170 個人レッスン十回目 魔術式(1/4)
こうして学園のテストは無事に終わりを迎えました。
しかも、先生にいつでも卒業できるってお墨付きももらいました。
やったね!
卒業するかどうかはまだちょっと保留にしておくけど、これでゆっくり落ち着いてテストを落とせるようになった。
……とはいっても、一年生は二回やりたくない。
ディディエールさんより下級の学年に転落するのはすごく恥ずかしい。
飛び級とは言わないまでも、ディディエールさんと同じペースで学年をあがっていけたらいいなぁ。
テスト休みもそこそこに、次にクリアしなきゃいけない課題は、魔術師検定の試験だ。
わたしは急がなくてもいいんだけど、ハーヴェイさんはそうもいかない。
そのためには、何とかしてディオール様に先生をやってもらう必要がある。ハーヴェイさんだって色々と予定があるので、毎日わたしのちっとも進歩しない一年生の授業に付き合ってもらっていては時間が足りないのだ。
空き教室で教材を並べて、さて補習を始めようか、となったときに、わたしはまず魔法の実技訓練からやってもらえるようにお願いしてみた。
「前にも言ったが、私は君のペースでしか教えない」
「今から九級全部は無理ですって! 今回だけ! ハーヴェイさんに力を貸してください~~~!」
泣き落とし作戦!
「ダメだ。ハーヴェイに実技の訓練をさせたければ、まずこの【魔術式】を解け」
黒板に書かれているのは、使い方も分からない魔術文字で書かれた【魔術式】。
無茶をおっしゃる……!
できるわけない。わたしがさんすうで苦しんでるの知っててこんなことする?
わたしは必死に【魔術式】を睨み据える。
gᵐ = κ_g
Vᵐ = κ_V
Rᵐ = R
dzᵐ = dz
Δᵐ = { V⁴ − g ( g R² + 2 dz V² ) }ᵐ
= (Vᵐ)⁴ − gᵐ [ gᵐ R² + 2 dz (Vᵐ)²]
数式の演算記号は共通みたいだけど、変数が入っていて、その変数は初めて見る。
こんなのわたしの学力以前のいじわる質問!
「わたしの知らない変数が七個も入ってます!! こんなの分かるわけないですよ!?」
「惜しいな、変数は四個だ。Δは判別式の記号。dzはそれでひとつの変数で、差分を表わす。(z'-z=Δz)、dzのdはΔのdだ」
難解な呪文に面食らっているわたしに、ディオール様が感心したように言う。
「しかし、君にも変数は分かるのか」
お仕事でいつも使っているんです。
変数と関数はわたしのお友達だ。
でも、この流れで自慢する気にはならないよ!
なので、黙っていることにする。
「よろしい。変数で通じるなら話が早い。では記号の定義からいこう……そうそう、【魔術式】では魔法を表わすᵐを省略することも多い。数式で用いるベクトルと魔術式のベクトルはまた少し意味づけが異なるが、ひとまずここでは、あってもなくてもいいものと考えてくれ……つまり……」
ディオール様は細かいところにこだわりすぎる。
例外の部分をいちいち断っておかないと落ち着かないのは、かしこすぎるからなんだろうなぁ。
もっと大雑把なところだけざっと説明してくれたらいいんだけど……
明らかにわたしのレベルでは追いつけない説明をやっているのは何でなのかなぁ。わたしにというより、ハーヴェイさんに意地悪してる? こんなんじゃいつまで経っても実技に移れない。
「ディオール様。いくらなんでも難しすぎると思います」
「難しくない」
「難しいです!」
「君が過去に設計した魔道具はこんなものじゃなかったはずだ。できないのは、怠けているからとしか言えん」
そんなことはないんだけどなぁ……
ここ半月くらい、本当にがんばって勉強していたつもりだったので、わたしは本格的に嫌気が差してきた。
がんばってもがんばってもどんどんゴールのニンジンが遠くなっていくので、疲れて走りたくなくなっちゃってるんだよね……
「【魔術式】はかなり理解しているようだとハーヴェイも言っていただろう。君ができないのは、君自身がさっき言ったとおり、変数と公式を知らないからだ。だが、本当に知らないわけじゃない。数式は魔術言語以上に共通点が多いはずだ。式を切り詰めていけば、シンプルなものに収斂する。数式の互換性の高さをしっかり把握すれば、【魔術式】もきっと読めるようになるはずだ」
頭のいい人の理屈で激詰めするディオール様にうまく反論もできなくて、わたしはやる気がゼロのまま、その日一日ずっと意味の分からない講義を聴いていたのだった。
◇◇◇
いやー、今日はまた一段とできなかったなぁ……
自分のお部屋でノートを開いたら、わたしは自然とまぶたが降りて、目をつぶることになった。
脳みそが理解を拒むぅ……
もう何も見たくないと悲鳴をあげている……
あーあ。どうしようかなぁ……明日もこれなのかなぁ……
いやだなぁ……
なんとか回避したいあまり、いろいろと窮余の策が頭を巡る。
いっそ、ズルでもしちゃう?
