10 突然の婚約申し込みは心臓に悪い
――おかあさん、みてみて!
ぷくぷくのほっぺをした幼いリゼが、母親に向かって、ビー玉のようなものを差し出した。
――これ、つくったの!
どれ、見せてごらん、と笑顔で受け取った母親は、凍りついた。
幼いリゼは拙い言葉で懸命に語る。
純魔石を、祖母に教わって作ったこと。
すごいと褒めてもらったこと。
お前には素質がある、と。
純魔石を作れたことなどなく、祖母からは素質がないと見放されていた母親は、この瞬間に娘を愛せなくなった。
リゼに雑用ばかりを押しつけ、何年も過ぎた。
その後――
アルテミシアとその両親は、何日も雑用で無駄にしたあと、ようやく悟った。
「……リゼに雑用をさせなきゃうちは回らないね」
「あの子に作らせないといけないものがあるのよ、それも今すぐに!」
「なんとかしてリゼを連れ戻そう」
三者の意見が一致した。
リヴィエール魔道具店の下の娘は、グズで使えない雑用係。
だからリゼには、修道院で一生を終えてもらわなければ困るのだ。
親より優秀な娘など、いてはならない。
姉の魔道具づくりを代行していた妹など、いなかったことにしなければならないのだから。
「でも、どうやって? 先方は裁判所を通せと言っていたが」
「何か月かかるのよ!? ぐだぐだ話し合いを引き延ばされたら終わりだわ!」
納期はすでにいくつかの案件でオーバーしている。
扱う品物がどれも高額な一点ものや、大量生産であることもあり、賠償金だけで赤字がかさんでいた。
王子に依頼された魔道具も、まだ急かされるような時期ではないが、このままだと婚約の取り消しなどという事態にもなりかねない。
「どうにかして連れ戻す方法を考えないと!」
「でも、どうするのさ」
「だからそれを考えるのよ!」
彼らは悩み抜いて、非合法な手段に頼ることにした。
魔道具店のある下町一帯を取りまとめている裏社会の組織に、何としてでも連れ戻してほしいと頼み込んだのだ。
法外な料金を請求されたが、それでも無事に連れ戻してもらえるとの約束を取り付けた。
「戻ってこい……早く……!」
「あんなグズでもいないと困るんだから始末に負えないよ」
「ドレスができないと婚約を解消されてしまうわ!」
ひたすら祈る三人だった。
***
わたしがフェリルスさんのお散歩係になってから、しばらく経った。
毎日おいしいものを食べさせてもらって、庭をぐるぐるして、フェリルスさんの棒きれ投げに付き合うだけの毎日。
単調な日々が――
た、楽しい……!!
物心ついてからずっと雑用ばっかりしていたので、何もせずひたすら遊び倒す日々はわたしにとって新鮮だった。
ぼーっと眺めるお庭は色とりどりのお花が咲き乱れてきれいで、お空は青くて、冷たい水はおいしい。
なんだか、すごく健康になった気がする。
わたしの魔力ヤケはまだ取れていないけれど、こんなに元気なら、もう十分。
公爵さまのおうちで療養させてもらわなくても、実家に戻れる。
でも、正直に言って、帰りたくなかった。
だってごはんおいしいもん!
わんちゃんもかわいいし!
みんないい人だし!
誰もわたしをぶたない!
