111 リゼ、祝賀会に参加する
お店が暇なある日のこと。
わたしはクルミさんから、貴族の礼法を教わっていた。
ヒールをはいて、コルセットをつけた状態で、まっすぐ立つ。
ちなみにこの時点でだいぶ辛い。
「『小さなお辞儀』は、両足を揃えて立ち、外側に軽く屈伸してくださいませ。身体は少しだけ前傾にしつつ、まっすぐに……結構でございます。大変お上手でございますよ」
クルミさんはわたしのことを決して叱らずに、いいところだけを褒めてくれる。
今回はちょっとうまく行ったみたい。
「では次。国王陛下の御前で深く腰を落とす場合は、視線はひざのあたりに下げてから、身体をなおすときにまたお相手の方を見ます。スカートの裾が床につきそうな場合は、大きく広げてくださいませ」
「わ、わわわかりましたぁ……っ!」
意を決してひざを曲げる。
こ、これ、足腰の負担やばい……!
あとコルセットがつっかえて身体がうまく屈めない……!
ヒールもグラグラする……!
ブルブル震える身体を制御しきれずに、こてーんとスッ転んだ。
痛い。
「や、やっぱりこれは無理かもぉ……」
クルミさんは困ったように頬に手を当てる。
「ご無理をなさらずに、ヒールの靴をお避けになってもいいのでは? 宮廷の靴は、必ずしもヒールでなければならないというわけでは」
「で、でも、わたし、背があまり高くないから……」
子どもと間違われかねないので、ヒールは履きこなしたいんだけど、爪先が痛くて全然立っていられない。
「それではやはり、日ごろからヒールの靴をお選びになるところからでございますね」
「は、はい……!」
わたしはメモにクルミさんの発言を書きつけてから、ようやく気づいた。
これ、前にも言われてメモしたことある。
もう三回目くらい?
「ご、ごめんなさい、覚えたつもりだったんですけど……」
「いえ、ゆっくりで構わないとのディオール様の仰せでしたので」
クルミさんの優しさがしみる。
そしてわたしの物覚えの悪さときたら。
情けなくてしょんぼりしていたら、クルミさんがわたしを励ますように手を握ってくれた。
「通常のお辞儀の方はもうご自分のものになさったようでございますから、あともう少しで完璧におなりでございます」
「ううっ、あ、ありがとうございます……!」
礼法とか、わたしには全然似合ってないと思うんだけど、クルミさんについていてもらえるとほんとに心強い。
「リゼ様、礼法は心でございます。相手を敬い、謙虚にあろうとする心構えがあれば、素朴な挨拶でも輝くもの」
「は、はい」
「リゼ様の、ご主人様を仰ぐお気持ち。それこそがもっとも尊く、得がたいもので、リゼ様を本物の公爵夫人たらしめるのでございます」
「う、ううっ……」
わたしに公爵夫人は絶対無理。
礼法のお勉強をすればするほどそう思う。
ディオール様も、今は全然結婚を焦ってないみたいだけど、そのうち好きな人とかができたら、わたしみたいな庶民はお役御免になるはず。
とはいえ、かりそめの婚約者でも、少しくらいは外見を取り繕わないと、ディオール様に恥をかかせてしまう。
わたしはいいけど、ディオール様の評判まで下げてしまったら申し訳が立たない。
「せ、せめて、ディオール様がパーティとかで恥ずかしい思いをしないように、がんばります……!」
「その意気でございます」
クルミさんに励ましてもらって、わたしは気力を回復した。
立ち方だの、座り方だのをあれこれ教わりながら、ふとクルミさんがひとりごとのようにつぶやく。
「どこか、礼法の教室などに加わるのもいいかもしれません。一緒に学ぶ友達がいれば、きっと楽しいでしょうし」
友達。いい子が相手だったらいいけど、姉みたいな人とペアだったら嫌だなぁ。
「わたしはクルミさんに教わりたいです!」
「まあリゼ様ったら」
「忙しいと思うんですけど、隙間時間にちょっとずつ教えてくれたらいいので!」
「まあそんな……」
うふふと嬉しそうに手を添えるクルミさんにわがままを言い、わたしはちょっとずつ教わることにした。
それが数か月前のこと。
わたしはいまだに礼法が苦手だった。
***
王都の夜道。
わたしはディオール様の馬車に乗せられて、どこかのパーティ会場に連れていかれていた。
