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1-4

 灰色の大地に、簡単に石を並べただけの道が、王都から西へ真っすぐ伸びていた。

 道の真ん中を、フリーシアは一人歩いていた。

 真夏の荒野には決して似合わないドレスをやはり着ており、右手には丸めた書簡を持っている。


「……暑い」


 思わず洩れた呟きが、大気に揺らぐ陽炎の中へと消えてゆく。

 誰が言ったのか、ここは灼熱と情熱の国パッシーオネ。情熱はともかく、灼熱と呼ぶにふさわしい暑さだとフリーシアは常々思う。

 見上げれば、目に痛いほどに鮮やかな青空がそこにあった。雲は一つもなく、太陽だけが、この空の支配者であると言わんばかりに今日も君臨している。


太陽(あなた)のせいか……」


 もう少し加減を覚えて欲しいと、フリーシアは汗を拭いながら苦笑する。


「お陰でドレスは乾いたがな」


 それにしてもなんという暑さだろう。

 足元の石は熱気を放ち、目の前には常に陽炎が揺らいでる。太陽が頭上にあるこの時間帯に人が少なくなるのも頷ける。

 実際のところ、フリーシアが王都を離れこの道を歩いてからの一時間、ただの一人ともすれ違うことは無かった。

 いや、最大の原因はそれではない。

 スッキエッロ連山に向かって走るこの道の先には、クレアツィオーネ村があるだけで、他は何もないのだ。クレアツィオーネ村は観光地でもなければ、特別な産業があるわけでもないし、人口も少ないので商業には向かない。そんなところに用があるのはフリーシアのように王都帰りの村人か、月に一度だけ村に食料や水を持ってくる|あの《フリーシアを王都まで送った》商人ぐらいのものだ。


「だが、これから村は変わる」


 フリーシアは右手の書簡を見つめ、確信した。


「村のみんなは驚くだろか……驚くに決まっている。お父様だって、きっと」


 フリーシアは村にいる父のことを思った。

 仕事や自分のことはまるで教えてくれない父だが、それ以外では娘に滅法甘く、大変家族想いな男だとフリーシアは知っている。そんな父のことを嫌いになる理由はなく、だからこそ父が自分に隠し事をし、まして迷惑をかけないようにしている事が許せなかった。

 その結果、フリーシアは父に黙って商人の馬車に乗り込み、王都に向かったのが今朝の話だ。


「やはり怒っているだろうな」


 フリーシアは立ち止まり、俯いた。

 頬を伝って落ちていくいくつもの雫が、灼熱した石畳の上で消えて行く。まるで油が弾けるような音で、しかし静かに蒸発した。

 顔を上げると、遠くにスッキエッロ連山の影が見える。

 だが、いくら歩いても辿り着く気配がない。


「まだ村は見えないか……」


 見ている景色は風景画で、常に自分の少し先を歩いているように思えてならない。


「あとどれだけ歩けばいい」


 誰かに同意を求めた訳ではなかったが、フリーシアは返事が返ってこないことに少し寂しさを覚えた。

 家ではいつも側に父や侍女がいて、王都に向かうときには商人、そして王都では二人の憲兵がいた。

 だから、つい振り返ってしまう。


「本当に一人なんだな」


 フリーシアは弱々しく呟いた。

 背後には一時間前に後にした王都の姿があった。うんと小さくなった摩天楼を見つめ、自分でもよく歩いたものだと感心し、下がっていた口角が上がる。


「数時間前まではあの塔の中にいたなんて、とても信じられないな」


 フリーシアは前を向き、笑い飛ばした。


「だが、夢じゃない」


 右手の書簡を見つめ、フリーシアは何度でも確信する。


「これからクレアツィオーネ村は活気を取り戻すんだ」


 長い髪を掻き上げ、額の汗を拭い、フリーシアは再び歩き出す。希望の光に向かって。



 そして、三時間が経過した。

 オレンジと青が交差する西の空を、鳥の群れが歌いながら棲み処へと帰っていく。

 見上げずとも、スッキエッロの山々を黄金色で縁取りながら、没していく太陽は目に映るだろう。夕方だというのに、降り注ぐ陽射しは弱まることを知らず、気温は人間の体温を下回る様子は一切ない。

