156 個人レッスン一回目 魔術言語(1/2)
テストまで残り六日。
わたしが通わされている魔法学園は、テスト前の準備期間で授業が減っている。
減っているったら減っている。
なのに、わたしは学園で、ディオール様から特別に個人授業を受けていた。
……なんで? 今日は授業なかったのに……
「あのぅ……わたし、お仕事があるんですが……」
「奇遇だな。私もこれが仕事なんだ」
すごく嫌そうなディオール様。
「なぜか突然、第一王子から正規の手続きで厳命が下った。とにかく婚約者と仲良くしてこい、とな」
「これ、なかよし……ですかねぇ……???」
仲良しってなんかもっと……わたしとフェリルスさんみたいな……
心温まるやつだと思う!
「ふたりで過ごす。まっとうな学園生活を送らせる。つまり個人授業だ。完璧に要件を満たしているな」
投げやり。
ディオール様の無表情からは、少しも心温まってないのが見て取れる。
ちょっと疲れてるのかな?
ゆっくり休んで、よーく考えたら、違うって分かりそうなんだけど。
「だいたいアルベルトは私に雑用を押しつけすぎなんだ。貴様の家来じゃないと言ってやれるものならどんなに楽か」
わぁ、呼び捨て。
よほど怒ってるんだろうなぁ。
「わたしも殿下にお願いしてみましょうか? 最近のディオール様、忙しすぎですし……」
「いや、いい」
ディオール様は世の中すべてを諦めきったかのように、皮肉っぽく笑う。
「押しつけられた雑用の中で、これが一番マシだった。君と遊んでいる方が気楽だ」
「あ、これ、遊んでるって認識なんですね……」
わたしはシゴキを受けてる認識なんだけど……
まぁいいか。
ディオール様が気楽なんだったら好きにさせてあげよう。
ディオール様がロウ石を握って、黒板の前に立つ。
「いいか? 今日は魔法学だ。君なら知っているはずの、基本中の基本からいこう。これで必ず君も初歩的な魔術用の言語は理解できるようになる。魔道具用のものと根底は同じはずだからだ」
その台詞も聞き飽きました。
ディオール様、いつも『君ならできる』って言うけど、わたしが期待に応えられないせいで、だんだんイライラしてくるんだよねぇ。
ディオール様によるとこの辺の言葉の起源はひとつの古代言語だから、わたしが知ってるものも仕組みが似ている(はず)、ってことなんだけど、わたしには全然似てると思えない。【魔術式】って人間の話し言葉と全然違うもん。
「誰もが使える魔法のひとつに、【ともし火】がある。光の女主神ルキアの力を借りて魔法のろうそくを灯す魔術だが、この魔法が優れているのは、どの言語で祈りを捧げても発動する、ということだ。どんな言語の、どんな文字でも祝福が授けられる、ということは、それだけ女神ルキアが強大だということを表わしている……」
わたしは眠くなってきた。
ディオール様は字がきれいだなぁ、と、スレートの黒板にさらさら書かれていく文字を見て思う。ちなみに、なんて書いてあるのかは全然読めない。
読めなくても、書き写すのは得意だ。
写実的なデッサンは上手だってよく褒められるからねぇ!
さも分かっている風に頷きながらノートを取っていると、ディオール様が、こつん、とロウ石のスティックで黒板を叩いた。
「今書いたのはどちらも同じ【ともし火】の呪文だ。上がキャメリア中央部の話し言葉で、下が古代から連綿と受け継がれてきた魔術言語」
「上は読めます!」
分かっている部分だけ強めにアピールすると、ディオール様も頷いてくれた。
「そうだ。主に下が魔法学で使われる言語で、上のように、それ以外の地域性が強い方言や言語で使われる魔法を、【生活魔法】と言う。君が得意なのは生活魔法の方だったな」
「はい!」
「では、君の得意な魔法と照らし合わせながら、下を解読していこう。まず……」
ルキア様の呪文はわたしも知っている。だから、上は分かる。
でも、照らし合わせているはずなのに、下は本当に全然分からなかった。
「……どうだ? ついてこれるか?」
わたしは勢いよく首を振った。
分からないことは分からないとちゃんと言う、これ大事。
「使ってる単語がなんとなく似てることは分かったんですけど……」
「分かったのか……そうか。すばらしい。それで?」
問題の一行目。
Chantons les trois principes.
Principia ternorum canamus.
わたしはふたつの文章を睨みつつ、言う。
「単語の順番が入れ替わっちゃうのはどうしてですか?」
「……………文法が違うからだが……」
「あ……」
すごく馬鹿なことを口走ったと悟って、わたしは慌てて取り繕う。
「そうですよね、文法が違ったら入れ替わりますよね……う、うっかりして、ました……」
ディオール様は肩を震わせて何かに耐えていた。
小さな「そこからか……」という呟きが聞こえて、ひやりとする。
お……怒らせたかな?
「いいだろう。よくも悪くも、君の発想は私を超える、ということだ。そこでつまずいているとは、想像もつかなかった。ある意味天才にしか至れない領域だ」
「え、えへへぇ……」
「しかし、その理解で今までどうやってあんな高度な魔道具を――いやいい。苦手箇所が分かったんだ。とりあえず一歩前進だ。いっそ面白くなってきた」
ディオール様の情緒がだんだんおかしくなってきた。
なんでか、薄ら笑いを浮かべている。
「では二行目。こちらは文法まで同一だ」
全部で五行の呪文のうち、二行目から五行目は文法もほぼ一緒だったので、そんなに難しくなかった。
「これなら分かります! すごく似てるんですね!」
「もともと同じ言語の派生だからな」
「でも、一行目だけ違うんですね。魔術言語の方は、冠詞もついてないです」
「ああ、そうだ。よく気づいたな。魔術言語の数詞には冠詞と不定冠詞が存在しない。しかし、冠詞は君にも分かるのか……」
失礼じゃないですか?
わたしはこれでも日曜学校で簡単な読み書きは習いましたよ?
と思ったけど、ささやかすぎる知識なので口には出せなかった。




