157 個人レッスン一回目 魔術言語(2/2)
「次。一行目の詠唱はできるか?」
これはいつも口にしているし、わたしも日曜学校で習った範囲だ。
「『三つの理を歌いましょう』ですよね?」
「そうだ。そのうち、『理』と『歌う』は二言語ともほぼ同じだから、分かりやすい」
「はい」
「問題はこの『三』だ」
ディオール様は『ternorum』をぐるぐると丸で囲んだ。
「これは、名詞によって形が変化する」
わたしは固まった。
ちょっと今のはわたしの理解の範囲を超えていた。
「落ち着いて聞いてくれ。魔術言語では数詞が性と格に一致して変化するんだ。形容詞と同じ格変化なんだよ」
「……? ……???」
なにかがおかしい。
でも、わたしはそれが何なのか、言葉にできない。
「一方で中央キャメリア語の『三』は常に同じ単語だ」
と、ディオール様が『trois』を指し示す。
「つまりキャメリア語は性・数を一致させるが、魔術言語は性・数・格を一致させる言語なんだ」
「……?」
わたしにはそれもよく分からなかった。
「数で格変化するのに……数も格変化したら……格変化と格変化で……宇宙が……確変を……???」
「焦らなくていい。順番に行こう」
わたしは直感した。
あ。これダメだ。絶対分からないやつだ。
「数詞の格変化は様々だが、一年次で問われるのは単純なものだけだ。この呪文の『三』は分配数詞だから、今は忘れていい。呪文自体はおおよその意味があっていれば、いくらでも変化させていいんだ。たとえば一行目は――」
――Principia trium cantemus.
「――と、いう風に書き直すこともできる」
頭がぴよぴよしているわたしに、ディオール様の説明が空しく響く。
「――どちらの『三』も属格形だが、書き直した方は基数で、もとの呪文は分配数詞と、厳密には意味と用法が異なる。しかし、ここではだいたい似たようなものとしておく」
「ディオール様」
「本来なら一年の段階では、基数の対格形を教えるべきなんだが――」
「ディオール様!」
わたしは深刻な顔でふるふると頭を振った。
「もう……死んでます……」
「まだだ。まだ死ぬな。ここからが大事なんだ。人生を諦めないでくれ」
いつになく必死なディオール様の様子に、わたしは最後の力を振り絞ることにした。
「分かりました。では、説明あと三個くらいでお願いします」
「……………」
ディオール様は指を一本立てた。
「【ともし火】の呪文は、一年生にも分かる簡単な文法で書き表すことができない」
二本。
「魔術言語の『三』の中性形と『五』は、欠落しているんだ」
「……???」
そして三本目。
「魔術言語にはときどき、失われた単語というのがある。いいか、『三』と『五』だ。このふたつは『失われた単語』の代表例なんだ。最初のテストで必ずといっていいほど出題されるから、絶対に覚えてほしい」
とっくに三つは終わってたけど、わたしはディオール様の気迫に圧されて、うなずいた。
――そのときちょうど、ポケットの魔道具が反応した。
ハーヴェイさんに送迎をしてもらうときに、位置をお知らせするために作った、【ギネヴィアの櫛】だ。
「お迎えがきました! そろそろお店に戻らないと!」
帰りたかったわたしが早速ダシにすると、ディオール様も疲れていたのか、分かった、と答えてくれた。
「また明日にしよう。……想像以上に初歩からつまずいてたから、間に合うのか分からんが……いや、どこがつまずきなのか分かっただけでも……」
ぐるぐる巡る思考を独り言のようにつぶやいてるディオール様。
一生懸命やってもらってるところ悪いんだけど……
わたしはちょっとだけ、明日もこれなのかぁ、と思ってしまったのだった。
お知らせ
感想欄を解放いたしました。ほぼ最後までプロットができて、見通しが立ったためです。
お返事など何のお構いもできませんが、好きなことを書いていってください。
今回はせっかくですので、性・数・格の一致くらい余裕だという魔法学園卒のエリート魔術師の皆さんは、物覚えが悪いリゼの悪口でも書いていってください。
頭が悪い庶民の皆さんは好きな食べ物でも書いていってください。
私はたらこパスタが好きです。