これ、演算用の【生活魔法】にかけたら苦もなく解ける。あとはさも理解しているようなフリが成功すれば、ディオール様も納得してくれるはずだ。
でもぉ、誤魔化しきれる気がしないんだよねぇ……
一度失敗したら、ディオール様は今以上に当たりがキツくなるだろうし、しんどい予感しかしない。
絶望的な気分で、へろへろと机に突っ伏したら、急にお部屋のドアが開いた。
「リゼ! 今日はちょっと寒い! 俺が一緒に寝てやろうっ!」
「フェリルスさん」
バウバウと威勢よく吠えるわんちゃんが駆け寄ってきて、テキストをいっぱい開いているわたしを見、首をかしげる。
「勉強中だったのか!? テストは終わったんだろう!? ご主人がっ! そう言っていたっ!! そうだ言っていたのだ!!」
「わたしは永遠に補習を受ける罰を与えられているんですぅぅ……」
「なんだとぅ!? 要領の悪いやつめっ! ほらっ!! さっさと問題を見せてみろ!! 俺が軽ーく教えてやろう!!」
フェリルスさんがわたしのノートを覗き込む。
フェリルスさんはまるで知性の感じられない、お肉のことしか考えてなさそうなお口ぽかーん顔でハァハァ言いながらノートを見るやいなや、わたしにつぶらな瞳を向けてきた。
「いよーっし、リゼ! まず、この! Δやgは忘れろ! お前にはまだ早すぎるっ! 百キロマラソンぐらい早いっ! 基本を理解し、体幹から鍛えて体力をつけるのだっ!」
「はい!」
熱血指導の気配に釣られて、わたしも勢いよく返事する。
「呑み込みが悪いお前にも分かるように言うとだなっ!! これは要するにっ!! 魔法を撃つときの、『威力』の話だっ!!」
「な……なるほど!」
さすがフェリルスさん、高位精霊。
かわいい顔してかしこいわんちゃんなんだよなぁ。
「そうだな、まず、あそこにある花瓶に魔法を当てるとする! 魔法に必要な威力はいくらだ!? それがこの式から分かる! 計算結果がゼロより大きければ当たるというわけだっ! ゼロより大きいかどうかをチェックするこの式をっ!! 『判別式』という!!」
「はい!」
「Rは距離だっ! Vはっ! 初速度ベクトル『 v₀ 』の大きさっ! つまり速さだぁぁぁっ! 魔法は素早く打ち出せば打ち出すほど遠くに届おぉぉぉぉっくっ!! どのくらい素早い魔法なら花瓶に当たるのかを出すのがこの式だっ! 俺のようなものだなっ! 強い魔法は俺のように素早いのだっ!!」
フェリルスさんは自慢の胸毛を見せつけるように背を反り、アオーンッと鋭く吠えた。
「重力を始め、減衰、魔力阻害、その他ありとあらゆる障害に負けない、強く立派な魔法にするのだっ! そしてっ! お前のような初心者は、そんなものゴチャゴチャ計算する必要はなぁぁぁいっ! いったんゼロと仮定してっ! 単純な直線運動だと思って計算すればいいっ!!」
おおお……
すごい、分かりやすい!
「つまり……? それはどういう式で……?」
「単純だっ! 目標に与えたいダメージの量をっ! 魔力から魔法に変換する変換効率で割ればいいのだぁぁぁっ!!!」
フェリルスさんがふがふがと、お鼻の先っぽでわたしの教科書を指し示す。
Magictude / η
「この式だっ! これを手がかりにしていけば、おのずと他の変数の出し方も分かるだろうっ!! 俺についてこいっ! 必ずお前を鍛え上げてやるっ!!」
「フェリルスさん~~~~!」
フェリルスさんは他にも簡単な式だけに絞って教えてくれた。
どれも簡単すぎて、ディオール様に昼間教わってた公式には全然足元にも及ばない。でも、フェリルスさんがアホにも分かるように教えてくれるから、すごーく分かった気になれて気持ちよかった。
「やるじゃないかっ! 今のはなかなか鋭かったぞっ! この俺も認めてやろう!!」
「ありがとうございますぅぅぅ!!」
べろべろとお顔を舐め回してくれるフェリルスさん、癒やされすぎる。
「よぉぉっし、今日はここまで! 寝よう、リゼ! そうだ寝るのだ!」
「はは~~~~! ありがたき幸せ~~~~~!」
わたしはフェリルスさんに深々と頭を下げ、一緒にベッドに入ることにしたのだった。
書くのが遅れに遅れた原因その一、斜方投射の判別式。
魔法大学卒のエリート魔術師の皆さんは、素人には分からない記号をずらりと並べて専門外の人間を威嚇するディオールの態度を見て、普段の行いをよく反省してください。
威嚇された哀れな文系の皆さんは、感想欄に哀れっぽい鳴き声でも書いていってください。
にゃーん。