163 言えるかな?
◇◇◇
書写をがんばって、おいしいアイスクリームもしっかり食べて、おうちに帰ってからも、わたしはとにかく書き写していた。
石版に上から下までみっちり書いて、全部消して、もっかい最初から。
何も考えないでひたすら腕を動かすのは、問題を解くより楽ちんだ。
はかどるはかどる、とってもはかどる!
みっちりやって、次の日。
ディオール様とディディエールさん、ハーヴェイさんの三人に見守られながら、わたしは教室で昨日の成果を披露した。
ディディエールさんはわたしを勉強に誘いにおうちに遊びにきていたので、ついでだからと一緒に勉強することになったのだ。
まずは、昨日からずっと繰り返していた例文集。
それから『重要単語言えるかな?』の記憶ソングだ。
「『光・闇』、『星・月・太陽』、『雲・雷』……『昼夜・天・海』、『地・水・火・風』」
書ける、書けるよ!
昨日みっちり書いたので、手が覚えている。
「……『混沌・終焉』、『死・空・虚無』! おしまい!」
全部書けた!
三人が三人とも目を見張っている。
それはそう。昨日まで全然ダメだったからね!
硬直が解けて、ディディエールさんはぴょんとわたしに抱きついた。
「おねーさま! すごいですわ!」
「いやはや、わずか一日でここまで……」
ハーヴェイさんもびっくりしていたけど、ディオール様はそれ以上に動揺していた。
「冗談だろう? あれだけ繰り返し言って聞かせても覚えられなかったのに? いつもうんうんと調子よく頷くだけで、全然人の話を聞いてなかったじゃないか。分かりましたと言うからどんなものかと試してみると何一つ分かってないのがいつものリゼじゃないか! どういうことだ……!?」
こんなに混乱しているディオール様も珍しい。
いつも『自分は何でも知ってます』って顔してるのにね。
「何なんだ。今までの苦労は何だったんだ?」
「ま、まあ……あるときいきなり伸びることもありますから」
ハーヴェイさんがとりなしてくれる。
「公爵閣下の教えで下地ができていたから、ちょっとしたきっかけで成長できたのかもしれません」
「おねーさまはとってもがんばってらしたのですわぁ」
もっと言って、もっと言って。
わたしも頑張りが全然実にならなくて辛かったんだよ。
褒め言葉がじゅわーっと乾いた心に染み込んでいく。
「閣下の丁寧なご指導があってこそでありましょう。ぜひここはおふたりで仲良く、交流に繋げていただいて」
「そうです! わたしがんばりました! やさしくしてください!」
わたしはここ一番の得意顔でディオール様を見上げた。
あまり納得がいっていなさそうなディオール様を、期待のまなざしでじーっと見つめていたら、根負けしたように手が伸びてきた。
撫で……撫で……と、小さく頭を撫で回される。
「もっと! もっと激しく!」
「フェリルスみたいなことを言うんじゃない」
苦笑しつつ、ディオール様はわしゃわしゃしてくれた。
「……まあいいだろう。とりあえず、それだけ覚えられれば問題ない。合格だ」
ディオール様にお墨付きをもらった。
じゃ、じゃあ、わたしのテスト勉強、これでおしまい……!?
わたしはガタッと椅子を乱暴に引いて、立ち上がった。
「もう帰っていいってことですか!?」
「いや。この際だから一気に魔術師検定の九級までやってしまおう」
「えぇ……!?」
「なんだ。ハーヴェイの試験を手伝いたいんじゃなかったのか?」
わたしはしゅんとなって着席した。
もうすぐ試験だもんね。
わたしは赤点いくら取ってもお仕事には別状ないけど、ハーヴェイさんは生活にかかわる。
わたしもかんばらないといけないよね。
「分かりました。ハーヴェイさんのためにがんばります!」
そう言ったら、なぜかハーヴェイさんが目に見えてビクリとした。
「もちろんこれは公爵閣下と仲良くしたいという大前提のもとで」
「何も言っていないが?」
「申し訳ありません」
何に謝ってるのか分からなかったのか、ディオール様はさらっとハーヴェイさんを無視した。
「移動しようか。まず実技の実力を見てから、足りなそうなら筆記の対策も併せてやっていく。それから……」
さっさと予定を決めていくディオール様。
考えなくていいって言われてるから、言われたとおりにしておこう。
わたしとハーヴェイさんはとにかく後をついていくしかないのだった。
◇◇◇
魔術の練習は郊外の原っぱですることになった。
学園の試し撃ち場は実技訓練中の生徒でごった返していたし、おうちでやるにはノイズが多すぎる、となったのだ。フェリルスさんとかもおうちで待機してるからね。わたしは遊んじゃうだろうからダメって言われた。
そしてわたしは、開始早々に合格をもらった。
「うまいな。実戦レベルでも上位だろう」
「試験会場でも際立って技巧的でしたからな」
「せっかくだから技術点満点も狙っておくか」
加点対象の技をまとめて全部教わり、わたしはクリアしたけど、ディディエールさんとハーヴェイさんはちょっと苦戦していた。
わたしたちの立ち位置から少し離れたところの地面に、大きな丸が書いてある。
そこに当てる練習なのだそう。
ディオール様がディディエールさんとハーヴェイさんに向けて、解説を始める。
「要は狙ったところにボールを投げてカゴに入れる感覚なんだが」
こういうのは得意だ――
わたしにとっては散歩のようなもの――
「ボールと違うのは、投げた感覚と、飛ぶ感覚にズレがあるところだ」
地面に書かれた丸の内側にはボールが転がっている。
ハーヴェイさんがうまく投げ入れたのだ。
でも、火の魔法は外しまくっていて、草のあっちこっちが焦げていた。
ディオール様たちは火消しのプロなので、火事の心配はないみたい。
「実際にボールを投げるのがうまい人間ほど、ささいなズレが気になって外しやすい。ハーヴェイ、君もそうなんだろう。ズレも込みで調整すれば、数日で慣れる」
「なるほど……勉強になります」
わたしはもう合格してしまったので、早々に暇になった。
ディオール様がわたしも基礎は知るべきって言うので、おとなしく座っている。
「ひとまず理論から行こう――ズレる理由はいくつかある。まず周囲の魔力が薄すぎるせいで発生するズレをタイムラグ、次に呪文が発動する前後の一定の待ち時間をディレイという。実際に見えているものと、当たる場所にズレがあるときは、当たり判定がズレているという……また、レイテンシーというのは……」
難しいことを考えているなぁ。
わたしにはよく分からなかった。
魔術の的あてにそんな複雑な理論っているのかな?




