147 リゼ、ため池の水になる
「今回はハートにマリーゴールドのお花を絡ませてみました!」
マリーゴールドの別名に『スシ』があって、これは『気がかり』って意味がある。
「ハートが気がかり! つまり恋ということです! どうですか、バカップルっぽくないですか?」
「満点のできばえだ」
ディオール様がわたしの髪飾りを無造作に眺めて、ぽつりと言う。
「今回はデザインで悩まなかったんだな」
「あ……そういえば」
ちょっと前まで、ディオール様がこんな大それた髪飾りをくれるなんて想像もつかなかったんだけど、今はそんなことないかも?
「氷で通っている私も、さすがに惚れた相手になら贈り物ぐらいはすると理解したのか」
「えーいや~……分かってたんですけど、感覚的にピンとこなかっただけなのでぇ……」
ディオール様がわたしのような者に愛情のこもったものをくれるっていうのが正直無理あると思ってて、ずっと引っかかってたんだけど、最近はそうでもなくなってきた。
ディオール様が冷たいのは態度だけで、中身は聖人みたいにいい人だし、わたしにもいろんな気遣いを見せてくれる。
これだけ素敵な人なら、いつか本当に分かり合える貴族令嬢と出会えればいいのになぁって思うよ。
「しかしこの手の髪飾り、最近よく見かけるが、流行っているのか?」
「え、知らないんですか? 危険な騎士団の仕事をするカップルの贈り物として、大流行中ですよぉ! ディオール様も騎士団所属なので、わたしも特別許可をもらいました! 学園でもつけるのでゴザル!」
「惜しいな、そこはございます、だ」
「半分くらいは合ってますねぇ!」
「ダメだろう、半分では」
ディオール様はかなり長くウケていた。
また笑ってるぅ……
わたしの恨めしげな視線に気づいたディオール様が、頭をぽんぽん叩いてくれる。
「君は面白いとかわいいを行ったり来たりしているな」
……ん?
わたしの聞き間違いじゃなければ、今もしかして、かわいいって言った……?
わたしはびっくりして、周囲をきょろきょろした。
「だからピエールはいない。探すな」
パーティ中はともかく、ディオール様から『面白い』以外の人物評をもらったのは初めてだ。
「か、かわいい……ですか?」
「フェリルスもかわいいが、君もかわいい。私にとってはな」
わたしは信じられなかった。
フェリルスさんのかわいさは世界一なのでとてもよく分かる。でも、わたしもかわいいって思われてたの?
「ほ、本当ですか……!?」
若干調子に乗り始めた気配をディオール様が敏感に察したのか、「さあな」と軽くあしらった。
「私も婚約者の機嫌くらいは取れる。たまには世辞も口にするさ」
お世辞かぁ……
わたしはしょんぼりしつつ、それもそうかと思った。納得したので、あんまりショックじゃなかった。
「もう少し言葉遣いを直せればもっといいんだが」
「それは期待しないでください」
澄んだ目で即答する。
「礼法、ホントに難しいですよね。言葉遣いなんて一生治せる気がしません」
「ディディは八歳で礼法を始めて数年ぐらいでほぼマスターしていたが」
「そんな上澄みと比べないでほしいですね……! ディディエールさんが上流の清流水ならわたしは麻布用の藻がいっぱい浮いた貯め池の濁り水です!」
ディオール様はさびしそうに「そうか」とつぶやいた。
「なもんで、わたし、公爵夫人になれるとはとても思えないんですけど、せめて婚約を解消するまでは、ディオール様が夜会で恥をかかないようになりたいんです」
ディオール様はたっぷり三回くらいまばたきしてから、少し上ずった声を出した。
「まだ諦めるには早すぎるだろう? やればできるんじゃなかったのか」
「そ、それはぁ……むしろ、わたしのどこを見てなれると思えるんですか……? 公爵夫人ですよ? フェリルスさんは可愛いですけど、公爵夫人が務まりますか……?」
ディオール様はぶほっとむせた。
「また笑ってる……」
「笑わせてきたのは君だろう。フェリルスを使うな、卑怯だ」
先にフェリルスさんに例えてきたのはディオール様なのに、理不尽に怒られてしまった。
「私の公爵位は功績で得たものだから、しがらみも少ない。私の代で終わらせようと自由なんだ。だから、君がやらかすことを眺めて、面白おかしく暮らせればそれでいい」
ひっどい言われよう!
「君が礼法をがんばっているのも面白い」
「おもしろ……別にディオール様の娯楽でやってるんじゃないのでぇ……」
「いや、娯楽だな」
ディオール様はわたしの肩にあごを乗せた。
やわらかな髪がわたしの頬をくすぐる。
「これからも私の娯楽でいてくれ」
「い、嫌ですぅぅぅ!」
わたしも早く人らしい扱いをされたい。
――でも。
まだまだ礼法は得意じゃないけど、学園に入学する前よりは少し前に進めた。
時間は全然あるので、諦めずにちょっとずつがんばっていけば、きっとディオール様も認めてくれるようになるはず。なるよね? なってほしいなと、わたしは希望的な観測も交えつつ、思ったのだった。
***
一方、ピエールはドアの外にいた。
リゼがやってきたので、気をきかせて、急遽身を隠したのだ。
こうでもしないと、主人のディオールはピエールの視線を気にして、心にもない軽口を叩きがちなのである。
はからずも会話を盗み聞きしつつ、ピエールはむずむずしていた。
ディオールも世話が焼けるが、リゼもかなりマイペースで、誰かの手助けが必要な少女だ。
そんなふたりが寄り集まっても、何も始まらないのは火を見るより明らかだったが、本当に何も起きないので、ピエールは何度も割って入っていきそうになった。
――リゼ様はお気づきではありませんが……
ピエールは持っていき場のない感想を、心の中で吐露する。
――いつもつまらなさそうにしているご主人様があれだけ笑顔をお見せになるのはリゼ様にだけなのですよね。
早いとこ落ち着いてほしいと思うピエールの思惑をよそに、リゼは満足そうな顔で出てきた。
「あ、ピエールくん」
見つかってしまった。
「リゼ様、ご機嫌うるわしゅうございます」
「なんだか久しぶりですね?」
それもそのはずで、ピエールは最近、姿を隠しがちだった。
「はい。久しぶりにお話ができて、なつかしさで涙が出そうでございます。学園にはもうなじみましたか?」
「はい! ディオール様も――」
リゼは不自然に一瞬言葉を止めた。
「――女の子に囲まれて楽しそうです」
「間違いなく百パーセント明確に誤解でございますね。議論の余地もございません」
ピエールは力強く断言したあと、ハッとした。
「……もしやリゼ様、やきもちを……?」
「え……?」
リゼは小首をかしげた。
「確かにちょっと、『友達ができないって言ってたのにピエールくんのうそつき!』って思いましたけど……そうなのかなぁ?」
真剣に戸惑っているようなので、ピエールは思い過ごしだったかとがっかりした。
「女生徒に群がられているのは友達とは呼べませんね。学園内でも親しく付き合えているのはリゼ様だけなのではありませんか?」
「そ、そうかも……?」
リゼはしきりに首をかしげている。
犬が物音をよく聞こうと耳を交互に向けてくるのに似て、かわいらしかった。