 道の真ん中を、やはり一人の少女——フリーシア=ホルスタインが歩いていた。

 しかし、彼女は裸だった。


「なぜだ……」


 五時間以上も水分を碌に摂取()らず、太陽の下を歩き続ければ、体温は否が応でも上昇する。体温の上昇は、目眩や痙攣、頭痛など様々な症状を引き起こし、フリーシアの意識を徐々に刈りとった。

 朦朧とする意識の中でもフリーシアは歩き続けた。覚束ない足取りで一歩、一歩と確実に前へ進んだ。

 そして、フリーシアの本能はついに気付いてしまった。

 いや、最初からドレスなど邪魔だったのだ。フリーシアも薄々気付いていた。だが、半端な格好では貴族共に舐められてしまう。そう考え、母のカクテルドレスで武装したのだ。だが、もはや貴族を相手にする必要はない。ただ村に辿り着きさえすればいい。それが最低限であり、曖昧な意識ではそれ以上の目的を設定する余裕はなかった。

 そして、フリーシアは裸になった。

 通常であれば決してそうはならなかっただろう。

 しかし、細い鎖骨、華奢な体つきに似合わない豊満な乳房と尻、くびれた腰など、小麦色に焼けた肌を余すとこなく晒している。

 それでも右手に握りしめた書簡だけは離さなかった。


「なぜ……なん……だ……」


 渇ききった喉で、言葉を洩らす。

 樽一つ分の水を飲んだというのに、それももうほとんど残っておらず、汗一つ掻けない。傷だらけの足は酷い火傷を負い、もはや感覚さえない。

 だというのに、村に帰るという強い意志だけは折れなかった。


「うっ……」


 しかし、肉体は限界を迎えてしまった。ついにフリーシアは灼熱した石畳の上に倒れた。


「あ……っづ……ぃ……」


 熱は容赦なくフリーシアの全身を痛みつけていく。フリーシアの体は悶えることさえできなかった。


「どう……して……」


 フリーシアは最後まで諦めるつもりはなかった。しかし、彼女の目には、どれだけ歩こうとも一切近づいて来ないスッキエッロ連山の影が映るばかり。右手の感覚ももはや無く、書簡を握っているかさえも分からない。


「……ご…………さ……い……」


 ごめんなさい。その言葉を最後にフリーシアは意識を失った。

 それを待っていたかのように、笑い声がフリーシア以外誰もいない筈の荒野に響いた。


「あっはははっ……もうダメ、腹いてぇ……」


 大気に揺らぐ陽炎から滲み出るように、その声の主は姿を現した。

 幼い少女だった。

 透き通るような白い肌に、燃えるような赤い髪を持った小さな少女が、気絶したフリーシアの目の前に立っている。


「面白い表現をするから、この娘の目に魔法をかけてみたらこれだ。面白すぎ。代わり映えのしない風景をどこまで追い続けるのかと思って観てたら、ぶつぶつ独りで話してるし、急に脱ぎだすし……あぁ、ほんと笑い死にそう」


 少女は腹を抱えて笑い続けた。

 十分は笑い続けたところで、ようやく落ち着いてきたのか、涙を拭い、ひとつ息を吐く。


「数百年ぶりに地上に目を向けて見れば、面白い奴がうじゃうじゃ見つかる。その中でも、この娘は最高に残念だ」


 にやにやと言って、少女はフリーシアを軽々と抱き上げた。


「さて、どうしたものか。死なすには惜しい」


 少女はスッキエッロ連山を、その麓に見える(・・・)クレアツィオーネ村を見つめて考えた。


「あいつの所にでも連れていくか」


 夕焼けに向かって歩く少女の腕の中でも、フリーシアは書簡を握り続けている。



 こうしてフリーシア=ホルスタインの長い一日は幕を下ろした。

 しかし、誰も気づいていない。

 この残念な少女の情熱が起こした今日の出来事が、このパッシオーネの国中を変えていく序章であることを。

今回はここまで。

2-4を書き終えたら、また投稿しにきますね。

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