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1-2

 商人とその馬車に別れを告げ、少女と憲兵の三人は行政区を目指し、貴族区に入った。

 行政区とは、文字通り政治を行う為の区画の事である。その場所は、国王に任命され政治を仕切る宰相が所有する塔を中心に決定される。

 しかし、宰相に選ばれるとなれば爵位は公爵に限られ、権力争いが最も激しい彼らは宰相の地位を頻繫に奪い合うので、行政区は転々としている。

 加えて、宰相に就任すれば前任者より少しでも高い塔を自らの財力をもって建設する所為で、塔は新しいものから古いものまで百本以上建っており、昨日の貴族区を知らない者にはとても把握できるものではない。


 少女は眼前に広がる摩天楼を見上げ、目を丸くする。


「私が住んでいた頃とはもはや別の街だな」


 一人では危うく迷子になるところだった。そんなことを考え苦笑していると、横合いから声をかけられた。


「おや、住んでいらしたのですか」

 馬車の手配をしていた筈の男の憲兵が、いつの間にか戻って来ている。


「お前は何を言ってる。貴族は貴族区(ここ)に住むもんだ」


 呆れた声でそう言ったのは、男の陰に立っていた女の憲兵だった。

 女の背があまりにも低い所為か、少女は女がそこに居ることに気づいていなかったので、すこし驚いた。


「馬車は準備できそうか」

「ええ、少し待つ必要があるみたいですが、なんとか」

「さっき貰った金はなくなったがな」


 女は不機嫌そうに、手に持っていた干し肉を噛み切る。


「残った分を全部干し肉に変えたくせによく言うよ」


 男はそっと干し肉に手を伸ばしたが、女はそれをはたき返した。


「やらんぞ」


 少女は咄嗟に手をしまった。


「お嬢様でもこんなのが欲しいのか」

「いらない」

「そうか、金は返さないぞ」

「かまわない」

「よだれ、垂れてるぞ」

「垂れてない」

「思いっきり垂れてるけどな。まあいいや」


 少しスッキリしたようだったが、やはり女は不機嫌だった。


「まあまあ、この馬鹿みたいに大きな王都を暢気に歩いたって日が暮れるだけだ。それに、こんな綺麗なドレスを着た女性(ひと)をこの暑い中歩かせるわけにはいかないでしょう」


