14 公爵さま、爆笑する
わたしは新しく入るメイド(暗殺者じゃない方)に引き合わせてもらった。
メイドさん、何にも事情を知らないまま、あのあと普通にお屋敷にやってきたんだって。
メイドさんの身元は幼馴染でもある公爵さまと、匂いで人の正体を嗅ぎ分けられるフェリルスさんが質疑応答で確認済みということで、わたしにも会わせてもらえた。
でも、彼女が、
「お名前はお好きにお呼びください」
って言うから、わたしはビクついてしまった。
顔はあんまり似てないけど、同じこと言うもんだから、何かの魔術で顔だけ変えてきたのかと一瞬思っちゃったのね。
わたしも一応、魔力紋を見せてもらって、別の人だと納得した。
わたしは結構人の魔力紋の見分けに自信がある。
「えっと……前のところではなんて呼ばれていたんですか?」
「この国風に、クリスと」
「クリスさん……は、この国の人じゃないんですか?」
「母が移民でございました。わたくしの本名も、こちらの国の方には発音しにくいらしいので、どうぞお好きなようにお呼びください」
そんなこと言われても、なんて名前をつけたらいいのか分かんないよ。
わたしはどうしたらいいのか分からなくなって、うろたえだした。
嫌な名前にしちゃったら可哀想だし、それに、ちゃんと自分の名前があるのに呼んでもらえないのって嫌じゃないのかな?
「ちなみに、どんなお名前ですか?」
「クルミ」
「クルミさん」
ちょっと変わった名前だけど、発音はできそうかも。
「発音できそうなので、そう呼びますね」
「……」
クルミさんはチラリと何か言いたそうに、少しだけ間をあけてから「かしこまりました」と言った。
「わたくしはリゼ様のお話相手などをお務めいたします傍ら、ごくプライベートな領域のお掃除や、お肌に触れるようなお支度をお手伝い申し上げることになっております。あまり男性に知られたくないようなことで問題が起きたら、何なりとわたくしにご相談くださいませ。いまだ見習いのふつつか者ではございますが、どうかよろしくお願いいたします」
深々としたお辞儀はとても見事で、全然ふつつか者ではなさそうだった。
圧倒されていたら、クルミさんはポケットから何かを取り出した。
小さな懐中時計だ。
「リゼ様は魔道具づくりがお上手だとうかがいましたので、お近づきの印にと、わたくしも初心者キットを組み立ててみたのですが、この通り、うまく動きませんでした」
わたしはそわっとした。
時計なら飽きるほど作ったので、回路から何から全部頭に入っている。
「す……少し見せてもらってもいいですか?」
時計のカバーを外して、歯車の並びを見る。
「魔力動力源のオーソドックスな回路ですね。ああ……たぶん、ここがうまくかみ合っていないのかな?」
わたしが手を入れると、時計はすぐに、カチカチと規則正しい音を立て始めた。
「すごい……一瞬でお直しになるとは。わたくしなど、一週間も悩んでおりましたのに」
「覚えたら、簡単ですよ」
でも、褒めてもらえて悪い気はしない。
わたしと仲良くなろうとして、前もって準備していてくれたんだと思うと、余計に嬉しかった。
「設備があったら、時計を吊り下げるときに使う装飾品も好きなデザインで作ってあげられるので……」
「まあ、そんなことまでおできになるのでございますか?」
「細工物は得意なんです。クルミさんは、好きなデザインってありますか?」
「……考えたこともありませんでした」
クルミさんが自分の手のひらから、靴の先に視線を落とす。
「わたくしは住み込みのメイドでございますので、私物もそれほど多くございませんし、私服よりメイド服の方が数が多いくらいでございます」
クルミさんの発言に、わたしはつい共感してしまった。
「分かります。わたしも仕事に便利な、耐熱耐火の作業服の方が、私服より多くって……実は、かわいいお洋服って、まだ慣れないんです」
クルミさんはふふっと笑ってくれた。
笑顔になると、できるメイドさんのオーラが崩れて、すごくかわいい人なんだと分かる。
「それでは、わたくしたちはこれから、ともに自分の好きなものを模索していかなければなりませんね。リゼ様にはこの家の立派な女主人におなりいただいて……」
「うえぇっ!? しゅ、主人ですかぁ!?」
「公爵閣下のご婚約者様なのですから、当然でございましょう」
「えええ、でもそれは、緊急の措置っていうかっ……」
わたしはしどろもどろになりながら、これまでの経緯を全部説明した。
「……だからこれは、偽装婚約なんです」
クルミさんはふんふんと全部聞いたあと、軽く首をかしげた。
「でも、わたくしは閣下が女性を気にかけるところを初めて見ました。あの方、たいそうな女性嫌いなのでございます」
「わたしも、とても好かれているようには見えないのですが……」
「あらそんなことはございませんわ」
クルミさんはいいことを思いついたように、ぱっと全開の笑顔になった。
「では、一緒にご主人様を試してみましょう」
***
その日のメインディッシュは海鮮のパエリアで、サフランで炊いたお米に、大きな海老とホタテ貝と魚卵と白身魚が所狭しと敷き詰められていた。
この真っ黒な卵、おーいしーい!
「これっ、これなんていうんですか!?」
「チョウザメの身と、卵でございます」
ピエールくんがニコニコしながら瞬時に答えてくれる。
「へえ、サメってこんなにおいしいんですね!」
出汁がきいているお米にほどよい塩気の超美味な具材がゴロゴロのっているので、夢中で食べてしまった。
お肉よりおいしいかも!
半分くらい食べてしまったあとに、公爵さまはやってきた。
「すまない、遅くなった。リゼはちゃんと食べているか?」
「はい! とってもおいしいです!」
食べるのをやめろと言われてもやめたくない。
食欲の権化になっているわたしを前にして――
公爵さまはいきなり噴き出した。
さすがのわたしも手を止めて、公爵さまを振り返る。
あの、いつも無表情な公爵さまが、笑ってる?
公爵さまは笑いがとまらないのか、顔に手を当てて震えている。
……なんかおかしかったのかな?
わたしは気まずい思いで居住まいをなおして、こちらをチラチラと見る公爵さまに、ぎこちなく笑みを返した。
とたんにまた公爵さまが笑い出す。
「ディオール様、女性の顔を見るなり笑い出すなど失礼ではございませんか?」
ピエールくんの優しいフォローに、わたしはかえっていたたまれない気持ちになった。
たぶん、バクバク食べてたのがみっともなかったんだよね。
しかも今日のわたしは、いつもと格好が違う。
クルミさんがきれいにセットしてくれて、お姫様みたいなドレスを着たんだよ。
亜麻色の、なんてことない茶髪も、真っ白なレースと一緒に丁寧に飾り付けてくれた。
「何がそんなに面白いんですか、ディオール様。いい加減笑いやんでください」
公爵さまはひーひー言っていたけれど、それもしばらくすると落ち着いてきた。
……それにしても笑っている公爵さま、珍しいなぁ。
あんまりにも豪快な笑いっぷりに、怒るよりもぽかんとする気持ちが強くなって、わたしはつい公爵さまをまじまじと見つめてしまった。
目が合った。
信じられないことに、公爵さまはわたしに向かって、にこりと笑いかけてくれた。
……と、いうより、またちょっと笑いの発作がぶり返していた。
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