115 氷の公爵、研究結果を発表する
わたしはフェリルスさんを安心させて懐柔するべく、胸を張った。
「大丈夫ですよ! わたしはこう見えて四級魔道具師です! 商売上で知り得た秘密はお墓まで持っていきます!」
「そうか、内緒にしてくれたら問題ないな! ワオオオオーンッ!」
フェリルスさんがわたしを信用してくれているのをいいことに、わたしはもうちょっと質問してみようかなと思った。
なんだかんだ言って、ディオール様が忙しそうなの、ちょっと心配なんだよね。
「ディオール様のご実家って錬金術師の御一族なんでしたっけ。それなら魔香の成分分析もお手の物ですよねぇ」
「ああ、そのようだぞ! 最近はよくあの匂いをさせている!」
「『あの』って?」
「テウメッサの狐だ! あいつが執着していた匂いだな!」
「はっきり分かるものなんですか?」
「ああ、分かるとも! あれはおそらく――」
フェリルスさんの魔香講座は、門外漢のわたしにも分かりやすくて、丁寧だった。
わたしはしばらくフェリルスさんと話し込んで、ここ最近のディオール様最新情報を得たのだった。
***
ディオールは第一王子から内々に招かれたふたりだけの茶席で、次のように成果を説明した。
「魔香ですが、分析の結果、猟師が使う魔獣寄せの撒き餌や、毛皮の養殖業者が狐型魔獣の餌付けに用いる餌等とは類似性が認められず、魔獣が好む成分はほとんど入っていないことが判明しました。また、王家が押収したすべての魔香サンプルにおいて、いかなる魔獣も嗜好性を示しませんでした」
「本当に? 全部試したの?」
「少なくとも、資料にある実験では」
アルベルトは厳しい顔で資料を一通り眺めて、困ったように口を開く。
「じゃあ全部偽物だったっていうこと?」
「――それか、もしくは、テウメッサの狐だけが反応する固有の臭気を備えていたか、ですね」
「そんなことがありえるの……?」
「テウメッサの狐がすでに存在しない今、すべては推測の域を出ませんが」
ディオールは前置きしてから、自分の仮説を披露することにした。
「うちの鼻がきく精霊の判定によると、『個体が判別できるユニークな臭気を備えていた』とのことです。試しに小型の魔孤を捕獲し、臭腺を採取してアルコールの香水を製作したところ、『似ている』と。匂いを増幅させる魔法を足したら、さらに近いものになるのではないかと話していました」
ディオールはフェリルスのことを思い出しながら、話を続ける。
「精霊によると、魔獣にも種類があるのだそうで。野生の獣が魔力の多い土地柄で魔物に変異したタイプは、獣としての性質を強く残すのだそうです。群れを作り、それぞれの個体に愛着を持つこともあるのだとか」
「つまり、テウメッサの狐が魔香に反応したのは、それがゆかりのある魔獣個体を使用したものだったから――」
アルベルトは考え考え、ゆっくりと喋る。
「――家族の匂いがしたから、襲ってきた?」
ぽつりとしたつぶやきは、多分に感傷的だった。
「すべて推測です。もはや確かめようがありません。しかし、過去にも魔獣に襲われた冒険者が、遺体を荒らされることなく、魔獣の爪や牙といったお守りだけをはぎ取られる事件はあったと言われています」
一部の魔獣が、魔獣素材を取り返そうとする性質を持つことは、昔から言われていた。
しかし、魔獣には知性がないというのが通説だからか、真面目に検証されてこなかったのだ。
アルベルトはすべて分かったというように、うなずいた。
「ひどい話だけど、もしもそうならひとまず事件は終わったと考えてもよさそうだね。類似の事件を起こすにしても、犯人が、高位の魔獣の群れから家族だけを選び出すのは至難の業だろうし、選び出したところでその個体がテウメッサの狐と同様に行動する保障もない。そうすると、残る問題は……」
「家族説が外れていた場合、ですね」
ディオールは、魔香がすべて偽物である可能性も少なくはないと感じていた。
「もしも魔香は目くらましで、他に操る手段があるのを隠すためのニセモノだとしたら、対策を考えておかねば、同様の手口で、今度は王城を直接狙われます」
