。
このビン、見覚えがある。
暗殺者メイドが持っていた毒薬とそっくり同じだと気づいて、わたしは衝撃を受けた。
「わ……わたしに、暗殺者を差し向けたのは、お姉様だったんですか……!?」
「殺すつもりはなかったわよ。うちに連れ帰ろうとしていただけ」
疑念が確信に変わり、わたしは震えあがった。
やっぱりお姉様のヒステリーは怖い……! 普通の人がやらないようなことを平気でやる……!
姉から受けた様々な仕打ちが蘇る。姉は頭がよくて、口がうまくて、豪胆な性格で、どんな遊びをしても絶対に敵わなかった。要領もよかったから、わたしをイジメるときも、いつも両親に見つからないようにしていた。
逆らったらひどいことをされる、と、骨の髄まで叩きこまれている。
今すぐ姉の言うとおりに、実家に戻った方がいいのかとまで気弱に考えた。
……でも、と、思ってしまうのは、未練があるからだ。
わたしは公爵さまに出会った。ピエールくんに出会った。フェリルスさんに出会った。クルミさんに出会った。
みんなとってもいい人たちで、わたしの魔力ヤケを気にして、少しでもよくなるようにってお世話をしてくれた。
わたしはあの居心地のいい場所に帰りたい。
実家に帰りたくなんてない!
【魔糸紡ぎ】
わたしはとっさに生み出した糸で、姉の手を搦めとった。
「なっ……!? 何をするの!?」
ギリギリと縛り上げ、自由を奪ってから、薬の瓶を取り上げる。
わたしはそれを、地面に叩きつけて、割った。
「なんてことを……!」
わたしは後ろを振り返りもせずに、走った。
公爵さまのところに帰るつもりだった。
「【止まれ】」
姉の魔術だ。
姉は昔から、魔道具づくりより魔術に才能があった。
「まったく、二重にも三重にも手間をかけさせて! この糸はなに!? 大事な商売の術式で人を怪我させてはいけないっていつも言われていたでしょうに!」
薬を使おうとしたお姉様に言われたくない……と思ったけれど、魔術の影響下にあるせいで、口が動いてくれなかった。
「仕方ないわね。精神に後遺症が残ることもあるから、使いたくはなかったのだけれど」
姉が近づいてきて、わたしの頭に手をかざす。
「少しお眠りなさいな。今までのことは全部夢だったのよ。悪い夢。起きたらあなたはまた魔道具店のアトリエに戻っていて、何でもない一日が始まるの……」
催眠効果のある魔術だということは、ふわっといい気分になったことで、理解できた。
「来る日も来る日も魔道具を作って、忙しい毎日だったけれど、楽しかったでしょう? 充実していたでしょう? これからは王家御用達の魔道具店として、もっともっと儲けられるようになるわ……素敵なこと、うれしいことばかり起きて、悪いことは遠くなる……旋回・転がる・深みの快楽……さあ、まどろみの中に落ちなさい……」
周囲の空気が、いきなり冷えた。
ゆらゆらした幸せ気分はどこかに消えて、頭がすっきりする。
いつの間にか、周囲にすさまじい紫色の魔力のオーラがあたりに漂っていた。
誰のものかは一目瞭然。
すさまじい魔力で黒髪すら紫色に半ば染まった、氷の彫像みたいな顔立ちの青年が、いつの間にかすぐそばに立っていた。
「氷の公爵さま……!」
「なかなか戻ってこないから、心配になってね。どうした? 喧嘩中か?」
「……っ、なんでもありませんわ……」
ここで争うのは得策ではないと思ったのか、姉はあっさり引き下がった。
「戻ろうか」
公爵さまに連れられて、お茶会の席に戻る。
姉につねられた太ももは、歩くと少し痛かった。
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