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1-1

 食糧などの荷物と一緒に乗った馬車の中から少女は外を眺めていた。

 燦燦と輝く太陽の下に広がる平原。厳しい気候に強い灌木が点在するばかりで何もない。乾ききった大地はひび割れ、灰のような色をしている。

 パッシオーネ王国。史実の記載が正しければ、およそ一千万年前は、四季の変化に富み、多くの動植物が生息する緑豊かな国であったとされている。しかし、今を生きる人々が四季を感じることはなく、誰が記録したのか定かではないが、数えだしてからというもの八百年前から終わらない夏が続いている。

 少女がそんなことを考えていると、御者台で手綱を握っていた商人の男が思わず言葉を洩らした。


「暑いなぁ……」


 窓越しに汗を拭う姿が見える。汗ひとつ掻いていない少女は申し訳なさそうに声をかける。


「私だけ屋根の下ですまない。王都まであと少しだ、変わろうか」


「ああ、お気になさらず。この馬(こいつ)は気難しいやつでして、私以外には御せないのです。それに……」


 商人は笑い飛ばした。


「ホルスタイン家のお嬢様にそのような俗事は似合いませんよ。せっかく綺麗なドレスを着てるんだ。舞踏会にでもお連れしましょう」


 皮肉めいた言葉にも思えたが、男に悪気はなかったし、少女もそれを理解していた。

 すらりとした長身に纏ったカクテルドレス。太陽のように華やかなそのドレスを、少女は一瞥する。


「舞踏会か……最後に行ったのはいつだ、六つのときか。母上に連れられて王宮へ行ったことがあったな。きらびやかな母の笑顔をよく覚えている。あのときは父上がまだ公爵だった」


 商人は、そうですか、と静かに言うと、今度は少し大きな声で言った。


「あの頃はよくお世話になったものです。その中、涼しいでしょう。足元から冷気が出てるのがわかりますか。その機構を作ったのはお父上なんですよ」

「知っている。熱交換器。私も詳しくはないが、熱いものから冷たいものに熱を移動させるんだとか。科学技術顧問だった父が最後に残した発明品だ」

「ええ、それのお陰で我々商人の世界はひっくり返りました。長時間の保存が効かなかった生モノの運搬が可能になったんですから。立派な方ですよ」


 そう言うと、男は会話の終わりを悟ったのか、鼻歌を歌い出した。


「そう……だったな……」


 少女はどこか腑に落ちない顔で背後の小窓を眺めながら、独りごちた。

 背後(うしろ)にはスッキエッロ連山の姿があった。遠くに聳える山々の影を見つめ、その麓にあるはずの故郷のことを考える。

 数時間前に旅立ったばかりだというのに、目に見えないだけでやけに気になる。身に覚えのない妙な気分だった。



 しばらくして、馬車は王都に入った。

 王都ロヴェンテ。権力争いの名残として林立する摩天楼が特徴的だ。中央の最も高い塔が王宮。その周りに伸びているのが貴族区。そして、さらにその下に広がるのが庶民区であり、商業区である。と言っても、庶民区などというのは名前だけで、住んでいる人は少なく、実際は商人の為の街であった。

 外の喧騒は賑やかで、商業区に入ったことが分かった。

 窓から右を眺め、左を眺めしていると道の両端に設営された商人達のテントがずっと遠く、おそらく貴族区の手前まで続いているのが見える。

 様々な店がある中で、たくさんの樽を並べている店が多い。中身は水だ。この灼熱の国パッシオーネにおいて最も需要が高く、自然の中から自力では見つけることはまず叶わない。地下を掘れば湧いてくるという噂も一時期ながれたが、実際に掘り当てた者はただの一人もいなかった。

そもそも水をわざわざ探そうとする者はほとんどいなかった。


「水はまだ王宮で生産されているのか」

「どうでしょう。王宮内には未来十年分の貯水庫があり、すでにそれは満たされているのだとか」

「なに、未来十年分だと……それは王都に限らず、国中を賄っていく水を含めてか」


 突然、少女が大きな声を出したので、男は少し怯えて答えた。


「ええ、水を扱っていない私でさえ知っている専らの噂です。あの……」

「すまない、取り乱した。ここでいい。助かった」

「あ……いえ、貴族区までもう少しです。お送りさせていただきますよ」

「そうか、ありがとう」


 そう言った矢先、馬車が急停車した。

 少女は席から投げ出され、積んでいた荷物の下敷になった。


「なんだあんたら」


 慌てて大声を出した商人の前には、腰にサーベルを帯刀した憲兵が二人。背の高い男と背の低い女の組だった。すでに道にはテントがなく、辺りに人はいなかった。

 剣を抜き放ち、女の方が咆える。


「動くな、この先へ何のようだ」


 今度は男の方が言った。


「見たところ商人だらしいが、この先は貴族区。知らないのか、アンタみたいなのが来る場所じゃない」


 好き勝手を言う二人の声は馬車の中にも届いていた。

 少女は貴族の娘として育てられたこともあり、人一倍正義感が強かった。そして、彼女にとっての悪とは、まさに虐げる者のことであった。


「……申し訳ありません。決して貴族区に入るような真似は致しません。ただその少し手前まで行きたいのです」


 そう言って御者台から降りた商人は、サーベルとの距離をとりながら、男の憲兵にゆっくりと近づき、右手に金貨を二枚握らせた。


「行かせてはもらえませんか」


 男は横目で金貨を確認すると、女の方に瞬きで合図を送った。

 そのときだった。

 三人の背後で、勢いよく馬車の扉が開く。

 精肉などの食料が地面に溢れ出し、その上を颯爽と飛び越える影に目を奪われる。

 オレンジがかった赤いドレスに小麦色の肌を包んだ少女だ。

 すらりと長い手足に優美な顔立ち。陽に焼け赤みをおびた長い髪を風に靡かせ、スカートを膨らませながら、鳥のように優雅に降り立つ。

 ゆっくりと立ち上がるその姿は美しく、高貴に映った。

 誰もが息を呑む中、沈黙を破ったのは馬車に繋がれた馬だった。馬は息を荒げ立て、馬車を引きずりながら激しく暴れまわる。


「危ない」


 石畳の上に倒れ込んでいた商人が叫んだ。

 二人の憲兵が距離をとるのに対し、少女だけは静かに距離を詰める。そして、肩や首、背中を軽くたたいてやると、馬は瞬く間に息を整え、落ち着いた。


「おいおい、まるで女神じゃないか」


 少女の後ろ姿――いや、一連の様子を見て男の憲兵が、思わず洩らした。


「馬鹿を言うな……そんなのはただの御伽噺だ……」


 女の憲兵が言い返したが、やけに歯切れが悪い。


「立てるか」


 少女は商人に手を差し伸べ、商人はそれを掴み立ち上がる。


「あのホルスタイン嬢……」


 少女は商人の言葉を手で制し、振り向くと、真っすぐな瞳で二人の憲兵を睨み付ける。

 その眼光は鋭く、二人の喉元に刃を突きつけるかのようだった。

 たじろぐ二人を追い打つように、少女は言い放つ。


「貴様らは何だ」

「ただの憲兵さ。貴族の声を聴き、それに応えるのが仕事」


 男が言った。


「そうか」


 言って、コツコツと音を鳴らしながら、少女は男の下へ近づく。


「では、憲兵。行政区に用がある」

「はあ……」

「案内しろ。チップは受け取った筈だ」


 少女はまだ知らない。顔に一枚の生肉が張り付いていることを。

 そしてこの後、男に剥がされ、めちゃくちゃ馬鹿にされ、少女が赤面したことは言うまでもない。

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