100 決戦前夜
お食事のあと、クルミさんは食器を下げて『また朝食を届けにくる』と言い残して帰った。
調合するディオール様のお手伝いを、わたしとハーヴェイさんでする。
炭に風の魔石を砕いて荒く混合し、指向性のある送風の魔術式を記入。
「周囲の匂いを吸い取って正常な空気にする匂い消しだ」
「へえ~~~~……」
昔の人は面白いものを作るなぁ。
「これって魔香の匂いも消えますか?」
「一時的になら可能だ。本格的に消したいならまた別の調合がいる。これは、テウメッサの狐を一時的に欺くためのものだ」
ディオール様は物知りだなぁと思いながら、わたしはお鍋をぐーるぐる。
「草の煎じ汁は瓶詰を少量と、残りは小さめのタライに用意しておいてくれ」
「え、たらいですか? 何十リットルもいります?」
「油分と魔力は匂いのもとになる。朝一番の風呂後に、この草の汁で身体の油分と魔力を洗い落として、草原や山の匂いに同化するわけだ。野生の獣にはよく効く」
なるほどぉ。
じゃあもっといっぱい作ろ。
わたしは在庫の薬草を景気よくぱーっと放り込んだ。
「しかし、ハーヴェイ、君の魔力量も結構なものだな」
「恐縮であります」
「絞ることはできるか? 垂れ流しだと高位の魔獣は警戒する」
「初心者なもので……」
「ではコツを……」
……それにしても油汚れと魔力の残りかすがよく落ちる魔草と薬草ばっかり入ってるなぁ。
職業柄、わたしもよく使うけど、一発で肌が荒れそう。
わたしはディオール様のつるーんとしたお肌を振り返って、一日くらいなら大丈夫なのかな、と思い直した。驚くほどつやつやぴかぴかだ。
魔獣の討伐って大変なお仕事なんだねぇ。
騎士団の人たちはお疲れさまだ。
わたしはできた草の汁を言われたとおりに分けて、なんとなく、自分用に少し取っておくことにした。
何もなければいいけど、念のため。
匂い消しがあれば、魔獣に襲われても、最悪、【風景同化】で逃げ切れる可能性が上がる。
「あ。ディオール様、せっかくなので『姿隠しのマント』も持っていってください」
「助かる」
「あとブーツも」
「それも便利そうだ」
「おやつはどのくらいにします?」
「遠足じゃないんだぞ」
おやつと聞きつけてフェリルスさんがわたしの腰元にガシッと前足をかけた。
「なにぃぃぃ!? まだ食い物があったのか!? 腹ペコの俺に黙って!? 隠し持っていたのかぁぁぁ!?」
「こ、これはわたしの秘蔵のおやつですぅぅぅぅ!!」
「近所迷惑だぞ」
――こうして下準備は着々と進んでいった。
***
わたしはその日の夜、なかなか寝付けなかった。
ちょっと思いついてしまったことがあったのだ。
ランプを灯して作業していたら、ディオール様が訪ねてきた。
「リゼ、そろそろ寝なさい。寝不足は成長によくない」
「あとちょっと……」
【祝福】を最大速度で回しているけれど、なかなか終わらない。
「これは?」
【複製】中の魔道具のパーツを見て、ディオール様が不思議そうに指さした。
「新しい魔道具を考えていたんです」
以前からずっと構想はあった。
わたしには攻撃用の魔術は扱えない。
人から魔術式を拝借しようにも、一般記述用の古代魔法文字は読めない。
ならば、魔術式を介さずに魔術を扱う方法は?
ヒントは、ディオール様が教えてくれた魔鉄からもらった。
魔術を記録するという面白い性質の鉄だ。
ディオール様はわたしの構想を聞いて、「面白そうだ」と言ってくれた。
「あれは扱いづらいから、アゾット家でもそれほど研究が進んでいなかったんだ。だが、君が実用的な魔道具に落とし込めるのなら――」
「はい。きっと、テウメッサの狐に届きます」
ディオール様、目がキラキラしちゃってる。
わたしに向ける微笑みも、いつもよりずっととろけていた。
「やはり兵器はいいな。心が躍る」
た、楽しそう……
「わたしはあんまり楽しくありませんが……」
危ないものを扱うのってやっぱり気が重い。
「世界を変える発明をしておいて楽しくないとは、君はやっぱり変わっているな」
ディオール様は呆れたように言いつつ、「しかし」と言った。
「こんなものまで出てくるのであれば、私もうかうかはしていられないな。案外、魔術師の終わりはすぐそこに来ているのかもしれん」
「そんな大げさな……」
「君の魔道具はそれだけすごい。誇っていい」
ディオール様は何を考えているのか分からないことも多いけど、魔道具に関してだけはいつもまっすぐわたしを褒めてくれる。
だからわたしも、ディオール様が期待してくれるなら、もっとがんばろうって思えるんだよね。
「何か手伝えることはあるか?」
わたしは思い切って、お願いしてみることにした。
***
次の日、早くにアルベルト王子が現れた。
ディオール様の作戦を聞いて、戸惑っているようだった。
「協力はありがたいけど、今日必ず捕らえられるかは分からないよ。これまでにもずっと失敗続きだったんだ。……でも」
アルベルト王子が、ディオール様の作った匂い消しに視線をやる。
「それを、まだ試してない形式の罠に組み合わせて、魔香のかかった人物を囮にできれば、もしかしたら……」
わたしはうんうんとさも分かったように頷きながら、クルミさんが持ってきてくれた卵入りのガレットをもりもり食べていた。
こ、この! 中に仕込まれたとろとろのチーズ! すごくいいチーズだと思う! 新鮮でいい匂いでクリーミー!!
おーいーしーいー!
「でも、絶対におびき寄せられるとも限らないよ。魔香が出回りすぎていて、どれが本物かも分からない状態なんだ。一応、押収したものはいくつか持ってるんだけど……」
ハーヴェイさんは王子様相手にブルブル震えながら、恐る恐る声を上げる。
「僭越ながら、殿下に申し上げます。自分は人から魔香を浴びせられ、昨夜実際にテウメッサの狐と遭遇いたしました。犯人に話を聞くのはいかがでしょうか」
「誰?」
「ギデオン伯爵マクシミリアン」
「分かった。手配する。君の魔香はまだ落としていない?」
「はい」
「囮なんて危険な真似、ぜひしてくれとは言えないけれど」
「覚悟しております」
アルベルト王子もそれで決意を固めたようだった。
「ロスピタリエ公爵がせっかくやる気になってくれたのだから、この機を逃すこともないね。本当を言うと、どうやって協力してもらおうか考えていたんだ」
わたしは、あれ、と思った。
「ディオール様も討伐隊に志願してませんでしたっけ――」
「リゼ」
言葉の途中で、ディオール様からベーコンを口に押し込まれた。
「君は肉が好きだったな。私の分も食べるといい」
こ、このベーコンのとろける脂身! うまー!
「君は実に可愛い。たくさん食べるんだぞ」
にこにこと甘い笑顔で言ってくれるディオール様は、とても怪しかった。
アルベルト王子はさっそく何か察していた。
「……そうか。父上が阻んでたんだ。叱られるやつかな、これは」
アルベルト王子……
不憫だなぁ。
「しかし、好機だ。今日こそ決着をつけよう」
気を取り直して宣言するアルベルト王子は、とてもかっこよかった。
不憫だけど。