121 リゼ、作戦会議を開く
ディオール様は信じられない面持ちでディディエールさんのおさげに触れて、もっと驚きをあらわにした。
「魔力が感じられない。いったいどんなトリックを使ったんだ?」
「ディディエールさんの髪に絡まってる魔術式を、全部壊しました! まあ、そんなことより」
「そんなことよりって、君な」
わたしはディディエールさんの背中を押し出した。
「すっごくかわいいと思いません?」
ディオール様は瞬時にわたしの言いたいことを察してくれた。
「ああ、かわいい。お前の綺麗な色の瞳がよく見えるようになった」
「お兄様……!」
仲良し兄弟さんだ。
「もうお前が悩んでいたことはなくなったのか?」
「はい……今のところは、平気ですわ」
「よかったじゃないか。これで学園にも行けるようになる」
そこでディオール様はわたしに目を留めた。
「そうだ、リゼと一緒に行けばいいじゃないか。なあ?」
「えっ……」
わたし、別に行きたくはないんだけど……
するとディディエールさんもわたしの方を振り返って、キラキラした目を向けてきた。
「おねーさま……!」
えっ、お、おねーさまって、わ、わたし?
「わたくし……おねーさまと一緒に行ってもいいの……?」
うるうるした瞳ですがられて、わたしはきゅーんとした。
が、学校は、あんまり行きたくないけど……
「学校は……怖いのですわ。でも、おねーさまが一緒なら……」
「ディディエールさん……」
そうだよね、特異体質のディディエールさんだって、学校が怖いに決まってるよね。
こんなにちっちゃい子だってがんばろうとしている。
だったら、わたしもがんばらなくちゃ。
「分かりました。一緒に行きましょう」
「おねーさま……!」
ディディエールさんに首根っこをきゅーっとされて、わたしはあることに気が付いた。
あ、あれ? ディディエールさんってわたしより二学年くらい下って言ってなかったっけ?
わ、わたし……ディディエールさんと背丈ほぼ同じだー!?
ショックを受けているわたしに、ディオール様がほほえましそうな、優しげな目を向けてきた。
「よかったな。これで私も一安心だ。ふたりとも、一年生の途中からで大変だろうが――」
「わ、わたしも一年生なんですか!?」
二個も年上なのに!?
「当たり前だろう。いきなり上級生のクラスに行っても君では三年生どころか一年の進級試験にも受かるまい。やっていないところも適宜家庭教師をつけて補習をさせていくから、安心しろ」
「で、で、でも、わたし、礼法の授業だけって聞いて……!」
下の学年の子たちと一緒なのは地味にショックだ。
やっぱり行きたくなくなってきた。
「ディディは人見知りが激しいんだ。君の助けがいる。君にとっては退屈かもしれないが、下の学年に付き合ってやってほしい」
ディオール様に改めて頼まれると、わたしもしょうがないかな、という気になった。
「分かりました」
「よろしくお願いします……おねーさま!」
そんなこんなで、わたしに義理の妹ができたのだった。
***
次の日、マルグリット様がお店に来てくれることになっていたので、ディディエールさんを馬車で一緒に連れていった。
わたしの正体を隠すための作戦会議と、ディディエールさんを紹介するためだ。
ディディエールさんはヴェールのない姿に落ち着かないようだった。
そわそわと窓ガラスに映る自分を確認しては、さらさらの髪に触れて、自分で驚いている。
「乾いてる……」
噛み締めるようにつぶやくディディエールさん。
かわいいお顔がゆるんでいる。
よかったねぇ、とわたしも笑顔になってしまった。
「せっかく可愛くしたので、皆さんに見てもらいましょう!」
アニエスさんもマルグリット様もやさしいから、きっとディディエールさんのこともかわいがってくれるよね。
ディディエールさんは不安そうに言う。
「わ、わたくし、お友達になってもらえるかしら」
「もちろんですよ!」
お店で待つことしばし。
午前の授業で切り上げて、ふたりが遊びに来てくれた。
「あの、実は、もうひとり編入生がいてですね」
わたしの真後ろに隠れているディディエールさんに、マルグリット様がにっこりした。
「お名前は?」
「ディディエール……」
「ディオール様の妹さんです」
「まあ! 氷の公爵さまの! 道理でおかわいらしいこと!」
ディディエールさんは大好きなお兄様が褒められた気配にちょっと気を良くしたのか、おずおずと前に出てきた。
「おいくつ?」
「十三歳……です」
「以前はどちらの学校にいらしたの?」
ディディエールさんは小さく縮こまる。
そわそわと、髪の毛に手を触れた。
今日のディディエールさんはシスターさんの格好じゃないので、ヴェールを被っていない。
落ち着かない様子のディディエール様の代わりに、わたしが口を開く。
「シスターさんになろうとしてたんですけど、わたしと一緒なら魔法学園に行ってもいいって言ってくれたんです」
ちっちゃくうなずくディディエール様に、マルグリット様が慈愛のこもった王女様らしい笑顔を見せた。
「よくってよ、学園に入学してくださってどうもありがとう。あなたにとって学園が楽しい場所になるように、わたくしも精一杯お手伝い申し上げます」
マルグリット様、徳が高い……
わたしの面倒もみてくれようとしてるし、本当にお優しいんだなぁ。
その後、アニエスさんが事情を説明してくれて、さっそく作戦会議に。
「確かに、マエストロの正体は伏せていた方がいいのかもしれませんわね」
マルグリット様が思慮深げに同意してくれた、かと思いきや――
「本当は国で一番の職人さまでいらっしゃるのに、正体を隠して学園に通う……なんてドラマティックなのかしら!」
野次馬感覚だった。
……マルグリット様、前に『王女生活退屈で死にそう』みたいなこと言ってたから、非日常を求めているのかもしれないね。
「では、マエストロの仮の身分をご用意しなければなりませんわね」
「マルグリット殿下お抱えの侍女集団の線で、うまくつじつまを合わせられればいいかと思っておりました」
「任せてちょうだい。そうねえ……」
マルグリット様はさらさらと架空の設定を述べ始めた。
名前はリゼット・エヴィエット。
マルグリット様のいとこの王族の伯爵さまの……領地を管理する子爵の娘で、お母様がマルグリット様の侍女……の侍女。
このへんまでで、わたしはすでによく分からない。
でもマルグリット様はとうとうとよどみなく続きの設定を喋る。
――子爵といっても領地を持っているわけではなくて、王領地の管理職に付随する名誉称号に当たり、もう三代に渡って世襲をしているけれど女も爵位を継いでいた時代よりも古い貴族ではないからリゼット嬢には継ぐ権利がなく――
覚えられる気がしない。
ひえ……どどどど、どうしよぉ……
マルグリット様は深刻な顔をしているわたしを見て、何かを察したようだった。
「……どうかしら? ちょっと凝りすぎてしまったかしら?」
わたしは静かに、でも確実に首を振った。
無理だ。
貴族社会の仕組みは複雑すぎて、わたしには分からない。
まず爵位が分からない。
公爵さまが一番偉いのは知ってる。
でも公爵さまにも色々と種類があるんだそうで、前に一回クルミさんに説明してもらったけど、まだ覚えていない。
王族にも三種類くらいあると言われたけど、それもよく分かっていない。
それから男爵が一番下なのかと思いきや、それより下の身分のひとたちもすごくたくさんいると聞いた。
騎士だったり、文官に付属する身分だったり……
さらに、ひとりの人が王族兼公爵兼伯爵だったりすることもあれば、爵位があっても実際の領地は別の人のものだったりする場合もあるらしい。
分からない……もう何も分からない……!