「ディオール様、今日は何のパーティですか?」
「何だったか……」
ぼーっとしている様子のディオール様。
最近あまり顔を合わせないので、忙しいのかもしれない。
ディオール様は額をこすっていたけれど、やがて思い出したみたいだった。
「ああ、そうだ。王立騎士団結成祝賀会、のパーティじゃなかったか。第一王子の主導でできた新設の魔獣狩り専門集団だ。魔獣対策では後手後手に回って批判されがちな王家への不満を解消する狙いらしいが……」
ディオール様は騎士団の人たちが苦手みたいだから、駆り出された理由は分かった。
「……しかし、人選に不安が残るな。他団から引き抜いてきてスパイを紛れ込ませるのが不安だったというのは分からんでもないが、冒険者上がりと学生ばかりとは……」
「ディオール様も入れられたんじゃなかったでしたっけ?」
「名前を貸しただけだ。魔獣狩りなど死んでもやらん」
ディオール様の言葉には気持ちがこもっていた。
「こっちは野山を駆け回りたくないから、騎士団を避けてアカデミーに就職したというのに。陛下め、余計なことをしてくれる」
「だから強いのに研究員やってたんですね……」
「リゼも一度野山に放り込まれて四日間生き残る訓練をしてみればいい」
「水と食料があればなんとかなりそう」
「現地調達だ」
ディオール様はとてもつらそうに告白する。
「空腹に耐えかねてそこらへんのぶよぶよした気色悪い魔獣を捕まえて食べたとき、私は『騎士団にだけは絶対に入らん』と誓ったんだ」
ディオール様、いいとこのお育ちっぽいもんね。外見も繊細そうで、貴族が飼っている高貴な猫ちゃんみがある。
力説して疲れたのか、ディオール様はふいに黙りこくった。夜道にうっすら浮かび上がるディオール様の横顔は寝不足の兆候を示して、むくみ気味だった。
最近のディオール様は顔色が悪い。
「お疲れなのでは……?」
「別に」
ディオール様はそっけなく言いながら、わたしの肩に顎を乗せた。
天敵とパーティするわけだから、今日は要求されるイチャイチャのレベルも激しそう。
「今日のドレスもすばらしいな。魔力がこもっている」
「あ、分かります? 大人っぽく仕上げてみました」
ヒールの練習も兼ねて、真っ赤なドレスで、ちょっと派手めを目指してみた。
「真っ赤なミニスカートのドレスに白い絹靴下の情熱的な悪女・カルメン! いやぁ、憧れちゃいますよねぇ」
夜会なので、さすがにミニスカートにはできなかったけど、ロングドレスにちょっと大きめにスリットを入れておきました!
炎のエフェクトがメラメラ上がるところがこの服のハイライト!
「熱くはないのか?」
「例によって幻影魔術なので!」
スリットは大胆だけど、エフェクトの影に隠れて露出はかなり控えめに見える淑女設計だよ!
「これでダンスを踊ると、ぱっと炎が弾けて綺麗なはずなんです!」
ディオール様は見た目がかっこいい。
ディオール様をパートナーにして、わたしがこのドレスで踊ると、さぞや目立つことだろう。
今期のモードはいただき! かも、しれない。
ドレスはちょっと派手すぎて無理……という人も、この火がたなびく扇子は珍しがってくれるかもね。
燃えあがーれー。
わたしが自信作の扇子をパタパタさせていると、ディオール様が声を立てずに笑った。
「扇子の使い方は覚えたのか?」
「え、えーと……扇子の先で、右頬に触れたら『はい』、左頬に触れたら『いいえ』……」
「そう、たいがいの動作には意味がある。やみくもに扇子で何かを指さないように」
「わ、分かりましたぁ……!」
ディオール様はふいに手を伸ばして、わたしの扇子を持つ手に、自分の手を重ねた。
「……熱くないんだな。幻なのは分かっているが、奇妙だ」
ディオール様、手ぇおっきいなぁ。
それはいいんだけど、いつまでわたしの肩にあごを載せてるんだろう。
ディオール様のこの思わせぶりな動作に虫よけ以上の意味なんてないってことは知ってても、ちょっと恥ずかしいというか、何というか……
救いは、会場にすぐ到着したことだった。
お久しぶりです
四章開始しました
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