171 個人レッスン十回目 魔術式(2/4)
わたしは次の日も引き続き、空き教室の一番前で、神妙な顔をして黒板とディオール様を見ていた。
このヒリついた空気が辛い。背筋も勝手に伸びる伸びる。
「とりあえず、昨日に引き続き、関連する【魔術式】を手当たり次第並べていく。君も計算機頼りとはいえ、どれかひとつくらいは見覚えがあるはずだ。分かりそうなものに当たりをつけて範囲を絞っていこう。比較対象する手がかりは多ければ多いほどいい」
ディオール様が教壇で面白くもなさそうにお話をしている。
わたしはその様子を眺めていて、つい、似合うなぁ、と思ってしまった。
本人は嫌がってるところ申し訳ないけど、先生ってハマり役だと思うんだよね。
……教わってるのがわたしのような何もかもダメな生徒じゃなければね!
「昨日は最小モデルとして、シンプルな弾道のものを中心に並べた。環境中に魔術阻害する【拡散】力ゼロ、抵抗ゼロ、無回転の、等加速度運動だ。今日は方位角ψと仰角θ、位相φ、回転ωを追加する――」
何がなにやら。
わたしは無我の境地で、とにかく黒板を書き写していった。
分からないときは、内容は後回し。
とりあえず覚えてしまうのが早い。
◇◇◇
テストが終わって緊急性もなくなったので、わたしは午後にしっかりお仕事を再開することにした。このところずっと、午後も学園で授業を受けていたのだ。
お店に顔を出すと、アニエスさんがお店番をしてくれていた。
「あら、お勉強会はもういいの?」
「はい! ずっとお店を見ててくれてありがとうございました」
テスト勉強の期間中、わたしが学校に詰めていたときは、代わりにアニエスさんたちが交代で入ってくれていた。
「いいのよ。ここは静かだから、勉強もやりやすかったわ」
「アニエスさんはテストの結果、どうでした?」
わたしの質問に、綺麗な眉を寄せて、頬に手を添える。
「十二位に落ちてしまったわ」
「十二位!? ……に、落ちた!?」
落ちる前はいったいどこにいたんだろう。
なんとなく怖くて聞けないわたしには気づいた様子もなく、困ったように首を傾げるアニエスさん。
「ちょっとアルバイトを入れすぎたかしら。でも、私は魔法職を目指すわけではないし、修辞と弁論ができたらそれでいいのよね」
魔法学園で教えてくれる魔術言語には色々なバリエーションがあって、アニエスさんが重視しているのは、主に法律で使う文語だということだった。業界によって必要とされる文法や語彙なんかが全然違うから、魔法学はそれなりでいいのだそう。
「せっかく授業を受けているのだから、学ばないともったいないと思っていたけれど、そんなに向いてないみたいなのよね」
「魔法、苦手なんですか?」
「成績にはほとんど不都合ないわ。でも、魔法って屋外実習がメインでしょう? 私は運動って苦手だし、外を歩き回ると疲れて集中力が落ちちゃうのよね」
そうなのかぁ。悩みはそれぞれだなぁ……
「じゃあ、アニエスさんも魔法の実技訓練しますか? 最近みんなでディオール様に教わってるんです。ディディエールさんも、ちょっとずつ上手になってて、もしかしたらアニエスさんにも何かいいアドバイスとか」
「お断りよ。あんな男にものを教わるなんて吐き気がするわ」
アニエスさんは固辞の姿勢を変えなかったので、お勉強会への参加は見合わせになったのだった。
久しぶりなので、お店のお仕事をチェック。
わたしがお店を空けていたので、オーダーに関する相談がいくつか保留にされている。また後日お客様に来てもらえることになっているので、聞き取りされている要望に目を通した。
そろそろ寒くなってきたので、防寒用の小間物類が多い。今年の流行なのか、紐がついたものが多かった。そういえば学園でも似たようなものをつけてる生徒さんを見かけた気がする。
そっか、学園って貴族の流行の最先端なんだなぁ。
これは助かる。
次に多いのは、護符の注文だった。
【テウメッサの狐】が出たり、マルグリット様の馬車が襲われたりと最近何かと物騒なので、防犯意識が高まっているようだ。
身を守れるグッズが普及するのはいいことなので、わたしもこっちはできる限り儲けより実用性重視でいきたい。性能が低いものを売って、その人になんかあったら大変だもんね。
とりあえず予約や急ぎのお仕事がなくて手空きになったので、わたしはチラリと持ち帰ってきたノートに視線を走らせた。
やりたくはない。でもやらないといけない。
アニエスさんなんて、お店で暇になると当然のように宿題やってるもんね。えらすぎる。わたしも見習わないと。
「アニエスさん! わたしも一緒にお勉強します!」
「あら、他のお仕事はいいの?」
「むしろ今はこれがお仕事らしいです!」
……と、意気込んだはいいものの。
「ううう~~~~ん……ん~~~~~~~……」
あまりにも何も分からない。
いつの間にかわたしは、途中で落書きを始めていた。
このΦってやつ、猫ちゃんのおめめっぽいよねぇ。
ωはお口っぽい。
わたしはノートに『ΦωΦ』と書き付け、自分で書いたくせに受けてしまった。なにこれ可愛い……!!
魔術文字ってなんかコロンとして可愛いのが多い。
もしかして、記号だけ組み合わせても猫ちゃんが書けるのでは?
――そしてわたしは、より可愛い猫ちゃんを求めて切磋琢磨を開始した。
「何をしているの……?」
「わぁぁ!?」
いつの間にかノートを覗き込んでいたアニエスさんからそう聞かれて、飛び上がってしまうくらいには集中していた。
「猫? かわいいわね」
「す、すすすすみません……! わ、わたし、そんなつもりじゃ……!」
「? 猫じゃなかったの?」
「わ、わたし、ちゃんとやろうと思ってたんです! 本当なんです! でも難しすぎてつい魔が差してしまって……!」
「なるほど、疲れてるのね……」
アニエスさんは痛ましそうに呟いて、わたしのノートに視線を落とした。
「それは何の勉強なの?」
「なんか【魔術式】をいっぱい覚えさせられてます!!」
今日の講義はすごかった。
変数どころか、知らない関数も山ほど出てきた。
「ブイがゼロで……ノームとか……ホビットとか……? なんかいろいろ言ってました。でもわたしには猫ちゃんにしか見えないんですよねぇ!」
習いたての記号をフル活用した猫ちゃんのイラストを、見て見て、と広げてみせる。
Δ Δ
(ΦωΦ)
先日はバラエティ豊かな鳴き声をありがとうございました。
私は書くに当たってその百倍は無様に鳴いたので、もっと聞かせてください。