 少女は、褒められたのがドレスなのか自分なのか少し引っかかったが、どちらでも悪い気はしなかった。

 出会い方が悪かっただけで、実はいい男なのかもしれない。事実、この男は背が高いだけでなく、なかなかの美形だ。


 しかし、それだけだった。


「生肉さえ頭にのせていなければ、食事に誘っていたかもしれない」


 数十分前の出来事が少女の脳裏を駆け巡る。この男は紳士でもなんでもなく、ただの下衆であることを思い出した。


「……」


 少女は力の限り男を睨み付けたが、もはや効果はなかった。その証拠に、男は愉快そうに少女を見つめている。


「もっとも、用事があるらしいから誘ったところで迷惑でしょうが。私との食事より大事な用事とは何なのか、是非とも聞かせていただきたい」

「貴様に教える義理はない」

「まだ根に持っているのですか。あれほど謝ったではないですか」

「謝って済むなら貴様ら憲兵は必要ない。大体、貴様はなぜ馬車を襲った。それが憲兵の仕事とでもいうのか」

「いうのです閣下。先程も申し上げましたが、憲兵とは早い話が貴族の犬。貴族に媚びる仕事です」

「それが民を虐げることになってもか」

「なってもです。事実、今我々に下っている命令は、貴族区に有象無象を近づけないこと。少しでも不審な動きを見せれば迷わず殺せと言われています」


 あまりにも淡々と告げるので、少女は耳を疑った。


「……殺したのか」

「まさか」


 男は即答した。


「そこまで食い物にする気もされる気もないのですよ。机上で命じるだけの偉い方とは違って、殺した本人は殺した者の顔を忘れることはできない」


 決して大きな声ではなかったが、少女の胸には確かに響くものがあった。


「我々は金の為に憲兵などやっているが、根本的に違うのですよ。彼らは常に自分のことを考え、他人になど見向きもしない」

「そうだな……」


 少女の暗い顔を、男は見逃さなかった。


「まだ馬車は来ないらしい。立っていても仕方がないでしょう、いい影があります。そちらへ」


 男が指した先は建物の陰になっており、粗く削りだした石が横たわっていた。

 男が躊躇することなく上着を脱ぎ、石にそれを敷いたので、少女は厚意に甘えることにした。

 普段ならうるさくてかなわない虫のさざめきだったが、少女は少しの間、耳を澄まして聴くことにした。

 しばらく聴き入っていると、馬蹄の音が響くのが分かった。

 馬車を引き連れて来た者は男からサインを受け取ると帰ってしまった。どうやら御者はいないらしいが、御者台には女が乗った。

 扉を男が開けて、少女は馬車に乗り込んだ。

 今度は荷物用ではなく、しっかりとした席があった。


「我々が借りるにはこれが限界でして」

「いや、十分だ。ありがとう」


 感謝の気持ちに偽りはなかった。


「クレアツィオーネという村を知っているか」


 少女が静かにこぼした。


「ええ、十年前までは王国随一の機械産業が盛んな村だった」

「そう、それは過去の話だ。現在、村がどうなっているかは知らないだろう」

「科学技術顧問だった公爵が左遷され村長になったということ以外は特に」

「驚いた。詳しいな」

「職業柄、そういった情報は自然と入ってくるのです。そう、確か名前は」

「フリースラント=ホルスタイン。私の父だ」


 男は淡々と言葉を交わしていたが、これには少し驚いた。


「どうりで高貴に見えるはずだ。まさか公爵家の御令嬢とは」

「元だ。今の爵位は準男爵。もはや貴族ではない」


 少女は力強く言った。


「クレアツィオーネ村は酷く寂れてしまった。今日、久しぶりに王都をこの目でみて改めて思うが、村はまるで廃墟だ」

「そこまで……」

「原因は父にある」


 男は少し考えると、直ぐに答えを出した。


「たとえ降格しようとも科学技術顧問だった知識と技術がなくなることはない。そして、がめつい貴族たちがそれを利用しない手はない」

「そうだ。それは税金として顕著に現れた」

「しかし、御父上ほどの力と国内最大の生産ラインがあれば、どうとでもなるのでは」

「そうだ、私もそう思っていた。しかし、父は協力するどころか、村で機械を製造することを禁止してしまった」

「なぜそんなことを」

「わからない。十年間、誰もそのことを話そうとはしなかった。その結果、村は衰退し、水道さえ止められてしまったというのに」

「お父上が協力しない、出来ない理由はわからない。しかし、村としての生産力は皆無。このままでは村は枯れるだけでなく無くなってしまう。その旨を伝え、税の引き下げを頼みに行くのですね」

「ああ。二十歳になった今日、ようやく私は有権者となった。父が失ったものは、娘である私が取り戻してみせる」


 少女の決意は固かった。

 馬車が止まり、少女が降りる。

 その後ろ姿を見て、男は何を言えばいいか分からなかった。しかし、声をかけずにはいられなかった。


「正直、貴族でないあなたが行って、相手にしてもらえるとは思わない」


 え、貴族じゃないのか――と御者台で女が声を上げて驚いているが、そんなことは二人の耳には一欠片も入らない。


「さっきも言いましたが、彼らは他人を見ちゃいない」


 振り返らずに、少女が答える。


「そんな目をするな。私だって、好き好んで食い物にされに行くつもりはないさ。ただ、その他人というものを見てもらわねばならない」

「分かりました。この筋をまっすぐ行った先が行政区です」

「ありがとう」


 そう言って少女は行ってしまった。


「あの必要以上の責任感を背負う感じ、昔のお前にそっくりだ」

「全然違う。彼女は所詮、貴族だ」

「干し肉、あいつにもやればよかったかな」


 そう言って、女は男の口に干し肉を突っ込んだ。


「いや、こんな塩味の効いた安物は口に合わないだろう」

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