実家に帰らないといけないと思うだけで、わたしはまたどんよりと不健康になりそうだった。
でも、そう甘えたことばかりも言っていられない。
フェリルスさんのお散歩係としてもいまいち頼りにならないわたしだから、もう少し仕事をしたいなというのが本当のところ。
わたしの小さな悩みは、ティータイムに出てきたおいしそうなおやつのせいで全部吹っ飛んでしまった。
「これ、なんていうんですか!? すっごいおいしい! 作り方知りたいです!」
「あまくてすっぱくてうまい!」
フェリルスさんが大声で同意したので、わたしは足元をちらっと見た。
「……フェリルスさんって、苺とかクリーム食べても」
「大丈夫だ! 俺は精霊であって狼ではないからな! お菓子は大好物だ!」
遠吠えをするフェリルスさん。
向かいに座っている公爵さまは面白くもなさそうに騒がしいわたしたちを見ていたけれど、ほんの数ミリだけピエールくんの方を向いた。
「ピエール。作り方を聞いてこい」
「かしこまりました」
「あっ、ごめんなさい、そんなどうしても知りたいわけじゃなくって、ただ、実家に帰っても自分でも作れたらいいなってちょっと思っただけっていうか!」
「帰す予定はない」
「あ、はい」
公爵さまはいつも唐突にやってきて、唐突に喋り、唐突に黙る。
今日もティータイムの予定なんかなかったのに、公爵さまがやってきて、急に準備が始まった。
気まずいわたしに、公爵さまがマイペースに続ける。
「うちの食事は口に合っているか」
「は、はい! とっても!」
「君は肉が好きだと聞いた」
「ははははい、すみませんっ……」
「なぜ謝る」
「女の子なのに肉が好きなのは……」
「気にするな。リゼ、君はもっと食べた方がいい。鳥獣肉の赤身肉の方が栄養はあるが、家禽でも構わない。どんどん食べなさい」
公爵さまがいろいろ食べさせようとするの、ほんとありがたいけど謎……。
会話が続かなくて、足元のフェリルスさんを見つめていたら、ピエールくんが帰ってきた。助かった。
「今日のデザートはいちごクリームです。生クリームと砂糖を6:1で混ぜて煮詰め、すりつぶしたイチゴをたっぷり混ぜて、少し冷めたらレンネットで固めるのだそうです。形はガーゼでまとめてお好きなように」
「後半、もう一回教えてください」
「覚える必要はない」
公爵さまは、ちょっとだけ不機嫌そうに見えた。
「食べたければいつでもシェフに作らせればいいだろう。それとも、わが館に何か不満が?」
「いっ、いいえっ、全然っ! わたしなんかにすごくよくしていただいちゃって、本当に申し訳ないくらいでっ……!」
わたしは急に自分の気持ちが分かった。
そっか、幸せすぎて、なくなるのが怖かったのかも。
わたしはどうしたって魔道具店の娘で、小さなころからずっと家業の手伝いをしていて、その家業はこの先もずっと変わらない。
姉も両親も家族だから、どこに行っても結局は逃げられない。
いつかは連れ戻されて、あの厳しい魔道具づくりの毎日に戻る。
「公爵さまのおうちは……とっても楽しいです。おいしいものもいっぱいあって、フェリルスさんはかわいいし、遊んでいるとすごく癒されるんです。でも……やっぱり、わたしなんかとは、住んでいる世界が違うんだな、って……つくづく思い知らされました」
自分で言ってて悲しくなってきた。
でも、これが現実なんだから、受け入れないと。
「素敵な夢を見せていただいてありがとうございました。わたしの魔力ヤケもだいぶよくなったみたいですし、もう、いつ実家に戻されても大丈夫です」
「だから、戻す気はないと言っているが」
公爵さまは目を細めた。
「不満がなければそれでいい。明日は婚約だ」
わたしも驚いたけれど、足元のフェリルスの驚きっぷりはそれ以上だった。
「婚約うううううう!?」
フェリルスが椅子に座っている公爵さまの膝に前足ですがりつく。
「ご主人!? 俺は認めんぞ! こんなひょろっちい小娘が俺のボスになるなんて!!」
「なら野に帰れ」
「ご主人んんんんん!!」
わたしもわたしでパニックになりかけていた。
「そ……そんな、わたし、公爵さまに好きだなんて言われても、まだ公爵さまのことなんにも知らないし……」
「いつ私がそのようなことを言った」
「……え?」
公爵さまは淡々と続ける。
「君の家族から親権を奪い取るのに一番手っ取り早いのが婚約、結婚だ」
「……そ、そうなんですね」
やっ、やだ、勘違い恥ずかしい……
「不服か?」
「い、いえ、そんなっ!」
公爵さまはいちごクリームを食べながら、何でもないことのように言う。
「私と婚約させられるのが嫌なら、一日でも早く身を立てる方法を考えることだ。わが国の親権は理不尽に強い。君の親が躾と称して君を殴るのは合法だが、君が殴り返せば重い刑罰を科せられる」
「公爵さま……」
わたしが姉や両親にしょっちゅう叩かれてたの、気づいてたんだ。
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