「……そうだね。でも、今の時点では何とも言えない」
アルベルトは現状を整理するように、自分の知っていることを言い並べはじめた。
「魔香の調香師と流通させた組織は捕らえたよ。魔力紋はほぼ一致していたから、リゼルイーズ嬢なみの贋作師でもない限りは本人で間違いない」
「リゼ並みの……」
「そう。王都にはいない、と思うけれどね」
ディオールも、可能性は限りなくゼロに近いと考えて、いったんその線を考えるのはやめた。
「犯人グループは中規模くらいの、冒険者ギルドを装った裏社会の組織で、裏では『赤き死』で名前が通っていた。彼らには今君からもらった分析結果を念頭に、もう少し尋問をかけてみるよ。何か有力な手掛かりがあればいいんだけどね」
まったく見知らぬ組織が犯人と聞いて、ディオールは奇妙だと思った。
事件の規模や、被害者のリストを見る限り、もっと大きな組織がかかわっていると感じていたからだ。
犯人は少なくともテウメッサの狐の性質を理解し、その親族を狩り、死骸を持ち帰るだけの実力を持っている。
大きな魔獣狩りの組織でなければ、不可能だろう。
「サントラールとの関連は見つけられそうでしたか?」
はっきりと名指しすると、アルベルトは苦笑した。
「全然。仲介業者を何人も挟んでいて、捕まえきる前につながりを切られて、おしまい。狐の魔獣に襲われた――と見せかけて横領したと思われる魔獣素材も、どこに隠したのか、まったく見つからないんだ。いつものやり口だよ。でも」
アルベルトは魔香の隣に、『家族の個体』と書きつけ、ぐるぐると丸と付けた。
「テウメッサの狐とゆかりのある個体を使わなければできない特別製の魔香だというのなら、サントラールが過去にテウメッサの狐と似た個体を狩っていないか辿っていけば、何か発覚するかもね。もうひとつ、王都の国王づき文官が不自然なほど狐に襲われた件でも、査問会にかけられないか模索中だよ」
「そちらも入念につながりを消しているかもしれませんがね」
「そのときはしょうがないさ。やれることをひとつずつやるしかない」
サントラールとの争いは、一進一退を繰り返しているようだった。
アルベルトはふと思い出したように、質問を投げてきた。
「ところで――もしも魔香が、本命の魔獣調教手段から目を逸らすためのおとりだとしたら、本命にどんな手段が考えられる?」
「それこそ無数に。餌付け、狂化、魔法の手綱、首輪――」
人間は過去に、そうして魔獣を使役し、暮らしに役立ててきたのだ。
その中でも飛び切りの邪法を、ディオールは口にする。
「死骸を操作する疑似魂魄の封入」
「死霊術か……」
アルベルトの口ぶりから、死霊術がいかにして禁じられていったかの歴史は知っていることがうかがえた。
死体は安価な兵士として過去に多用されてきたが、人体を思いのままに操るという技術が生者にまで応用されてしまい、口にするのも憚られるような事件が多発したのだ。
現在は全面的に禁じられている。
「どれもとうの昔に禁じられた邪法です。私もその分野に明るくはありませんが、念のため、調べておきましょう」
「ありがとう。やっぱり最後に頼れるのはロスピタリエ公爵だけだよ」
アルベルトは大げさな世辞を口にする。
「他のやつらはダメだ。出世と権力争いのことしか考えていない」
「私でよければいくらでも協力しましょう」
ディオールはあしらいつつ、さりげなく話題を変えることにした。
「しかし、あまりリゼを引き込まないでいただけませんか」
「リゼルイーズ嬢を? どうして? 彼女は首席の魔道具師だよ」
とぼけてみせるアルベルトに、ディオールは重ねて言う。
「あの子は物事をきちんと考えないところがあります。利用しやすいように見えるかもしれませんが、想定もしていなかったようなやらかしで足元をすくわれてお困りになるのは殿下ですよ」
「利用だなんて、ひどいな」
アルベルトは軽快に笑いつつ、ディオールの話に聞く耳を持つ気はないようで、冗談めかしてこう言っただけだった。
「私はあの子の魔道具が大好きなだけなんだ」